先週も暑い日が続きましたが、今朝は、なんとなく爽やかな風が部屋の中を通り過ぎていきます。部屋の窓から空を眺めると、綿のような雲がゆっくりと西に流れています。沖縄に接近中の台風11号の影響なのでしょうか。今日ぐらいは過ごしやすい一日であってほしいものです。こんな夏の休日の朝は、グレン・グールドが奏でるバッハ「ゴールドベルク変奏曲」がお似合いかも。1955年録音のモノーラル版を取り出して聴いています。
そうそう、今朝、庭にでたらブルースター(オキシペタルム)の大きな実が裂けて、今にも新しい生命(種)が舞い上がろうとしているのを見つけました。薄青い洒落た花を咲かせてくれたブルースターですが、種の保存に新たな旅立ちの日を迎えています。ハーブ畑では、セージやミント、タイムが可憐な花を咲かせています。暑さに一番弱いのは、ひょっとしたら人間様なのかもしれません。
ところで、昨夜は家内のお誘いを受けて、生まれて初めて日本橋の国立文楽劇場に行きました。早めに到着したので、チケットを購入したあと、京都・錦市場に並ぶ大阪の台所「黒門市場」を散策しました。そして、鮮魚店が並ぶ一画の「やまと屋鮨」さんで少し早めの夕食をいただきました。生ビール中ジョッキー2杯で小ジョッキー1杯という楽しいサービスもあって、ご主人と楽しい時間を過ごしました。もちろん鮮度のいいお寿司は、なかなかのものでした。
この日はサマーレイトショーと銘打って、近松門左衛門の「曾根崎心中」が演じられました。1700年代のはじめ、大阪堂島天満屋の女郎「お初」と内本町醤油商平野屋の手代「徳兵衛」が、曾根崎村の露天神、現在のお初天神の森で心中したお話でした。「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」の三部構成で演じられる人形浄瑠璃です。時間はおよそ100分。
内容は悲しい物語です。実の叔父の家で丁稚奉公をしていた徳兵衛に、叔父が娘を結婚させて店を継がせようと継母に結納金まで渡すのですが、お初と恋仲にあった徳兵衛は、それを断ります。立腹した叔父は、徳兵衛に勘当を言い渡し、貸したお金を返せと迫ります。やっとのことで継母から結納金を取り返した徳兵衛は、それを返済にあてようとしたのですが、友人の九平次に3日限りの約束でその金を貸してしまいます。人が良すぎたんですね。ところが、後日その返金を迫ったところ、九平次は「借金はしていない」と言い、証文は無くした印鑑を使って徳兵衛が偽造したものだと言い張ります。腹が立ちますね。そうではないことを立証できない徳兵衛は、死んで身の潔白を証明することを選びます。それを聞いたお初は、天満屋にやってきた九平次から散々徳兵衛の悪口を聞かされ、最愛の徳兵衛と心中を決意します。
あれ数ふれば暁の
七つの時が六つ鳴りて
残るひとつが今生の
鐘の響きの聞き納め
はよう殺して殺して
なんと悲しい物語であることか。物語は、意を決して二人が心中を果たしたところで満場の拍手、そして幕となります。
人間国宝の竹本源大夫さんらの謡と三味線に併せて、生きているかのうように人形を操る人形使いの方々、美しい舞台のセッティング.....。西洋のオペラとはひと味違う日本の伝統的な芸術である人形浄瑠璃の素晴らしさを改めて認識させられました。大事にしたい伝統芸術です。
先日ご紹介したNHKラジオ「こころをよむ」では、人の死について、「生物学的な死」と「物語れる死」、つまり「身体的な死」と「別れとしての死」があると言い、人間の死生観が話題になっていました。曾根崎心中は、どう見ても死を美化しているところがあります。お初を殺し、自ら自死する場面で会場から大きな拍手が広がる風景を、いったいどう受け止めてよいのか。.....。こんな場面は、西洋のオペラでも見かけます。ここはあまり理屈っぽく考えないで、素直に涙するのがよいのかもしれませんね。ただ、歌舞伎もそうなのでしょうが、人形浄瑠璃の世界も、すべて男性社会。このあたりが西洋とは違うところではあります。いろいろな気づきをいただいた一日でした。
そうそう、今朝、庭にでたらブルースター(オキシペタルム)の大きな実が裂けて、今にも新しい生命(種)が舞い上がろうとしているのを見つけました。薄青い洒落た花を咲かせてくれたブルースターですが、種の保存に新たな旅立ちの日を迎えています。ハーブ畑では、セージやミント、タイムが可憐な花を咲かせています。暑さに一番弱いのは、ひょっとしたら人間様なのかもしれません。
ところで、昨夜は家内のお誘いを受けて、生まれて初めて日本橋の国立文楽劇場に行きました。早めに到着したので、チケットを購入したあと、京都・錦市場に並ぶ大阪の台所「黒門市場」を散策しました。そして、鮮魚店が並ぶ一画の「やまと屋鮨」さんで少し早めの夕食をいただきました。生ビール中ジョッキー2杯で小ジョッキー1杯という楽しいサービスもあって、ご主人と楽しい時間を過ごしました。もちろん鮮度のいいお寿司は、なかなかのものでした。
この日はサマーレイトショーと銘打って、近松門左衛門の「曾根崎心中」が演じられました。1700年代のはじめ、大阪堂島天満屋の女郎「お初」と内本町醤油商平野屋の手代「徳兵衛」が、曾根崎村の露天神、現在のお初天神の森で心中したお話でした。「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」の三部構成で演じられる人形浄瑠璃です。時間はおよそ100分。
内容は悲しい物語です。実の叔父の家で丁稚奉公をしていた徳兵衛に、叔父が娘を結婚させて店を継がせようと継母に結納金まで渡すのですが、お初と恋仲にあった徳兵衛は、それを断ります。立腹した叔父は、徳兵衛に勘当を言い渡し、貸したお金を返せと迫ります。やっとのことで継母から結納金を取り返した徳兵衛は、それを返済にあてようとしたのですが、友人の九平次に3日限りの約束でその金を貸してしまいます。人が良すぎたんですね。ところが、後日その返金を迫ったところ、九平次は「借金はしていない」と言い、証文は無くした印鑑を使って徳兵衛が偽造したものだと言い張ります。腹が立ちますね。そうではないことを立証できない徳兵衛は、死んで身の潔白を証明することを選びます。それを聞いたお初は、天満屋にやってきた九平次から散々徳兵衛の悪口を聞かされ、最愛の徳兵衛と心中を決意します。
あれ数ふれば暁の
七つの時が六つ鳴りて
残るひとつが今生の
鐘の響きの聞き納め
はよう殺して殺して
なんと悲しい物語であることか。物語は、意を決して二人が心中を果たしたところで満場の拍手、そして幕となります。
人間国宝の竹本源大夫さんらの謡と三味線に併せて、生きているかのうように人形を操る人形使いの方々、美しい舞台のセッティング.....。西洋のオペラとはひと味違う日本の伝統的な芸術である人形浄瑠璃の素晴らしさを改めて認識させられました。大事にしたい伝統芸術です。
先日ご紹介したNHKラジオ「こころをよむ」では、人の死について、「生物学的な死」と「物語れる死」、つまり「身体的な死」と「別れとしての死」があると言い、人間の死生観が話題になっていました。曾根崎心中は、どう見ても死を美化しているところがあります。お初を殺し、自ら自死する場面で会場から大きな拍手が広がる風景を、いったいどう受け止めてよいのか。.....。こんな場面は、西洋のオペラでも見かけます。ここはあまり理屈っぽく考えないで、素直に涙するのがよいのかもしれませんね。ただ、歌舞伎もそうなのでしょうが、人形浄瑠璃の世界も、すべて男性社会。このあたりが西洋とは違うところではあります。いろいろな気づきをいただいた一日でした。