心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

秋明菊の花言葉は「忍耐」

2014-10-05 08:54:53 | Weblog

 台風18号が本土上陸を狙っています。でも、きのうの夕焼けは、街全体が茜色に染まり、秋の深まりを感じさせました。庭の片隅には、秋明菊(シュウメイギク)がひっそりと花開いています。花言葉は「忍耐」です。夏の初めに売れ残った苗がタダ同然に並べてあったものを植えてみましたが、なんとか育ってくれました。
 そういえば昨日、秋茄子を2個収穫しました。夏の終わりに切り戻しをしておいた株に、その後花芽が出来て小さな実をつけていたのです。昨夜は焼き茄子にしてただきましたが、それはそれは美味しいものでありました。
 「秋茄子嫁に食わすな」という諺があります。広辞苑によれば、秋茄子は「身体を冷やすから」あるいは「種子が少なくて子種がないと困るから」大事な嫁に食わすな、という嫁を労わる意味もあれば、逆に「種子が多くて妊みやすいから」あるいは「こんなにうまいのだから」憎い嫁に食わすな、といった意味もあるのだとか。言葉が、「使う人」あるいは「使われる場」によって正反対の意味を内包していることの不思議、人の世の複雑さを思います。
 さて、先週は中国研究をご専門とされる方と一献傾けました。話題はもっぱら香港のことでした。多様性の時代に、一党独裁の巨大国家が制度疲労を起こしています。表向き異なる政治体制を保証するかのごときトリックを弄んでいるとしか言いようのない国の運営に首を傾げます。
 2千年の歴史を謳歌した古代ローマ帝国を支えたのは、「多様性」に象徴される国体でした。しかし、多神教から一神教へと動く歴史の流れのなかで、滅びて行きました。一見矛盾するかようにみえますが、決してそうではありません。一定の緊張感をもった関係性の中で、人は自律的にものを考え、判断し、行動していきます。持続可能性を現実のものにしていくことができます。
 初期の段階ならば国造りのためにエネルギーを集中させる一党独裁もそれなりの機能を果たすでしょう。でも、国の黎明期にあって多様性を拒否し、独裁の道を選択すれば、必ずや組織の硬直が肥大化します。思考停止がすすみ、賄賂の文化が蔓延します。
 香港の政情は予断を許さない状況にあります。巨大国家・中国に対峙するデモ隊(個)は無力でしかありません。にもかかわらず、何もしないではいられない若者たちは立ちあがった。その心が痛いほど伝わってきます。40年も前の日本の学生運動とは若者が置かれている環境が全く違います。もっともっと切実なものを彼らは感じ取っているからこそ、動いたのです。こうして外野席から評論家のようなことを綴っている私自身の不甲斐なさを思わざるをえません。
 先週は、小学1年生の孫長男君の空手の試合を見に行きました。いつも甘えている孫君ですが、試合場に上がると、なんと凛々しいことか。型が型らしく見えます。親馬鹿ならぬ爺馬鹿でしょうか。つぎに浮かんできた言葉、それは「守破離」でした。先行き不透明な時代環境の中にあって、国体にも組織にも「守破離」の姿勢が求められているのかもしれません。その意味での強かさが必要なんだろうと、今日は旧約聖書に因んだ「エレミアの哀歌」を聴きながらのブログ更新となりました。

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