りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

はだしのゲン。

2023-08-06 | Weblog




家の本棚に、3冊だけある。


10巻のうちの、2巻・3巻・4巻。


誤解を恐れずに言えば、この3冊を読むだけでも、原爆というモノがいったいどのようなモノなのか、否応にでも分かると思う。


最近、広島市の平和教育副教材から、この漫画が削除されたそうで、その波紋が広がっているとのこと。


詳しい経緯や理由はよく知らないのだけど、新聞やニュースを見た限り、直接的ではないにしろ、どうやら政治的な理由が見え隠れしている様子。


しかし。


普通に暮らしていた人々が一瞬で命を奪われ、生き残った人々を後々まで原爆症で苦しめている理不尽な悲劇を前にして、政治的なイデオロギーなど関係ないと思うのだが。


悲惨な事実を知らないまま、原爆が落とされた年号や犠牲者の数だけを記号のように暗記した人間を増やしていったところで、それがいったい何になるのか。


原爆で亡くなった親戚を持つ者としては、そう思う。


今日は、久しぶりにこの本を読みながら、静かに過ごそうと思います。




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これ、どーなのよ?

2023-08-01 | Weblog
スマホでYahooニュースとかを見てたら、最近この広告がしょっちゅう出てくる↓



最近、わが家の外壁汚れが気になりはじめたので、先日、家の外壁塗装についてスマホで検索したのがきっかけなのだと自分でも分かっているのだが、問題はそういうことではなく。

この広告の画像を見て、〈あれ?〉とか、〈ん?どこかで見たことがある…〉と思われた方もいるのではないだろうか。

そして、そう感じた方は、おそらく同世代で音楽が好きな方ではないだろうか。

なぜそう推測したかというと・・・↓



今からもう40年も前のアルバムだから、バレないとでも思ったのかね。

最近、色々と世間から叩かれた達郎さんも、さすがにこれは怒るかもよ(笑)
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You are so beautiful.

2023-07-18 | Weblog
出会ったのは、ワタシが26歳の時だった。

今の会社に転職して半年が過ぎた頃。
ロクなデザインを作れなかったワタシを見かねた会社の先輩が、「ついて来い」と、その人の事務所へワタシを連れて行ってくれた。

事務所といっても、自宅の一室を改築したデザインルーム。

長大なモノトーンのデスク、その横にはエアブラシの道具一式。小さなライトテーブル。その上に無造作に置かれているカラーチャートや英文字の雑誌や古いレコードジャケット。
その奥には棚があって、なんのための道具なのかよく分からない銀色に光る機械がいくつも並んでいた。

1994年。

足音はすでに聞こえてはいたが、パソコンで自在にデザインをするような時代は、まだ地方のグラフィックデザイン業界には訪れてはいなかった。

「Sです」

その部屋の主は、ワタシにそう挨拶をしてくれた。

がっしりとした偉丈夫な身体つき。
低くて野太い声。
そして何よりも驚いたのが、髭を蓄えたその顔。

「勝新太郎の弟です」

と笑いながら自己紹介したその顔は、本当によく似ていた。
もちろん、なんら血の繋がりはない、赤の他人だったのだけど。

そんな全身から溢れる威圧感とは裏腹に、初対面の、しかもデザイナーとしてはまだまだ駆け出しのワタシに、Sさんは気さくに色々な話をしてくれた。

ワタシより10歳年上であること。
大阪芸術大学を首席で卒業したこと。
大阪のデザイン会社に数年勤めた後、フリーランスになったこと。
デザイナーやイラストレーターとしての仕事の傍ら、ジャズピアニストでもあること。
地元の企業やイベントのポスターから、福山ばら祭りなどのロゴマーク、地ビールのパッケージデザイン、洋服の青山のCM、来生たかお・岩城滉一・中村雅俊のアルバムジャケット・・・など、今まで手がけた仕事のこと。
クルマは古いBMWに乗っていること。
タバコはショートホープしか吸わないこと・・・etc.


オトナ、だった。


当時、まだ学生気分が抜け切っていなかったワタシにとって、それまでに出会った人の中で、群を抜いて〈オトナ〉の匂いを感じる人だった。


          ◆


以降、ワタシは時折りSさんの事務所に顔を出すようになった。
会社勤めで、しかも社内で1人だけの“デザイナーもどき”だったワタシにとって、Sさんは自分が持っていないモノを全て持っている〈先生〉のような存在だった。

しかし、事務所に長く居続けても、仕事やデザインの話はほぼ皆無。
なぜなら、事務所の中は所ジョージの〈世田谷ベース〉ばりにありとあらゆる〈男のおもちゃ〉が溢れていたからだ。
部屋の中に転がる腕時計やミリタリーグッズや用途不明な機械や小物を手にしながら、ワタシとSさんは生産性のない取るに足りない雑談の花を、仕事も時間も忘れてひたすら咲かせ続けた。


          ◆


それでも、たまには仕事の相談にも乗ってもらった。
ある時、どうやっても上手くいかない、自身が腑に落ちるモノが創れなかった時のこと。
Sさんの事務所に赴き、制作途上だったそのラフデザインを見てもらった。

「ダメだね」

ラフデザインを見るや否や、Sさんはそう言って一蹴し、そしてこう続けた。

「仕事を真面目にすることは、もちろん大事。でもね、りきるくん、その前に、もっと遊ばなきゃ」

安易に優しいアドバイスをもらおうとしていたワタシは、その言葉の意味すら分からなくて、ますます混乱してしまった。


          ◆


25年前。
ワタシが結婚した直後。
滅多に来社することがなかったSさんが、突然ワタシが勤める会社にやって来た。

「おー、おめでとう」

自分のデスクから受付カウンターへ顔を出したワタシの顔を眼にするや否や、Sさんはそう言って手にしていたシャンパンをワタシに手渡し、そして

「じゃあね」

と、笑顔で軽く手を上げると、瞬く間に会社を後にした。


          ◆


15年ほど前。
いよいよ、インターネットがメディアのメインストリームとなりはじめた頃。

全国のクリエイターから作品を募るサイトを見つけたワタシは、そのサイトを通じて自身の作品の発表をはじめた。
そのことをSさんに伝えたところ、興味を持ったSさんもそのサイトに参加することになり、全国のクリエイターに混じってそのサイトで作品の発表をはじめた。

それから数年後、そのサイト主催の共同個展を東京で開催することになり、ワタシとSさんも作品を出品し、開催期間中、ワタシも上京し会場へ訪れた。

原宿の小さなギャラリーは予想以上に盛況で、その中でもギャラリーの最奥に掲げてあった作品の前には、立ち止まって鑑賞する幾人もの人がいた。

Sさんの作品だった。

ワタシの作品も含めて、比較的分かりやすい、来場者に迎合的な作品が大半だった中で、Sさんの作品は明らかに異彩を放っていた。
入口のすぐ横に掲げてあったワタシの作品に立ち止まる人なんて、ほとんどいなかった。

勝負で言えば、完敗。コールドゲーム。

それでもワタシは、嬉しかった。
Sさんと初めて同じ土俵で勝負ができたことが、何よりも嬉しかった。  


          ◆


数週間後。
個展の報告も兼ねて、ワタシはSさんと呑みに行った。

Sさんと初めての呑み。しかも、サシ呑み。
その時の詳細を話すのは無粋のような気がするので、ここでは話さない。

ひとつだけ言えば、Sさんと過ごしたあの時間は、ワタシの宝物だ。

自分が〈オトナ〉になったと実感した酒の席は、後にも先にも、Sさんと過ごした、あの時だけだ。


          ◆


ワタシは〈広告業界の人間〉としてSさんと繋がった人間なので、ジャズピアニストとしてのSさんとはあまり縁がなかった。

出会って間もない頃にあったイベントでのライブ。
尾道港にあった古い倉庫で開催されたライブ。
ホテルのディナーショーでのライブ。
・・・ワタシがジャズピアニストのSさんと接したのは、この3度のライブだけだった。

「ライブやるから、おいで」

Sさんからそう誘われて、近所のライブハウスへ出かけたのは、今から8年前。
狭いライブハウスは満席。そして、大盛況。
お酒片手にほろ酔いのジャズピアニスト・Sさんも上機嫌だった。
本編が終了し、アンコールを求められたSさんは、ピアノの弾き語りで歌いはじめた。

「You are so beautiful」

初めて聴くSさんのボーカル。
本家のジョー・コッカーに負けず劣らずの太く低く、そして暖かいその歌声に、不覚にも涙腺が緩んだ。


          ◆


Sさんが、入院した。

共通の知り合いからそう教えてもらったのは、6年前の夏だった。

仕事終わりの夜、お見舞いに行った。
病室の扉を開けると、そこにはワタシが知っている恰幅の良い偉丈夫なSさんはどこにもおらず、その代わりに、痩せてひとまわり小さくなったSさんが、ベッドの上にいた。

「いやぁ、けっこうな血を吐いてねぇ」

まるで天気の話でもするかのような口調で、Sさんはそう言った。

その後、いろんな話をしたはずなのだが、あまり憶えていない。

ワタシにとって無敵のような存在だったSさんの変わりようがあまりにもショックで、それ以外の事柄を記憶することができなかったのだろう。

「退院されたら、また事務所にお邪魔しますね」

そう言って、病室を出たこと以外は。


          ◆


3年前の冬。
ギャラリーのある小さな喫茶店。

Sさんが個展を開かれたと知ったので、久しぶりに陣中見舞いも兼ねて顔を出した。

壁に架け掛けられた、Sさんしか描けない作品たち。
誤解を恐れずに言えば、決して万人に理解はしてもらえそうにない。
だが、なんなのだろう。この五感を強烈に惹きつけられる不思議な引力は。

Sさんは、元気そうだった。

血色も良さそうだったし、体格も少しだけ元に戻ったように見えた。

お酒はやめた、とSさんは言った。
淡々と、少し寂しそうに。ショートホープではなく、電子タバコを燻らせながら。

「まぁ、りきるくん、何とかなるもんよ」

そう言ったSさんの背後に、Sさんが描いた一幅の絵が掲げてあった。

暗闇の中で、仄かに灯るランプ。
弱々しくも暖かく灯る、漆黒の中の、古いランプ。



          ◆



今年。
6月中旬の日曜日。

ワタシは久しぶりにSさんの自宅兼事務所へお伺いした。
事前に約束した時刻に到着したら、一緒に暮らしておられる家人の方が迎えてくださった。

Sさんとワタシがいつも座って談笑していた、リビングの広く長いモノトーンのテーブル。
その横に、真新しい祭壇。


その上に、小さな箱になったSさんがいた。


〈お、いらっしゃい〉と、今にもワタシに話かけそうな優しい横顔の遺影とともに。



          ◆



その前の週、とある知人から連絡が突然届いた。

〈Sさんが亡くなった〉

ご家族やごく親しい友人や音楽仲間に見守られて、Sさんは静かに旅立たれたのだった。

亡くなられてまだ間もないというのに、家人の方は気丈に振る舞わってくださり、時に笑顔まで見せてくださった。
ワタシはアホなので、それにつられて何も考えずに、家人の方が知らなさそうなSさんとの面白話を能天気に話してしまった。

でも、亡くなる数日前に、気力と体力を振り絞って、病院のロビーで音楽仲間と最期のジャズライブを開催した話や、病室に大好きなジャズが流れる中で、静かに旅立ったという話を家人の方が話された時には、さすがに息ができないほど胸が熱くなり涙腺が緩んでしまった。


最後の最後の最後まで、SさんはSさんの人生を生ききったのだ。


帰り際、家人の方が、とあるものをワタシに譲ってくださった。
それは、個展の時に制作した招待状と、手帳カバーだった。



見憶えのある手帳カバーだった。
Sさんがスケジュール管理をしていた手帳に使っていたような記憶がある。
本革の、使えば使うほど味わい深くなってゆく、そんな〈オトナの男〉が使うべき手帳カバーだ。



          ◆



結婚祝いにシャンパンをもらった数日後、当時地元のコミュニティFMでSさんが持っていた音楽番組をクルマを走らせながら聞いていたら、放送開始の開口一番で〈りきるくん、結婚おめでとう〉と流れてきて、驚きのあまりに事故りそうになったこと。



SNSでSさんが〈昔、ジェームス・ブラウンそっくりの駄菓子屋のおばちゃんがいた〉という投稿をしていたので、〈僕のおばあちゃんはボ・ディドリーにそっくりでした〉と写真付きでコメントしたら、真夜中に携帯電話が鳴り、出てみると電話の向こうから〈おい、ボ・ディドリーはないだろう〜〜!〉と、ちょっと酔っ払った泣き笑いのような、本当に楽しそうなSさんの声が聞こえてきたこと。



〈Sさんは、僕のお師匠さんですから〉とワタシが言うと、〈だったら、授業代を払え〉と、いつも笑いながら答えてくれたこと。



ワタシのこのブログにも、コメントをたくさん残してくれたこと。





          ◆





Sさんと知り合って以来(ということは、ほぼこの仕事に就いて以来)、デザインで壁にぶつかった時、〈Sさんなら、どうするだろう〉と考えるのが常だった。
もはやそれは、癖になっていると言ってもいい。そしておそらくこれからも、それが治ることはないだろう。

そんな時、決まってSさんが言っていたある言葉を思い出す。
もしかしたら、ワタシがSさんから最も多く聞かされた言葉かもしれない。

その言葉を最後に記して、この日記を終わりたいと思う。



〈デザインはね、何を使っても、何をやってもいいんだよ。でも、ひとつだけ絶対に守らなければいけないものがある。それはね、出来あがったものが、美しいこと〉



Sさん・・・酒井浩志さん、ありがとうございました。
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ひまわりの歌。

2023-07-16 | Weblog
脳出血を起こして、そこから復活することがどんなに大変なことなのか、きっと僕は知らない。

右半身が麻痺したのに、以前と同じようにステージで歌うことがどんなに大変なことなのか、もっと僕は知らない。

でも、以前と同じようにキーボードを弾きながらではないけれど、オリジナルの自作曲「ひまわりの歌」を懸命に歌うおたみさんの姿と歌声に、自然と目頭が熱くなった。



          ◆




「ステージに復帰する時は、必ず行くから!」
去年の春、おたみさんが倒れて間もない頃、僕はそうメッセージを送った。

当時のおたみさんは、身体を動かすどころか、言葉を話すこともままならない状態だったはず。

我ながら、なんて能天気で軽薄なメッセージを送ってしまったのだろうと、今でも思い出すと嫌になる。

「近いうちにご飯を食べましょうよ」

「今度、絶対会いましょうね」

オトナになってからというもの、こんな社交辞令にもならないような嘘を、僕は山ほどついてきた。

おたみさんは、その生き様を通して僕に人生というものを教えてくれた年上の先輩であり、大切な友人だ。

そんな人に、今までと同じような嘘をつけば、僕は人間としてとてつもなく大きな何かを、きっと一度に全て失ってしまう気がした。

・・・いや、そんな理屈は、どうでもいい。

何よりも、以前のようにステージで歌うおたみさんの姿を、僕はただただ見たかった。

今日。
僕は朝早くに家を出て、クルマで広島へ向かった。

そして、僕が〈ねーさん〉と呼んで慕っている、おたみさんの友人のてづりんさんも、僕と同じように・・・いや、僕以上のおたみさんへの想いを胸に、はるばる東京から駆けつけて来られた。

広島市内で合流した僕とねーさんは、一緒に小さなライブハウスへ向かった。

良いライブだった。

身体だけでなく一度は心も壊れかけた人がここまで歌えるようになるためには、いったいどれほどまでに頑張ったのだろう。

経験したことがない僕には分からない。
安易なことは絶対に言えない。

ただ、ひとつだけ。

ステージ上で、おたみさんは客席に向かって、何度も何度も涙を流しながら「ありがとう」を口していた。

何を言ってるんだ。

それは、こっちのセリフだよ。

おたみさん、本当に、ありがとう。

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時空の歪みのお店。

2023-06-28 | Weblog
昨日の「マツコの知らない世界」で特集をしていた、広島お好み焼き。

広島県民なので、もう数えきれないほどお好み焼きは食べてきたのに、昨夜の放送を見てからというもの、無性にお好み焼きが食べたくて食べたくて食べたくて、仕方がなくなっていた。

なので、今夜の夕食は、お好み焼き。



自家製ではなく、お持ち帰りを家族ぶん買って帰った。

お店は、同じ町内のお好み焼き屋さん。



観光客向けのような店ではなく、幹線道路から外れた裏通りにある、地元の人しか知らないようなお店。

どんな食べ物屋さんでも、本当に美味しいお店はこういうお店なのだ。

・・・とエラソーなことをのたまっているが、このお好み焼き屋さんに訪れたのは、実は中学生の時以来😅

実に、ナント40年ぶり(笑)

当時このお店の近くの塾に通っていて、その行き帰りに、同級生達と食べに来ていたのだ。

久しぶりに店の扉を明けるや否や、いやー驚いた。

店内の雰囲気が40年前と同じだっただけでなく、お店の主も、40年前と同じおばちゃんだったのだ。

一瞬、時空の歪みに落っこちてしまったのかと思った(笑)

しかし、帰宅後、すぐに食べて納得。

やっぱり、時空の歪みに存在するようなお店のお好み焼きは、間違いない。

美味しゅうございました。
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謹賀新年 2023

2023-01-01 | Weblog
新年明けましておめでとうございます。

画像は、我が家の今年の年賀状のデザイン。

昨年、娘が社会人になり、息子が大学進学で家を出たので、送り名はワタシと妻の夫婦のみ。

しかし、久しぶりの夫婦だけの連名は、照れくさいというか、まだ違和感を感じるので、昔の我が家の年賀状でよく使っていた似顔絵イラストを登場させて、そんな心持ちを誤魔化してみました(笑)

思い返せば、年賀状の送り名が夫婦だけになったのは、結婚した年以来、25年ぶり。




・・・ん? 25年?




そうか。

オレら、今年、銀婚式か。

思えば遠くに来たもんだ(笑)


厄介な事がまだまだ多い世の中ですが、出来る限り笑って過ごせる一年にしたいと思います。

今年も宜しくお願い申し上げます。
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4回目と、初めて。

2022-11-26 | Weblog
今日、ワクチンを接種してきた。

4月以来、通算4回目。

巷では、Wカップのドイツ戦勝利の狭間で塩野義製薬が開発した飲み薬が承認されたといったニュースが流れていたようだけど。

もしそれが本当ならば、これを最後のワクチン接種にしたいものだ・・・と思いながら、帰りに実家に寄ったら、母親の元に5回目のワクチン接種の封筒が届いていた・・・。



           ◆



話は変わって、今日、クルマを買った。

まるで、服を買ったような軽い書き方をしてしまったが(笑)、ワタシのクルマではなく、娘のクルマ。

娘にとっては、生まれて初めてのクルマであり、しかも限りなくペーパードライバーに近いので、
とにかく「練習用」のようなクルマを探して・・・と、長年ワタシのクルマの世話をしてもらっているクルマ屋さんに1ヶ月ほど前にお願いしていた。

お店に到着すると、仕入れたクルマが店頭でお出迎えしてくれた。

年式、外観、内装、そして肝心な金額 OK🙆‍♂️
走行距離だけがちょっと引っかかったけど、まぁ「練習用」と割り切れば納得もできたので、購入決定。

思い返せば、このクルマ屋さんでワタシが初めてクルマを買ったのは、今から22年前。
娘が生まれた1年後だった。

当時のワタシは、独身の時に購入した2ドアのクーペタイプのクルマに乗っていたのだけど、さすがにそんなクルマに幼児を乗せるのはいかがなものか?と迷いはじめていた。

そんな時、偶然通りかかったこのクルマ屋の店頭に展示してあったクルマにビビビッときて(古い表現でごめんなさいね w)、そのクルマを購入した。

あれから20数年が過ぎて、その最初のきっかけとなった娘自身が、今日、同じ店で自分のクルマを購入・・・やっぱり、そこはちょっと感慨深いものがあった。

納車は、2週間後の予定。

大切に乗りなよ。

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誰に電話してんだ⁉︎

2022-09-16 | Weblog
昨夜。

突然、スマホが鳴り始めた。
画面には、“090・・・”という、明らかに携帯電話の番号。
だが、名前は表示されていない。

つまり相手は、スマホに登録していない、知人ではない携帯番号。

普段なら、用心をしてそのような電話には出ないのだが、その時は仕事帰りだったこともあり、もしかしたら、お客さんや業者といった仕事絡みの知り合いが、自身の携帯から緊急の用件で連絡してきたのかも・・・という可能性もゼロではないので、あまり迷うことなく電話に出てしまった。
すると、

「突然のお電話、申し訳ありません、りきるさんのお電話でよろしかったでしょうか?」

・・・と、丁寧な言葉遣いの、若い女性の声。

しかも、ワタシの名前をハッキリと口にした。

これは公私のどちらかは分からないが、確実にワタシへの要件の電話だ・・・と理解したので、何の躊躇もなく、

「はい」

と答えた。すると・・・

「ワタシたちは〇〇〇〇という企業でして、この度、婚活専門のセクションを立ち上げました。つきましては、りきる様にもぜひとも素敵な女性と出会っていただきたく、婚活パーティーなどの開催・・・・」



「いや、オレ、結婚してますよ」



「え、あ・・・そ、それは、大変失礼いたしました。それでは、どうも失礼・・・」


「ちょっと、待て❗️」


「はい・・・」


「さっき、オレの名前を言ったよね?何でこの電話番号知ってんの?」


「いや・・・(向こうで何かゴソゴソしている音。誰かに相談してるのか?)」


「もしもし?もしも・・・」









ガチャ。








・・・切りやがった。


なんて電話だ😡

切った直後は、怪訝な表情で首を傾げただけだったが、その後、徐々に徐々が怒りが湧いてきた。

怒りの理由は、ふたつ。

ひとつは、ワタシの名前をハッキリと言ったこと。
これは、電話の向こうの見知らぬ相手の手元に、ワタシの名前と電話番号が確実に存在しているということになる。

どこで手に入れたのか。
これは怒りというよりも、怖さの方が勝る。

そして、もうひとつ。



その入手先が、なんで婚活企業なんだ⁉️



世間の裏側で「独身者リスト」のようなモノが横行しているのだろうか?
もしそうなら、どういう経緯でワタシの電話番号が独身者リストに入ってしまったのか?

そりゃあ、今までの人生を振り返っても、ベラボーにモテモテだった人生なわけじゃないけど、それでも来年、銀婚式を迎えるんだよ。

仮に今から婚活したところで、カミさん以上の女と出逢えるわけねぇだろ、バーカ❗️




・・・・と、模範的な文章で、今日のブログは終わります(笑)




それでは、みなさん、楽しい週末を。
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原爆の日。

2022-08-06 | Weblog
今日は休日なのだけど、それでも午前7時には起きることができた。

午前8時15分。

テレビの前で黙祷。

ワタシの家系では、あの日、父の従兄弟家族が被爆した。
一家全員が亡くなり、父の従兄弟は未だに遺骨が見つかっていない。



写真の本は、たしか、被爆50年目の年に発刊された本だった。

おそらく、小学生くらいが対象年齢の絵本なのだと思う。
当時、ワタシはもう社会人になっていたのだけれど、書店でこの本を眼にするや否や、迷わず購入したことを憶えている。

あれから20数年が過ぎて、最近は本棚で眠っていることが多くなっていたが、今日は、久しぶりにページをめくってみようと思う。

謹んで御霊のご冥福をお祈り申し上げます。
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誰かにあげたお気に入りの服。

2022-07-16 | Weblog
先ほど、チェックインした。

広島、平和大通り沿いのホテル。

2週間ほど前に、ネットで予約した。
3連休の初日なのに、我ながらよく取れたもんだと感心(笑)

 



          ◆





それにしても、広島でホテルを予約して泊まるというのは、違和感というか、居心地の悪さというか、なんだかいつも奇妙な感覚に包まれる。

おそらくそれは、20代の頃にこの街で暮らして、ホントに大袈裟ではなく、街の隅々まで知り尽くしている・・・という変な自負が、いまだに身体の中に残っているからかも知れない。

だからホテルの窓から見える景色も、若い頃に数え切れないほど行ったり来たりしていた馴染みの風景なだけに、ここから眺めていると、なんとも言えない“アウェー感”を感じてしまう。

まるで、誰かにあげたお気に入りの服を、また返してもらって袖を通したような感覚・・・そんな感じだろうか。

まぁ、そんなことを言っても、この街で暮らしていたのは、もう遥か昔。
今から30年も前のことではあるが😅



さて、そろそろ出かけようか。



今日は、そんな30年前に、この街で共に行ったり来たりしていた昔の仲間達に、会ってきます。
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