心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

歩いて知る「立ち位置」

2013-11-10 09:37:06 | Weblog

 先週、USBオーディオのことに触れましたが、その後、CDの解像度を上回るというハイレゾ音源(High Resolution=高解像度)を、e-onkyo musicからダウンロードして聴いてみました。すると、オーディオ装置が120%の力を発揮したような、それほどに素晴らしい音の空間が広がりました。当分の間、暇を見つけてはPCを弄ってみたいと思っています。きょうは、ハイレゾ音源による「飛騨高山ヴィルト―ゾオーケストラコンサート2013」を聴きながらのブログ更新です。
 ところで、神戸・元町駅界隈を歩いていたとき、妙な街路樹に出会いました。コンクリートで固められた道端の狭い所に、目いっぱい身体を張って生きていました。地面の下が窮屈なら地上に広がるしかない。街路樹の悲しい一生を思ってしまいました。阪神淡路大震災にもめげず、神戸の街を見つめ続けています。
 そんな三宮界隈で乗ったシティループバスの巡回コースには、新神戸駅前も入っています。山陽新幹線を何度も往復しているのに、新神戸駅に降りたことがありません。もちろん駅ビルを地上で眺めたのは今回が初めてでした。ということは、三宮、北野異人館と新神戸駅とは目と鼻の先。その先には神戸港がある。....なんとなく地理感覚が蘇ってきます。
 40年も大阪に住んでいても、電車、バスで時々行く天満橋界隈と大阪駅の位置関係に、時々混乱することがあります。天満橋から徒歩で帝国ホテルに行ったりすると、やっと位置関係が判ったりします。交通手段に依存し過ぎると、こうした空間の掴み方が鈍くなるのでしょう。
 その昔、足かけ17年をかけて日本全国を歩き回って日本地図を作った伊能忠敬の「地図展」を見に行ったことがあります。昔は庶民の移動は徒歩でした。山の位置と川の位置、鎮守の森を目印に、自分の立ち位置を空間的に把握できていました。9月に出かけた生野銀山ウォークでは、生野峠まで歩くと、遠くに山が開け、姫路の方向がなんとなく見えてきます。そんな地理感覚が鈍ると方向音痴になってしまいます。時代を見つめる視点まで鈍ってしまいます。
  少し横道にそれますが、NHK大河ドラマ「八重の桜」第45回(襄の遺言)を見ていて、襄がスイスで体調を崩し、遺書のような手紙を八重に送ったシーンがありました。......待てよ。襄は欧州ではなく神奈川県大磯の旅館で亡くなったはず?少し気になったので、長く本棚で埃をかぶっていた岩波文庫「新島襄書簡集」(同志社編)を取り出しました。先週は、この文庫を鞄に入れて出張の合間に読んでいました。
 明治17(1884)年8月16日、欧州旅行中の襄42歳のときに妻新島八重に宛てた手紙を読むと、

「アンドロマートと申す處に参り、3日程度逗留。四方は雪山にして日中温度は67度なり。此處よりサンゴタールの峠迄運動致候に、少々病気にかかり、車にてアンドルマートに戻り、去る8日同所より、またゴシネンに到り、鉄道にてフルーエレンに到り、それより汽船にて四列湖を渡り、ただいま逗留致居り候ローゼルンに着し、ここに加養のため5、6日逗留の積りに候。」

 襄の手記には、「此の坂を登ること一里半、予の呼吸は次第に切迫し始めた。最早進むことができない。予は後方(一独逸人)にとり残された。しかも、なお辛うじて十歩に一憩しながら、ついに頂上にまで達した。然るに、食後容態は益々悪化して、寸歩も動くことができなくなった。そこで翌日までホテル・プロサに滞在することにした。午後になって余は容態が甚だ危険であることを感じ、或は此の世における予の最後が、まさに逼ってきたのではないかと思われた。いよいよ呼吸が切迫して来たので、予は此の苦しい中に、次のような遺言をしたためた。」とありました。彼が歩いて峠を越えようした気持ちが判るような気がしますが、体調が芳しくない頃のアルプス越えが堪えたんでしょう。
 こんな手紙もあります。「ミラン(ミラノ)と申す一大都会に参り候。汽車にて乗る事5時間半。所はイタリア北方の、もっとも大にして美麗なる市府に候。ここに最も有名なるものはドームと申す一の大なる寺院なり。イタリアの境をこえ、スイッツルランドの境に入り候ひしに、その国は欧州無雙の山国なれば、鉄道の山に登るに、甚だ面白き工風を為し、グルグルと輪をなし、低きより高きに至る。又輪をなして高きより低きに下る。実に工術の進歩せしを見るに足る。」

 今の欧州を彷彿とさせるものがありますが、当時の日本は、新橋・横浜間に鉄道が開業して間もない頃で、まだまだ政争冷めやらぬ時代でした。襄が鉄道から眺めたアルプスの山々にどれほど感激したことでしょう。蒸気機関車が誕生して、人の移動手段が徒歩から鉄道、車に移行していく新しい時代を迎えた頃のことです。
 そうそう、先週の「八重の桜:紀行」で、襄が欧州に旅立った港街・神戸の街並みが紹介され、前日に乗ったばかりのシティループバスが映っていました。また、襄が欧米旅行中に完成した同志社英学校最初のレンガ建て校舎「彰栄館」も映っていました。9月に今出川キャンパスにおじゃました際、たまたま撮った写真がありましたので、それも添えておきます。

注1:文中に掲載した書斎の写真は、新島旧邸にある襄の部屋です。4年前に見学した際に撮影したものです。
注2:落ち葉とどんぐりの写真は、きのう孫君と一緒に近くの公園で拾ってきました。そろそろ紅葉の季節を迎えます。

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