山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
誰でも知っている夏目漱石の「草枕」のフレーズです。何年前だったでしょうか。新聞広告で見つけた横田庄一郎著「「草枕」変奏曲~夏目漱石とグレン・グールド」(朔北社)に出会いました。天才的なピアニストと言われ脚光を浴びたグールドが、31歳の若さでコンサートの舞台から遠ざかり、レコーディングやラジオ番組制作に傾倒していった不思議な生き仕方に以前から関心を抱いていた私にとって、グールドの愛読書のひとつが「草枕」だったことに驚きました。梅雨も間近い昼下がり、長椅子に身体を委ねてグールドが奏でるバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴きながら再読しました。
ひと口に「ゴルトベルク変奏曲」と言ってもいろいろあります。グールドがデビューの発端になったニューヨーク・コロンビア30丁目スタジオでの1955年録音盤、ヨーロッパ演奏旅行のときザルツブルクで録音した1959年録音盤、再びニューヨークのスタジオで録音した1981年盤があります。ちなみに、今夏開催されるザルツブルク音楽祭は100周年を迎えるそうです。そのための旅行企画もあるようです。今夏は無理でも一度は出かけてみたいものです。
その翌年1982年の秋、グールドは脳卒中で亡くなりました。50歳でした。ピアニストとしてデビューした時、そして亡くなる間際。グールドは同じ「ゴルトベルク変奏曲」を2回録音しました。その2曲を聴き比べると曲想が全く異なります。この違いはいったい何だろう。グールドの心の変遷が伝わってきます。
繊細でありながら奇人変人とも言われたグールドの人となりを、文字と音から迫る。こんな時間を楽しめるのも、コロナ禍のお蔭かもしれません。いやいやシニアの特権かもしれません。.....次に取り出したのはDVD「グレン・グールド~天才ピアニストの愛と孤独」でした。グールドの50年の歩みを2時間余りの映像で振り返ります。
この日は、文字と音と映像を通じて立体的にグールドに対峙したことになります。謎めいた心の在り様、一貫して自分らしさを追い続けたグールドの生き様、その純粋さ。何かに縛られることを嫌い、ある時期は既婚者とその子らと一緒に暮らしたこともあったけれども、生涯結婚という選択肢を選ばなかったグールドでした。
そんなグールドの枕元には後年「草枕」がありました。見知らぬ東洋文化への憧れではなく、まさに生き仕方のバイブルとして「草枕」はあったんだろうと思います。そんなグールドの生き仕方と私自身の70年にもなろうとする人生を振り返ってみる。重なりあうところがある一方で、私には理解不能な世界もある。でも、音楽と通じてグールドの純粋性はしっかりと受け止めることができます。
先日、近所の本屋さんを覗きました。文庫本コーナーの一画で目にとまったのは平野啓一郎著「本の読み方~スロー・リーディングの実践」(PHP文庫)でした。量の読書から質の読書へとあります。
考えてみると、私もこれまで何かに急かされるように本を貪り読んできたような気がします。それが我が人生にどう活かされているかと言えば心もとない。思考の幅は広がったかもしれませんが、一冊一冊の本から得たものは意外と朧気です。
「ポスト・コロナ時代」と言われる昨今。「そんなに急いでどこに行く」。「スローライフ」「スローリーディング」。気長に楽しく時間を大事に過ごしたいと思っています。
きょうはこれから久しぶりに京都に出かけてきます。ということで、出かける前のひと仕事、ブログを更新しておきました。