5月の連休も、暦通りではありましたが、あっという間に通り過ぎていきました。次男君が帰省して、長女一家が孫君を連れてお泊りにやってきて、ふだんとは違う空気に包まれた我が家でした。連休の合間の、私が仕事の日に、家内は皆を信貴山の農場公園に誘い、そこで孫君は初めて鶏卵採りや玉ねぎ、キャベツの収穫など貴重な自然体験を楽しんだようでした。
そんな慌ただしい日々が過ぎて、最後の土日連休は、家内と二人静かに過ごしました。と言っても、昨日は家内のお誘いもあって滋賀県は長浜にまで足を伸ばしました。NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の舞台になった土地です。以前にも一度おじゃましたことがありますが、そのときは湖北の山小屋を出発して今津港から竹生島に渡り、長浜港に着くルートでした。今回は朝早く大阪を出発してぞんぶんに街の空気を楽しむことにしました。1日中歩き回ったあと、太閤温泉で汗を流して帰りましたが、さすがに今日は足腰に痛みが残ります。
大河ドラマを真剣に観たことのない私は、行く先々で歴史の説明を受けながら、「そうなんだ」「そうだったのか」とお勉強の一日でした。日本史に疎い私ですが、16世紀、室町時代の出来事が西暦で表わされると、中世イタリアの歴史風景が浮かんできます。ルネッサンス、ミケランジェロ、マキアベッリ。そう、マキアベッリが君主論を著したのが1532年でした。当時は宗教戦争に端を発して、中世から近代への胎動が始まろうとしていた、そんな時代に日本は戦国時代。浅井三姉妹が生きた時代と重なります。三姉妹の真ん中の初がクリスチャンになるのも、時代の大きな流れなんだろうと思いました。
歴史と言えば、5月1日の朝日新聞グローブの特集記事に「日本人の起源」が掲載されていました。「未曾有の大震災に見舞われ、日本人は肩を落とした。政治や経済でも、かつてのような自信を失い、進むべき道を見失っているかのようだ。この国の未来が問われる時代だからこそ、過去にさかのぼってみる。日本人は何者なのか」という前文で始まるこの特集は、ミトコンドリアDNA解析をもって日本人の起源、ルーツに迫るものでした。
この記事に感化されて私が手にしたのは、福岡伸一先生の著書「動的平衡」でした。改めて読み返してみると、生命とは本来、常に分解と再生を繰り返し自らを作り替えていることを知ります。私たちの細胞のひとつひとつは決して立ち止まってはいない、常に更新を続けている。それによって生命は環境の一部として持続性を維持してきた。それを福岡先生は「動的平衡」と言う言葉で表現します。
「身体のあらゆる組織や細胞の中身は常に作り変えられ、更新され続けている」「流れながら全体として秩序を維持するため相互に関係性を保っている」「生命は”流れ”であり、私たちの身体がその”流れの淀み”であるなら、環境は生命を取り巻いているのではない。生命は環境の一部、あるいは環境そのものである」「生命は可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステムである」「環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる」
「サステイナビリティー」という言葉は、私も最近よく使います。人と人の関係、組織と組織の関係、マネジメントをも視野に入れた意味に思えるからです。目先の損得ではない、時間軸のなかに身を置いて、地に足の着いた議論をするための大前提です。気分的にゆったりした1週間あまりの連休のなかで、私は時間軸を抉じ開け、硬直した頭脳に新しい酸素を送りこめたような気がしています。
そんな慌ただしい日々が過ぎて、最後の土日連休は、家内と二人静かに過ごしました。と言っても、昨日は家内のお誘いもあって滋賀県は長浜にまで足を伸ばしました。NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の舞台になった土地です。以前にも一度おじゃましたことがありますが、そのときは湖北の山小屋を出発して今津港から竹生島に渡り、長浜港に着くルートでした。今回は朝早く大阪を出発してぞんぶんに街の空気を楽しむことにしました。1日中歩き回ったあと、太閤温泉で汗を流して帰りましたが、さすがに今日は足腰に痛みが残ります。
大河ドラマを真剣に観たことのない私は、行く先々で歴史の説明を受けながら、「そうなんだ」「そうだったのか」とお勉強の一日でした。日本史に疎い私ですが、16世紀、室町時代の出来事が西暦で表わされると、中世イタリアの歴史風景が浮かんできます。ルネッサンス、ミケランジェロ、マキアベッリ。そう、マキアベッリが君主論を著したのが1532年でした。当時は宗教戦争に端を発して、中世から近代への胎動が始まろうとしていた、そんな時代に日本は戦国時代。浅井三姉妹が生きた時代と重なります。三姉妹の真ん中の初がクリスチャンになるのも、時代の大きな流れなんだろうと思いました。
歴史と言えば、5月1日の朝日新聞グローブの特集記事に「日本人の起源」が掲載されていました。「未曾有の大震災に見舞われ、日本人は肩を落とした。政治や経済でも、かつてのような自信を失い、進むべき道を見失っているかのようだ。この国の未来が問われる時代だからこそ、過去にさかのぼってみる。日本人は何者なのか」という前文で始まるこの特集は、ミトコンドリアDNA解析をもって日本人の起源、ルーツに迫るものでした。
この記事に感化されて私が手にしたのは、福岡伸一先生の著書「動的平衡」でした。改めて読み返してみると、生命とは本来、常に分解と再生を繰り返し自らを作り替えていることを知ります。私たちの細胞のひとつひとつは決して立ち止まってはいない、常に更新を続けている。それによって生命は環境の一部として持続性を維持してきた。それを福岡先生は「動的平衡」と言う言葉で表現します。
「身体のあらゆる組織や細胞の中身は常に作り変えられ、更新され続けている」「流れながら全体として秩序を維持するため相互に関係性を保っている」「生命は”流れ”であり、私たちの身体がその”流れの淀み”であるなら、環境は生命を取り巻いているのではない。生命は環境の一部、あるいは環境そのものである」「生命は可変的でありながらサスティナブル(永続的)なシステムである」「環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる」
「サステイナビリティー」という言葉は、私も最近よく使います。人と人の関係、組織と組織の関係、マネジメントをも視野に入れた意味に思えるからです。目先の損得ではない、時間軸のなかに身を置いて、地に足の着いた議論をするための大前提です。気分的にゆったりした1週間あまりの連休のなかで、私は時間軸を抉じ開け、硬直した頭脳に新しい酸素を送りこめたような気がしています。