心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

「心」を育む

2006-10-01 15:16:15 | Weblog
 小雨がぱらぱらと舞う秋の休日、遠くからは小学校の運動会らしき賑やかなBMGが風に乗って聞こえてきます。そんな日曜日の昼下がり、音楽の世界に漂いながら少し疲れ気味の「心」を癒す、なんとも静かな時間を過ごしています。
 そういえば今朝、愛犬ゴンタとお散歩の途中、満開のヒガンバナに出会いました。公園の桜並木の下に、不思議な恰好をした真っ赤な花が満開です。真っ白い花もありました。このヒガンバナ、別名曼珠紗華(まんじゅしゃげ)とも言います。その昔、中国から伝来した帰化植物のひとつで、なにやら仏教の香りがする名前に異国情緒を漂わせます。鱗茎には毒があって、不注意に食すると死に至るのだそうです。「美しいものにはご用心」といったところでしょうか(笑)。
 この季節、近江米の収穫に忙しい湖北の里を歩いていると、田んぼの畦道でこの花をよく見かけました。でも、都会地で出会うのは稀です。稲作という「農」を忘れがちな現代社会にあって、そうした原風景が減っていくのは、やはり寂しい。とは言え、これも都会に暮らす者の身勝手な幻想に過ぎないのかも知れません。目の前に在る「風景」を全身でどう受け止めるかは、そこに佇む者の世界観に拠らざるを得ないのです。
 少し話が飛躍しますが、同じ曲をいろんな指揮者の演奏で聴くと、その曲想の違いに驚きます。同じ譜面なのにこうも違うものかと。以前、西本智実さんのコンサートで聴いた曲のひとつにチャイコフスキーの交響曲第5番がありました。哀愁に満ちた旋律が素敵な曲ですが、今までに聴いた曲とは雰囲気がずいぶん異なるのです。以後、意識していろいろな指揮者の演奏を聴きました。中古レコード主体ですから、少し古いのですが、カラヤン、モントゥー、マゼール、オーマンディー、ロストロポーヴィッチ、ロジェストヴェンスキー.....。確かに指揮者によって曲の雰囲気が異なるのです。若い頃あれだけ傾聴したカラヤンの演奏も、何かしっくりこないもどかしさを感じるから不思議です。譜面の解釈でこうも曲想が違うものかと。
 このブログを「心の風景」と名づけたのも、実はこれと同じ思いが底辺にありました。目の前に広がる風景に身をおいて、それをどう感じ、どう受け止めるのか。それは、その人の「心」という目で見つめ体感する以外にないのです。その人の「心」によって風景は動的に見えたり、静的に見えたり。希望に見えたり、失望に見えたりします。それも点としてではなく、空間の中に身を置いて、全身で空間を体感・体得する以外にない。全身で受け止める風景こそが自らの「心」の礎になる。そう考えました。世に教育再生論議が再燃しようとしています。「心を育む」教育が目指されることを願っています。最近、悲惨な事件が余りにも多すぎますから。

★チャイコフスキー交響曲第5番ホ短調作品64をロリン・マゼー ル指揮、クリーヴランド管弦楽団のレコード演奏を聴きながらの ブログ更新でありました。なお、来週の更新はお休みです。
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