心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

絆(きずな)

2011-05-15 09:36:27 | Weblog
 5月の連休で身体が鈍ったからでしょうか。先週、木曜日の夜、自宅に辿りついたときは、もうヘトヘトでした。職場でのややこしい問題もありますが、なによりも物理的に身体が言うことを聞かない。夕食もそこそこにベッドに横たわり、そのまま朝を迎えました。

 そんな1週間を終えて、きょうの日曜日は快晴の朝を迎えました。愛犬ゴンタのお散歩をすませ、部屋のお掃除を済ませると、きょうは久しぶりに諏訪内晶子さんのCDから「スラヴォニック」を取り出し、ドヴォルザークやヤナーチェク、ブラームスのヴァイオリンソナタなどを聴きながらブログ更新を楽しんでいます。その間には、檸檬やスダチ、洋ラン(デンドロビューム)の写真も撮ってアップに備えました。

 さて、いよいよ本論に入りますが、そう、一週間を振り返って心に残ったもの。ひとつ目は、東北大震災の被災地で救援活動をしてきた方のお話を聴いたことでしょうか。その方は介護福祉のお仕事をされている方ですが、被災地でご活躍のお写真を拝見して、避難所で暮らす方々と同じ目線で、笑顔を絶やさずに向き合っている姿に感心いたしました。その方の笑顔がなんとも素敵に見えて、ひょっとしたら私たちはこんな笑顔をどこかに置き忘れてはいないか。福祉の仕事はきついという印象があるためか若者たちに敬遠されていると言われていますが、もっと奥深いところで「心」が揺らいではないか。本来あるべき人の在り様が軽んじられてはいないか。だから、仕事と給与水準が労働実態とはかけ離れている。なにやら奥深い時代的課題が見え隠れしています。
 ふたつ目は、商店街でのこと。地域共生というテーマを追うなかで、商店街の方々とお付き合いを始めて3年が経過します。最近は、出張先でもついつい地元の商店街を覗いてしまう癖があります。先日も鹿児島中央駅を降りて向かったのは商店街でした。駅構内の真新しい大型店舗の盛況ぶりとは裏腹に、駅前商店街は淋しい雰囲気でした。全国展開の大型店の地方進出が、商店街からお客を奪う。私には、お客だけではなく地域の文化、人と人の絆までも奪ってはいないか、そんな不安があります。昨年、北海道の苫小牧に行ったときも、千歳から市内に向かう車中で見えてくるのは、残念ながら全国チェーン店でした。でも、経済の浮き沈みのなかで大型店が姿を消していく事例は少なくありません。そのときは、もう手遅れです。地域文化そのものが崩壊しています。いまいちど地元に密着した商店街の在り様を考えても良いのではないか、そのように思います。
 実は、昨日は職場の近くにある商店街でイベントがありました。私も若干の関与をさせていただきましたので歩いてみると、ふだんは人通りの少ない商店街にお客があふれ、活気があふれていました。通りの一画では、地元高校のブラスバンド部の生徒さん30名ほどが演奏をしています。その周りには買い物帰りの老若男女100名が立ち止まり、手拍子を取りながら演奏を楽しんでいらっしゃる。こんなささやかなコンサートに人が集い、ほんのわずかな時間であっても、あどけない生徒たちの司会進行でお客の心がひとつになっている。音楽っていいなあ、と改めて思いました。生徒の皆さん、引率の先生方にお礼を言って、その場を跡にしました。

 最近、リスクマネジメント、と言う言葉がもてはやされています。行政に危機管理室が設けられ地域防災がさかんに議論されています。しかし、根底に人と人の「絆」が形成されていなければ、危機管理も専門家たちのお題目にすぎません。それは今の政府の対応をみていると判ります。私も、まだまだ学ばなければならないことがたくさんあります。いまの仕事以上に大きな課題に気がついたようで、ひょっとしたらリタイア後の生き方に繋がっていくのではないか。そんなことを思った一日でした。 
コメント