「私は愛がどうの糸瓜がどうのと言いたがる女が嫌いである。」
どひゃーん、一発でぶん殴られた気がする書き出しは、車谷長吉。
(文士の魂「愛の小説」新潮社刊)このお方が苦手であります。
苦手というにもいろいろあって、いわゆる好きすぎて苦手という
類いのほうであります。
ときどき愛という字を使うので、どひゃーんと衝撃を受けたけど
言っとくけど、いや、書いとくけど、わたしは「言いたがる女」
ではないよ、そういうの嫌いなタチなんだ、言わないね。
そう、言わないのである。
書いているだけである。言わないから書く、書くから言わない、
そこんとこ、どっちだか自分でもわからないが。いずれにしても
言いたがらない人である。
なぜかって? めんどくさい。それ、口にすればうたかた。
愛がどうの糸瓜がどうのという言い回し、あまりに小気味いい。
いいから読み流しそうだけど、どうして糸瓜なのか?
それを考えてしまった。
ま、それは置いておいて、最初の一行はつまるところ車谷氏に
とって愛とは何かに収斂していくので、車谷氏ほど愛を知る男も
いないといっていい。奥さんの高橋順子さんを大事に思っている
ことが行間からにじみ出ている。いつもそうである。
マジメである。糞がつく真面目なので、そこんとこが苦手で恐くて、
そして好きである。
遠い遠い孤高にそびえる人である。
わたしは真面目でない人が嫌いである。
愛も糸瓜も口には出さない日々、昼間の人の声が頭を離れないので
外を見ると、月明かりがきれいだ。
樹々の影が映る芝生を窓から眺めていたら、外を歩きたくなった。
どひゃーん、一発でぶん殴られた気がする書き出しは、車谷長吉。
(文士の魂「愛の小説」新潮社刊)このお方が苦手であります。
苦手というにもいろいろあって、いわゆる好きすぎて苦手という
類いのほうであります。
ときどき愛という字を使うので、どひゃーんと衝撃を受けたけど
言っとくけど、いや、書いとくけど、わたしは「言いたがる女」
ではないよ、そういうの嫌いなタチなんだ、言わないね。
そう、言わないのである。
書いているだけである。言わないから書く、書くから言わない、
そこんとこ、どっちだか自分でもわからないが。いずれにしても
言いたがらない人である。
なぜかって? めんどくさい。それ、口にすればうたかた。
愛がどうの糸瓜がどうのという言い回し、あまりに小気味いい。
いいから読み流しそうだけど、どうして糸瓜なのか?
それを考えてしまった。
ま、それは置いておいて、最初の一行はつまるところ車谷氏に
とって愛とは何かに収斂していくので、車谷氏ほど愛を知る男も
いないといっていい。奥さんの高橋順子さんを大事に思っている
ことが行間からにじみ出ている。いつもそうである。
マジメである。糞がつく真面目なので、そこんとこが苦手で恐くて、
そして好きである。
遠い遠い孤高にそびえる人である。
わたしは真面目でない人が嫌いである。
愛も糸瓜も口には出さない日々、昼間の人の声が頭を離れないので
外を見ると、月明かりがきれいだ。
樹々の影が映る芝生を窓から眺めていたら、外を歩きたくなった。