心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

手の甲を摘まんで「老い」を思う。

2023-08-28 23:55:28 | Weblog

 旧暦では立秋を過ぎて「処暑」を迎えています。つまり、ようやく暑さの峠を越えて少しずつ過ごしやすくなる季節ということのようです。確かに、空を見上げると秋の風情を感じますが、どうなんでしょう。まだまだ暑い日が続きます。時に途方もない夕立に見舞われることもあります。お天道様はいつも気紛れです。
 そんなある日、朝のお散歩で近所のお不動さんに行くと、境内にいちょうとドングリの幼実が落ちていました。一瞬の暴風雨の仕業なんでしょう。愛おしく思い写真に収めました。
 そんな季節に暑気払いと銘打った呑み会がありました。もちろん参加者は元気なシニアたちばかり20名ほど。心斎橋のイタリアンレストランに集い、楽しいひと時を過ごしました。一時期コロナで閑古鳥が鳴いていた心斎橋筋商店街ですが、いまは多くの外国人観光客で賑わっていました。でも、友人いわく「以前は大量の薬や電気製品が詰まった紙袋をいくつも持って歩いていたのに、今はみんな手ぶら」と。爆買いという時代は終わりを告げて、日本を街を楽しんでいらっしゃるご様子でした。
 さて、話はがらりと変わりますが、いつも一緒に楽しく仕事をしている方の手の甲を何気なく見て、人の「老い」について考えました。他人のことは言えません。私自身73歳になって自分の「老い」を思います。小さい頃よく面倒をみてくれた近所のお婆さんの手を、私はいつも不思議そうにみていました。時々甲の皮膚を摘まんでみますが、なかなか元に戻らない。以後、母や父の甲の皮膚を摘まんでお婆さんとの違いを比べたりしたものでした。
 健康チェックのために、自分の甲の皮膚を摘まんで老い具合を見たりします。若い頃は摘まもうとしても摘まめませんでしたが、最近になってやっと少しだけ摘まむことができます。でも、あっと言う間に元に戻ってしまいます。まだまだ若いということなんでしょう。でも、いずれ元に戻るのに時間がかかるようになってきます。「老い」は着実にやってきます。
 ネットで調べてみると、手の甲は、外部にさらされる時間が長く紫外線などの影響も受けやすいので、歳とともにハリや弾力を失い、老化を示す一番分かりやすい部位なのだそうです。人の人生の縮図が手の甲にあるのかもしれません。近所のお婆さんのことが急に思い出されました。半世紀以上も前の、古き良き時代の風景がぼんやりと頭の片隅に浮かんできます。
 悲しいことに、癌で亡くなる直前の母の手の甲は摘まんでも長い間元に戻りませんでした。それが私とのお別れでした。数年前に癌の疑いがあるポリープを摘出して以後、私も定期的に通院検査をしています。先日の3カ月検診では大きな指摘もなく、ひと安心でした。でも病院に行くたびに自分の「老い」を思います。そんなとき、待ち時間についつい手の甲を摘まんでしまいます。

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