心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

人の心を繋ぐもの

2008-05-04 22:02:03 | Weblog
 つい1カ月ほど前までは、時間が止まったように見えた樹木が、いま、青々とした柔らかな葉っぱを広げ、おてんとうさまの光を浴びて生き生きとしています。そんな樹木の下を、愛犬ゴンタと二人でゴールデンウィークのお散歩を楽しんでいます。
 この連休には、横浜から次男君がご帰還とあって、長女夫妻も孫を連れてやってきました。久しぶりに賑やかな我が家です。孫も6カ月を過ぎ、寝返りもなんなくこなし、あとちょっとで「お座り」ができるまでに成長しました。お祖父さんを見て二コリを笑みを浮かべてくれると何とも可愛くて、このところ優しいお祖父さんぶりを発揮しております。(^^♪
 明日は「子供の日」ですが、考えてみると、私自身は、父親と一緒に遊んだ思い出が、そう多くありません。ずいぶん歳をとってからの子供でしたし、父親自身が企業戦士の真っただ中にあって家族を省みる年齢でもなかった、とは後日談ですが、明治生まれの人ですから、ある意味仕方ないと割り切ってきました。
 それでも、5月の連休には田舎に1週間ほど帰ってきました。その間は、山の樹木の成長ぶりを確かめるために森林組合の方を連れては「山歩き」をするのが、父の楽しみでもありました。それに愛犬ゴローと一緒に同行するのが、私の役目でした。ずいぶん山の奥まで入っては、村の方にいろいろ話を聞いていました。当時、あかげら(キツツキの一種)の被害が広がっていたこともあって、その話だけは子供ながら耳を欹てて聞いていた記憶があります。
 そんな山道を歩いているとき、父が道端に咲く濃紫のスミレの花を見つけて「こんなに色の濃いスミレは初めて見た」と、しばし座って眺めていた姿が、どういうわけか私の記憶のなかに鮮明に残っています。汗ばむほどの春の陽の下、ウグイスの谷渡りの鳴き声が木霊のように山並みに響き渡る。そんな光景を思い出します。その道端に座って、みんなでおむすびを食べたことも覚えています。小さな頃の思い出は、この歳になると断片的になってしまいますが、なぜか、この光景だけはよく覚えています。私の数少ない父親との思い出だからでしょうか。
 人間、家族、社会、共同体...。人の繋がりというものは、不思議なものです。それを繋ぐものとはなんでしょうか。生物学的にはDNA。でもそれだけじゃあない。欧米にならって契約説を唱えましょうか。いえいえ、精神論的な、価値観あるいは理念、いや、もっと現実的には宗教心?。こう考えていくと、限りなく理屈の世界に入ってしまう。とりあえずは、家族を起点にしておきましょう。
 でも、人間社会には、ときどき、これを壊す動きが浮上することがあります。理屈をつけては相手を攻撃する人が出てくる。でも、ちょっと待って。それってあなたに問題があるんじゃあないの、と思うことも何度かあります。人を貶めるだけの主張は、人間社会を壊します。こんな場面に出会うと、この歳になっても、大人の世界はどうも好きになれません。
 孫の透きとおった目をみていると、ほっとします。孫は、お祖父さんを見つけると、二コリと笑みを浮かべて両手を差し出してくる。だっこのおねだりです。そんな素直な意思表示を受けて、だっこをしないお祖父さんっていないですよね。ゴールデンウィークは、ときに普段の生活で忘れがちな「こころ」の大切さを気づかせてくれました。
 きょうは、昼間は皆でお出かけでしたので、この時間のブログ更新となりました。BGMは、久しぶりにセルゲイ・プロコフィエフの交響曲第1番二長調「古典交響曲」作品25を選びました。2台ピアノ編曲版で、マルタ・アルゲリッチと伊藤京子さんのデュオです。CDのタイトルには「こどもたちへ」とあります。
コメント    この記事についてブログを書く
« 星空コンサート | トップ | 心の整理 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿