ことし初めての日曜日、快晴の朝を迎えました。といっても、ついさっきまでは、寒い朝霧に覆われ、屋根にはうっすらと霜のあとを確認することができるほどに冬の景色でしたから、どことなく開放感のようなものが漂っています。いよいよ2008年という年の始まりです。
それにしても、お正月はずいぶんとお神酒をいただきました。元旦から新年互礼会が始まり、4日、そして昨日、明日もまた広島に出かけます。その合間には、初孫を含めて家族でのお正月。楽しいひと時を過ごしました。そんなわけで、ことしは2日に初詣にでかけました。今年の運勢は『小吉』でした。ここ数年、小吉が続きます。仔細に読んでいくと、「晴れ渡る 月の光に うれしくも 行く手の 道の さやかなりけり」。「闇くて(くらくて)見えない道も月がさし初め、明るくなる如く幸福(さいわい)次第に加わる運ですから あせらずさわがず静かに身を守って進むべき時に進んで何事も成就すべし」。
ここ数カ月、溜まりに溜まったイライラ感を、今年こそは爆発させようかと考えていた矢先の、この小吉です。少し考え込んでしまいました。「我意を張れば損有」「自己の弱さに負けず勉学せよ」。ここはぐっと我慢して、ひたすら勉学に励むべきか。それとも一挙に革命的な進展をめざすべきか。なんとも悩ましい限りです。
そんな複雑な思いを抱きながら、ふらり近所の書店に出かけ、ぼんやり雑誌を眺めていたら、「ユリイカ」という雑誌に目がとまりました。1月号の特集記事は「南方熊楠」です。わたしには、博物学者としてではなく、壮大な世界観を追い続けた拘りの思想家としての彼の生きざまに深い関心があります。強烈な知的好奇心をぞんぶんに発揮しながら、後年、「曼荼羅」の中に独自の世界観、宇宙観を見出した彼の思索に関心があります。この雑誌「ユリイカ」をぱらぱらとめくりながら、そう、思考の座標軸を見失うことなく、情に走ることなく、極めて冷静に事態をみつめ、次の手を考えることの大切さ思いました。「小吉」の今年1年の我が身の振る舞いを考えました。
さあ、少し緩んだ「こころ」の紐を、寒気の中でぴしっと引き締めて、新しい年の第一歩を踏み出すことにいたしましょう。
それにしても、お正月はずいぶんとお神酒をいただきました。元旦から新年互礼会が始まり、4日、そして昨日、明日もまた広島に出かけます。その合間には、初孫を含めて家族でのお正月。楽しいひと時を過ごしました。そんなわけで、ことしは2日に初詣にでかけました。今年の運勢は『小吉』でした。ここ数年、小吉が続きます。仔細に読んでいくと、「晴れ渡る 月の光に うれしくも 行く手の 道の さやかなりけり」。「闇くて(くらくて)見えない道も月がさし初め、明るくなる如く幸福(さいわい)次第に加わる運ですから あせらずさわがず静かに身を守って進むべき時に進んで何事も成就すべし」。
ここ数カ月、溜まりに溜まったイライラ感を、今年こそは爆発させようかと考えていた矢先の、この小吉です。少し考え込んでしまいました。「我意を張れば損有」「自己の弱さに負けず勉学せよ」。ここはぐっと我慢して、ひたすら勉学に励むべきか。それとも一挙に革命的な進展をめざすべきか。なんとも悩ましい限りです。
そんな複雑な思いを抱きながら、ふらり近所の書店に出かけ、ぼんやり雑誌を眺めていたら、「ユリイカ」という雑誌に目がとまりました。1月号の特集記事は「南方熊楠」です。わたしには、博物学者としてではなく、壮大な世界観を追い続けた拘りの思想家としての彼の生きざまに深い関心があります。強烈な知的好奇心をぞんぶんに発揮しながら、後年、「曼荼羅」の中に独自の世界観、宇宙観を見出した彼の思索に関心があります。この雑誌「ユリイカ」をぱらぱらとめくりながら、そう、思考の座標軸を見失うことなく、情に走ることなく、極めて冷静に事態をみつめ、次の手を考えることの大切さ思いました。「小吉」の今年1年の我が身の振る舞いを考えました。
さあ、少し緩んだ「こころ」の紐を、寒気の中でぴしっと引き締めて、新しい年の第一歩を踏み出すことにいたしましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます