心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

65回目の春

2015-04-05 09:14:36 | Weblog

 最寄りのバス停では、菜の花が満開です。何気ないこんな風景に春を感じます。それにしても最近の天気予報はよく当たります。当たるというよりも、科学的検証を踏まえて予測の精度が高まったということです。昨日は午前中の用事を済ませると、せっかく晴れているのだからお花見でも出かけようと家内を誘いました。でも、花粉症とやらでぐずぐず言っています。そんな家内には、もうひとつ理由がありました。
 先日、久しぶりに広島の知人と食事をしていた夜のこと。「ゴンタが変。出来るだけ早く帰って」のメール。でも、このメールに気づいたのは知人とお別れした後のことでした。電車に乗ろうとすると、「いまやっと落ち着いた。出かけて帰ってきたら紐が絡まったのか外で倒れてた。立てない。ずっと哭いていたみたい。痛み止めの薬を飲ませたら、今は落ち着いて寝てる」と。
 私が帰宅した時は、意識は回復していましたが、まだ立つことはできませんでした。その夜は静かに寝かせました。でもご安心。翌朝は元気な声で▽・w・▽。しっかりと自分の足で立っていました。ひと安心です。歳が歳ですから、ちょっとしたことで体調を崩したり骨折したりするかもしれません。以後、家内は外出を控えています。
 そんなわけで、昨日は近所を散策するに止めました。カメラをもってお出かけです。桜花爛漫の季節、街中が華やかに見えました。公園の桜はすべてソメイヨシノです。この街に引っ越してきた頃に植えた苗木が、いまは立派な花を咲かせて街の人を楽しませています。

 巻第一 春歌上
  見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(素性法師)
 巻第二 春歌下 
  久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)

 小高い丘から都の春の景色を眺めて詠んだ歌、散っていく桜の花に思いを馳せて詠んだ歌。「古今和歌集」の一節ですが、身体全身で季節の変化を感じる。豊かな感性、心の豊かさ。現代に生きる私たちには少し欠けているのかもしれません。何かに急かされている間に時間だけが徒に通り過ぎていきます。
 公園の横の崖っぷちに、山桜が一本あります。一昨年、市の悪役お代官様がやって来て、大きな幹を選定してしまいました。でも桜木の生命力は凄い。今年は若枝に白い桜を咲かせて復活です。素晴らしい。そんな山桜を見ると、小林秀雄の「本居宣長」を思い出します。
 今日は朝からしとしとと雨が降っています。カーテンをあけると外はどんよりとした空模様です。そんな朝は気楽に聴ける曲がお似合いです。LP「ハンガリー舞曲 ホラ・スタッカート」を取り出しました。珠玉のオーケストラ名曲集といったところでしょうか。ハンガリー舞曲、メヌエット、夜想曲、ポルカ、ガボットなど聞いたことのある曲が2、3分毎に入れ替わります。さらっとした休日の朝、ブログ更新にとりかかりました。


 庭では、今年もアケビの花が咲いています。冬に地植えしたライラックも、青々とした葉っぱの間から花芽がでてきました。今年も何事もなく65回目の春を迎えました。と、ブログ更新を終えようとすると、雨も止み、空が明るくなってきました。

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