心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

グールドの平均律クラヴィーア曲集

2012-08-23 20:36:15 | Weblog
 真夏の空には入道雲が仁王立ちです。その周りを真綿のような真っ白い雲が浮かんで見えます。でも、夕方になると思わぬ降雨に悩まされる、まさに夏の天気そのものです。気温が35度を超えると水槽の温度はそれ以上に上がります。照明熱が加わるからです。そんな時、ときどき氷のかけらを浮かばせてあげます。今夏も、ほんとうに暑い夏になりました。暑気払いには、スダチを焼酎のオンザロックに浮かべるのが良いかも。

 先週は土曜日から広島入りをしていましたが、空き時間を利用して広島駅前の中古レコード店GROOVINを覗きました。行くたびに新しく入荷されたLPが並んでいます。LP人気の凄さを思います。没30年ということでしょうか、グレン・グールドのLPを容易に探し出すことができました。この日は、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」(全曲)4枚組を見つけました。第一巻は持っていましたが、新品同様の全巻セットはLPでは初めてです。これで1,800円です。
 ものの本によれば、バッハが平均律クラヴィーア曲集第一巻を作曲したのは37歳だった1722年の頃です。ところが2巻を作曲したのは59歳となる1744年、22年後のことです。一気呵成というよりも、寄り道をしながら思考の結果として第二巻は陽の目を見た。そういえば、グールドも1951年にゴールドベルク変奏曲を録音してから30年後の1981年に再録音しています。「クラヴィーア」も、全曲録音まで約10年を要しています。なにやら重たいものを感じます。

 レコードに針を落としながら説明書を眺めていると、著者の北沢方邦氏は近代バッハ解釈と演奏の二元論的論争について、「信仰ぶかい敬虔な魂としてドイツ民族の根底にある諸々のロマン的情念を表現したとするロマン主義的・民族主義的解釈」と「その精密な対位法と和声の数学的ともいうべき技法によってデカルト以来の理性的世界像を力動的に表現したのだとする合理主義的・近代主義的解釈」のふたつの解釈を提示します。しかし、合理主義と非合理主義の二項対立に否定的な見解を示し、「グールドのバッハは、人格と様式の統一性という、このバッハ音楽の秘密をみごとにとらえている」と言い、「音そのものによる造形的な積み重ねが、比類のない緊張感と明晰度を保ちうるという関係が存在している」と。そして「バッハの楽曲自体における合理性と非合理性の統一というだけではなく、演奏者のまったき自由の回復と、原曲の楽譜が要求する理性的秩序という二律背反の使用と解決さえもがそこにもたらされている」と絶賛しています。真夏の昼下がり、ぎんぎんに冷やした部屋のなかに流れる「クラヴィーア」を聴きながら、私がグールドに拘ってきたものがぼんやりと見えてきたような気がいたしました....。

 さあて、明日から4日間ほど北海道は利尻・礼文島方面にでかけてきます。そのため、夕刻、愛犬ゴンタをペットホテルに預けました。なにやら不安そうな表情が少し気にはなります。12歳といえば中学生1年生に匹敵します。我が子も同然で、前日の夜はお風呂で身体を洗ってやり、クーラーの効いた部屋で休ませました。そうそう、尻尾の付け根あたりの毛が少し抜けていたので、動物病院で見てもらいましたが、たいしたことでもなさそうで、抗菌の飲み薬をいただいて帰りました。待合室にある犬年齢の表では、12歳のゴンタの人間年齢は64歳とか。ずいぶん歳をとりました。
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