りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

父の日・・・だったそうだ(笑)

2022-06-19 | Weblog
今日は、「父の日」だった。

今朝、テレビ番組のMCがそう話していて、思い出した次第。

それにしても、「父の日」は、「母の日」に比べていつまでもたっても存在感が薄いのはなぜなのだろう。

それは各家庭での父親の存在感と比例しているからではないか・・・と、ちょっと僻んだ見方をしてしまう(笑)

まぁ、兎にも角にも。

今日の我が家は、いつも通りの日曜日。

だから、せめて自分で自分にこの曲を送ってやろう。

ついで、と言ったらなんだけど、天国の父にも。

個人的な思い出としては、この曲は、30代の頃のワタシのテーマ曲だった。

15〜6年ほど前、ドライブする時にクルマの中でもよくこの曲を流していて、当時5〜6歳だった娘と一緒に大声で歌ってたっけ(笑)

久しぶりに聞いたけど、やっぱりいい曲だな。

⚫︎浜田省吾 『I am a Father』 (2005年)


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条件反射。

2022-04-30 | Weblog
今日は、昨日と打って変わって、いい天気で。

絶好の行楽日和なのだけど、別に何処かへ出かける予定もなく。

午前中、ベランダに布団を干して、朝食のシリアル(ここ半年はダイエットとして、朝はパンやご飯といった炭水化物は食べなくなった)を食べた後、新聞の天気予報を見てみたら、明日の天気は今日よりも不安定な様子。

明日は、義父の命日。

なので、妻と義母と一緒に、前倒しで今日、お墓参りに行って来た。

隣の街にあるお墓と家を往復約60km。

その間のお供に、コイツを携えて。



ここ数年、口にするコーヒーは、もっぱら微糖。

無糖のブラックコーヒーを口にするのは、まだまだ舌が子どもなのか、どうも苦手😅

しかし、コーヒーと言えば、人生の大半をUCCやジョージアのオリジナルといった、ほとんど「コーヒー牛乳」のような“お子ちゃまの味”ばかりを口にして来た人間からすれば、微糖になっただけでも、これは大きな成長だ(笑)

ところで、「微糖」のコーヒーを飲む時、なぜかいつも頭の中で、まるで条件反射のように「あしたのジョー」の主題歌が再生される。


それは、なぜなのか?


分からない方は、この連休の間、じっくり考えてみてください(笑)

それでは、みなさん、楽しいGWを。
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もう、羽織らない。

2022-02-28 | Weblog
先週末から、一気に暖かくなって。

今日、昼休みに外に出て周囲を眺めてみたら、遠くの景色が霞んで見えた。
どうやら春霞もはじまったらしい。

こんなふうに暖かくなると、着る服も考えはじめる。
毎年、春が近づいてくる頃になると、ワタシはこれを羽織ることが多かった。



ミリタリージャケット。

ずいぶん昔に、古着屋で購入した。
本物のドイツ軍のジャケットらしい。

元々、服にしろ小物にしろ、ミリタリー系のモノが好きだったこともあるのだけど、その中でもこのジャケットは、やはり本物だからか本当に丈夫で、汚れてもさほど気にならないので、海だ山だといったアウトドア的な外出時には、必ずと言っていいほど羽織っていた。

だから例年通りなら、桜が咲く前後には、また頻繁に腕を通すことになるのだろうと思っていた・・・が、先週末、もう羽織るのをやめようと決めた。

連日のニュース。

このジャケットを嬉々として重宝がっていた自分が、恥ずかしい。



戦争反対。
絶対反対。
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チョコと整腸剤とチーズケーキ。

2022-02-14 | Weblog
昨日は、キョーレツな腹痛に襲われた。

布団とトイレの往復だけで1日が終わり、夜に試しに体重計に乗ってみたら、たった1日で3kg減っていた。

まぁ、これは痩せたというよりは、身体の中のモノが3kgぶん出ていったということなんだろうけれど(^^;)

そして、今朝。
まだ脇腹辺りに痛みが残っていたので、念のため仕事に出かける前に、かかりつけの病院へ行ってきた。

診察の結果、(おそらく)ウイルス性大腸炎。

公私で疲れが溜まった体調のまま連休を迎えて、ふいに緊張の糸が切れたところにばい菌がお腹に入ってしまったのだろう・・・というのが、先生の見解。

まぁ、そう言われれば、心当たりがあるような、ないような・・・。

診察後、整腸剤を処方してもらって、それを昼食後に飲んだところ、夕方にはお腹の違和感はほとんどなくなって、いつもの体調に戻ったような気がする。

いやー、とりあえず、体調が回復して、オミクロンでもなかったし、よかったよかった(^^;)



仕事を終えて帰宅したら、妻からコレをいただいた。



そうか、今日はバレンタインデーだった。
すっかり、忘れてた。


そういえば・・・


お礼を言ってさっそくチョコレートを口にしていたら、もうひとつ忘れていたあることを、不意に思い出してしまった。


遠い遠い昔。


中1か中2の時のバレンタインデーに、クラスメイトの子から、チーズケーキをもらった。
手渡してくれる時に「自分で作った」と恥ずかしそうに言っていた。
「ふーん」と、その時はそっけなく答えたのだけど、そこはやっぱり思春期ど真ん中。
心の中では天にも昇る気持ちで狂喜乱舞していた(笑)

速攻で家に帰り、自分の部屋でそのチーズケーキを頬張ったのだけど、その夜眠っていたら、突然キョーレツな腹痛が襲ってきた。
翌日も痛みが治らないので、病院で診てもらったところ、先生はたったひと言・・・



「そのチーズケーキだね、原因は」



おかけで、それから3日、学校を休んだ😱


どうやら、ワタシにとってバレンタインと腹痛は、切っても切れない関係らしい(笑)


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誰?

2022-01-03 | Weblog
正月3が日も、終わり。

案の定、食って寝て、食って寝て、食って寝ての3日間を過ごし、年末までに3kg減量した体重も、おそらく元に戻ってしまった様子😅

今年も年賀状をいただきました。
年末のブログにも書いたけれど、年々減りつつある年賀状ではあっても、いただけることは、やっぱり嬉しくありがたいことです。

そんな中で、こんな年賀状をいただいた。


 



よくある普遍的な年賀状(失礼かな?ごめんなさい🙇‍♂️)ではあるのだけれど、他の年賀状とは決定的に違っているところがひとつだけあった。

送り名が書かれていないのである(笑)

宛て先が妻ではなく、ワタシの名前になっているので、おそらくワタシの知り合いなのだと思う。

そのワタシの名前は、プリントアウトされたものでなく、細字のサインペンの直筆で書かれていた。

筆跡鑑定のスキルはないのだけれど、その字の筆圧や雰囲気からして、どうも女性のような気がする。

慌ただしい年末年始の時間を割いて年賀状を作られたから、うっかり自分の名前を書き忘れられたのだろうとお察しします。

このブログをお読みになった方で、“あ、これ私だ!”と思われた方は、どうぞお気軽にご連絡ください(笑)

最後に話は変わりますが、話題の『浅草キッド』、昨夜見ました。

面白かった❗️
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謹賀新年2022

2022-01-01 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。

画像は、今年の我が家の年賀状。

毎年それなりの年賀状を作ってきましたが、今年は著作権フリーサイトの画像を使わせてもらいました(笑)

2022年が皆様にとって素晴らしい年になるようにお祈り致します。

本年もどうぞよろしくお願い致します。
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ええねん。

2021-12-29 | Weblog
この曲を初めて耳にしたのは、いつ頃だったろうか。

もうよく憶えていないけれど、精神的にダウンして快復に向かいはじめた時だった事だけは、今でもよく憶えている。
車のラジオから流れてきたその歌詞に、思わず涙腺が緩んだ。

今月の初め、久しぶりに耳にした。
テレビからふいに流れてきた。


やっぱり、いい曲だな。


画面に流れる歌詞を眼で追いながら、そう思った。

令和3年も、もうすぐ終わる。

誰も言ってはくれないけれど、せめて自分だけは、ちゃんと自分自身に言ってやろう。








今年も色々あったけど、
お前、よく頑張ったよ。









今年もこのブログを読んでいただき、ありがとうございました。
来年が皆様にとってよい年になりますように。

⚫︎ウルフルズ 『ええねん』
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ピークの半分。

2021-12-26 | Weblog
この週末は、年賀状作り。

土曜日の午後は、丸々それに費やす予定でいたのだけど、始めてみれば2時間弱で終わってしまった。

考えてみれば、当選だ。

以前は、毎年100枚超の年賀状を両面プリントアウトしていたのだけど、今年は50枚余り。
そりゃあ、時間も短くなる。

年賀状が少なくなった理由は、2つだと思う。

ひとつめの理由は、差し出す相手が減ったこと。
ここ数年、11月頃になると喪中ハガキが届くことが多くなった。
送り主はだいたい同世代の友人で、届いた文面には、ご両親のどちらかが鬼籍に入られたことが記されてある。
もうひとつは、親戚の方々。
ワタシが幼い頃に我が子のように可愛がってくれた叔父さん叔母さん達も同じように鬼籍に入られて、宛名先のリスト自体から削除してしまわなければならない事も増えてきた。

そしてもうひとつは、年賀状そのものの取り止め。

「来年から年賀状でのご挨拶は遠慮させていただき、ご挨拶はSNSでさせていただきます」

このような一文を添え書きされた年賀状を、今年の正月にけっこうな枚数でいただいた。
その一文に、当然だよなぁと思う一方で、一抹の寂しさも。

まぁ、そんなわけで、今年はピークの半分の年賀状になってしまった。

手前味噌ながら、毎年我が家はけっこう凝った年賀状を作っていた。
それは、ワタシが広告のデザインを生業にしていることが大きかったと思う。
駆け出しの頃に「まがいなりにもデザイナーなんだから、普通の年賀状は出すなよ」と先輩デザイナーから事あるごとに言われていたし、また、日常の仕事はあくまでもクライアントの意向に沿ってデザインをしているので、本来自分が表現したいと思っていたモノを、年賀状を利用して作っていたフシもあった。

しかし、それもこれも、突き詰めれば、「紙」という媒体があってのことだったような気がしている。

その紙でのコミュニケーションが明らかに斜陽に向かっていることを、ここ数年、「年賀状」というモノからもヒシヒシと感じ取ってしまう。

まぁ、それでも、デザイナーとしてセンスがあるかどうかは別として、今年もそれなりの年賀状は作りましたんで(笑)

さて、午後からポストに投函しますか。
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接種。

2021-08-27 | Weblog
本日、1回目のワクチン接種、やってきました。

この時期の接種が、“さっそく”なのか、それとも“ようやく”なのかは、もうよく分かりませんが (^^;)

ワクチン接種が始まった今年の初め頃は、“これさえ打てば、もう安心❗️”的な思いを抱いていたけれど、ここ数ヶ月の間に現れた“デルタ株”やら“ブレイクスルー感染”といった新語のおかげで、いつの間にか


“まぁ、打たないよりはマシ”


・・・といった程度に期待値も落ちてしまったような気がする。

まぁ、それでもワクチンはワクチン。

ただいま接種から2時間ほど過ぎたけど、接種した左腕が多少重たさを感じるくらいで、あからさまな体調変化はなし。
それでも、とりあえず今日明日は、お家でいい子にしておこうと思います(笑)

2回目の接種は、3週間後の9月中旬。

その頃には、少しは世の中も変わっているだろうか?(もちろん、良い意味で)


そろそろ、遠くへ行きたいです。


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陽のあたる場所。

2021-06-23 | Weblog
3年前の今日。

自宅で介護生活を続けていた父の容態が急変し、病院へ救急搬送された。
予断は決して許されず、その日の夜、誰かが病室で付き添うことになったのだが、高齢の母にさせるわけにはいかないので、長男のワタシが付き添うことにした。


覚悟は、出来ていた。


もしかしたら、父と過ごす最後の夜になるかも知れない。
心のどこかに、そんな気持ちが生まれていた。

付き添いをする前にいったん帰宅して、1日分の着替えと財布と携帯、そして、1冊の本を本棚から引っ張り出してバッグに入れると、ワタシは再び病院へ向かった。

家族や近しい親戚が帰宅し、日付が変わった頃、ベッドに横たわる父と二人きりになった病室で、ワタシは家から持って来た本をバッグから取り出し、父の横でページをめくりはじめた。

それから、約6時間後。
2018年6月24日 午前6時20分。
朝の訪れとともに、父は永眠した。
静かな、まるで眠るような旅立ちだった。

夜通し読んでいたその本は、主人公の誕生前後から物語が始まり、やがて上京してミュージシャンとなり、悪戦苦闘の末に大成して、デビューから10年目に行われた代々木オリンピックプールでのコンサートを、癌で闘病中の父が車椅子で観賞する場面まで読み進んでいた。





その本・・・「陽のあたる場所」は、浜田省吾のサクセスストーリーであると同時に、昭和という時代を広島と東京で必死に生き抜いたひと組の父子の物語だ。

病院へ向かう時、何故咄嗟にこの本を選んでバッグの中に詰め込んだのか、あの時は自分でもよく分からなかったのだが、今なら自分なりに理解できる。



ワタシは、怖かったのだ。



覚悟していたと言いながら、すでに意識がなく、命の輪郭がおぼろげになり始めた父の姿を受け入れることが怖くて怖くて怖くて、まるで聖書のように、この本に救いを求めたのだと思う。



           ◆



あの日以来、「陽のあたる場所」は読んでいない。

20代の時に購入し、それ以降、何度も読み返した本なのだが、あの日病室で読んで以来、表紙を眼にしただけで、父の間際を思い出すようになってしまった。

しかし、そんな心持ちも時間を経て変化しはじめたのか、最近になって、またページをめくってみたいと思うようになった。

父が鬼籍に入って3年が過ぎ、ワタシだけでなく、母や弟をはじめ、家族みんな、すでに「父のいない日常」を受け入れて日々を暮らしている。

そしておそらく父も、あちらの世界での暮らしに、もう慣れた頃ではないだろうか。

同じ本であっても、ワタシがまだ「父の子」だった3年前と、もう完全にそうではなくなった今とでは、また違った景色に出会えるような気がする。

久しぶりに枕元に置いて、眠りにつく間際に、またページをめくってみようか。


お父さん、そっちはどうね?
もう、天国には慣れたかいね?
こっちは、みんな元気じゃ。
うん、元気にしとるよ。
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