想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

常ナルマコト

2010-08-16 16:57:33 | Weblog

私をメッス、なんて言ってて君を叱ってごめんね。
叱る理由、どう考えてもうさこのエテカッテですから。
人間の都合を犬に押し付けてたんだわ。
犬も大人になって、さらに歳をとって、カンロクをつけて
それから今では時々ボンヤリと省エネモードで長生きしてる。
その君にステイステイと大声で言ってる方がどうかしてた。

朝もやの中を散歩しながら怒鳴っている自分にうんざり。
大声出すより手を延べる距離に近寄った方が早いのであった。
子犬の頃、そうやって育ててきたことを言ってしまってから
思い出した。

彼はすっかり大人になってもう手がかからなくなったけど
老齢には幼い頃とまた違ったあぶなっかしさがあって心配も多い。
けれども叱ることではないのであった。
あ~、ダメですね。

でも怒られてもスリスリと寄ってくる君はあいかわらず。
ひっつき虫でいてくれて、ほんにありがとう。
ヒトみたいに根に持ったりしないんだもの、それは昔からそう。
それを弱い立場だからなんて言う人がいるけど、そうではないよね。
そんなかけひきじゃないことは長く一緒にいてよくわかっているよ。

人の感情は移ろいやすい。確たるものもないのに激して消える。
気化したみたいに消える思い。
その上、形ある物も壊れる。

諸行無常という仏の教えは執着から人を解き放つための諭しだけど、
子どもの頃からカタチを信じないタチだったうさこにその説法の
効き目はなかった。そういう人、多いんじゃないだろうか‥。
カタチなど最初からない貧しさの中に生きるとき、人はかえって
純粋なるものを求める。強固なる純粋さだ。

人は意味なく威張っている存在だが、人の世ほど陳腐なものもない。
なのに、そこに万の命があって、その数の分だけ喜びもある。
諸行無常ゆえに、常なるものを探す。それを意識せずとも人は求める。
捨てよと言うより先に、常なる信を示せよ、そう渇望した若かった日々。
そのことを忘れたくない。

常なるものを、神とも呼ぶ。
うちの神さま、犬の形をして現れます。

コメント
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