ポルトガルからスペインへの道はいろいろあるが、一番の近道は世界遺産の指定されたエヴォラ(Evora)を通ってスペイン国境の町バダホス(Badajos)へ抜ける道、この道は過去何度も行き来しているので今回の帰国には緑の線で道を示したい。
バダホスから昨年一週間滞在したカセーレスまで直線の近道を通る。一日450Kmを一気に走り抜けた。
この初日は相変わらずのポルトガルの春、空はぬけるほど青く国道は車が少ない。乾燥した畑はオレンジ、オリーヴ、ブドウ、コルク樫の林のみ、これがどこまでも続いている。
時々中世の立派な城下町が現れたりするが、バイパスを通り抜けるだけ。エヴォラの北では大理石の採石地が続き、大小の石はまるでゴミ箱をひっくり返したみたい。
バダホスからカセーレスへの一直線の道(EX-100)は起伏も少なく、町や村も少ないため、交通量が少なくて快適なドライブだった。
カセーレスの町の入り口で大きなスーパーに入りポルトガル、スペイン最後のショッピング。昨年スペインからポルトガルへ行った時、ディーゼルはスペインのほうが安かった。昨今のポルトガルの財政困難と石油の世界的高騰でポルトガルはこの2年ほどガソリンやディセルの値段が上がっている。だからスペインまで来て入れたのに今回はスペインのほうがもっと高くなっていた。
カセーレスのキャンプサイトで一泊し翌朝セゴヴィア(Segovia)の北東400kmのリアザ(Riaza)のキャンプサイトを目指す。
地図ではカセーレスの北から斜め直線にスペインを横断する国道N110が一番早そう。
3月21日は私たちの39年目の結婚記念日、空も快晴、カセーレスから35kmほどで大きな谷川を横断、このテージョ河はポルトガルのリスボンに流れ込むと聞きリスボンを懐かしく思い出しながら先を急ぐ。
N110の始まるプラセンシア(Plasenncia)の町は特別大きな大聖堂が町を圧巻している。立ち寄ってゆけないのが残念。ここから谷川に沿った道は二車線の田舎道で両側には高い山が連なりその山の両壁面が山頂近くまでしっかり耕やされ段々畑になっている。そしてここは村から村へとすべての段々畑が桜の木で、まだほとんどはつぼみだが、さくらんぼの大収穫地なのだと気がついた。
さくらんぼの実る桜の花は観賞用の桜ほど華やかさが無く、早いのは白っぽい花が咲いている。でもこれだけの山肌を埋め尽くす桜が一辺に咲いたら見事だろう。
道は進むに従い谷間が迫ってきて前方の山に暗い雲が湧き上がってきた。そして深い谷間の道は急激なジグザグの登り道になり、山頂の1275メータでは冷たい霧雨になっていた。
山頂の見晴台から見下ろす風景も、晴天だったらどんなに素晴らしいだろう。急激な天気の変化と直線であるはずの道路に驚きつつ、通り過ぎた城下町の薬局の看板の温度計が0度を示していた。
そこから200kmほど天気はどんどん悪くなり道路わきは雪で白くなり部分的にボタン雪が降ったりした。でも道路はぬれた状態で水蒸気が立っていて雪が積もることはなかった。
急な雪でキャンプサイトが閉まっていなければ良いがと心配しつつ午後3時過ぎやっとたどり着いた。雪は今朝から降り出したと言う。
キャンパーをサイトに停めるため指定の地にキャンパーを乗り入れた途端雪にタイヤが空回り動けなくなった。サイトの人たち数人がかりで雪の中から押し出してくれ、今夜はサイトの道路わきに駐車することにした。悪いことは重なるもので、衛星放送受信機をキャンパーの屋根に取り付けるのにソファーの上に登っていた亭主が滑り落ちて左腕を打撲皮膚の2箇所をえぐってしまった。
この39年間で最低の結婚記念日になってしまった。