りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

のぞみと高級チョコレート。

2023-03-29 | 家族
今日は有給休暇を取ったので、仕事はお休み。

午前中、家の事でしなければいけなかった用事を済ませ、午後からは、春休みで帰郷していた息子が大学に戻るというので、妻と一緒に福山まで。

ちょうど一年前の今日、大学に合格した息子は長年暮らした我が家を出て行った。
一年後の同じ日に、また息子を見送るというのも何かの縁だろうか・・・というのはさすがに大袈裟か😅
うん、たまたまの偶然だな(笑)

この一年間、盆正月とかにも帰ってきていたのだが、これまでは毎回高速バスだったのが、今回は新幹線。
数ヶ月おきとはいえ、さすがに片道4時間の移動にも飽きてきたようだ(笑)

新幹線ホームに上がると、平日の午後の、しかも人口50万未満の都市の駅だというのに、のぞみに乗ろうとする乗客は意外と多くて、ホームにはけっこうな人の列が出来ていた。

列の最後尾に並び、列車が到着するまで、息子と取り止めのない会話。

新幹線に乗るの、いつぶりだ?と息子に尋ねたら、「修学旅行以来」というので、「じゃあ、3年ぶりか」とワタシが言ったら、「違うよ、小学校の修学旅行だよ」と息子が答えたので目を丸くしてしまった。

そうだった。

息子の中学の修学旅行は東京だったので往復ともに飛行機だったし、高校の修学旅行に至ってはコロナ禍真っ只中で中止になったのだった。

反省。

ひとつは、息子の学生時代のことをちゃんと憶えていなかったこと。

もうひとつは、家族旅行の交通手段に、ことごとくマイカーを使ったこと(笑)

定刻通りにのぞみがホームに滑り込んできた。

ドアが開くや否や、息子を含めた全ての乗客がせわしく乗り込み、そして瞬く間に出発してしまった。



ホームに残ったのは、ワタシと妻を含めた数人の見送りの人々。

先ほどまでの喧騒が嘘のよう。

この閑散とした空気。
まるで映画「ローマの休日」のエンディングようだ・・・というのは、これまた大袈裟か😅

駅から出ると、桜も咲いていることだし、せっかくなので、駅のすぐ北側に鎮座する福山城公園を少し散策。



昨年、築城400年を記念してリニューアルした天守閣。
以前よりも、畏怖堂々とした佇まいに変身。

でも、ジーッと見ていると、カカオがいっぱいの高級チョコレートが食べたくなるのは、ワタシだけだろうか(笑)
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半世紀ぶり。

2023-03-04 | 家族
今日は、母とお墓参りに。

といっても、父や祖父母のお墓ではなく。

母の母の父母のお墓。
つまり、ワタシにとっては、母方の曾祖父母のお墓。

父方ならともかく、母方の、そのまた母方のご先祖様の墓となると、やはり感覚的にも遠くになりすぎて、訪れる機会が今までなかった。

ワタシはもちろん、孫にあたる母でさえも、いったいいつ以来の墓参なのか定かではないほど。
しかし、母がそんな感じなのに、ワタシには以前墓参した時の記憶が頭の片隅に残っていた。

遠い昔。
山の中腹の斜面に点々と墓が並んでいて、その麓の道端にクルマを停車して、登った。
よく晴れた日で、家族と登って行ったのだが、その中に4歳違いの弟の姿はない。
けっこうな坂道だったので、ワタシは母と手を繋いで登った記憶がある。
おそらく、母はまだ、弟を身ごもる前だったのだろう。


・・・ということは、この記憶は、今から50年前の出来事ということになる。


今回、そんな遠いご先祖様の墓参をすることになったのは、先日、母との他愛もない会話の中で、ワタシの脳内の最下層に残るこの記憶を話したことがきっかけだった。

当時3歳足らずだったワタシには具体的な場所は分からないので、助手席に座る母のナビに従って、クルマを走らせたのだが、案外迷わずたどり着くことができた。

沼隈半島の真ん中辺り。
公私に関わらず、ふだんクルマでよく走っている道の側だった。

50年前と同じように道端にクルマを停め、山の斜面を登った。
あの時と同じような穏やかな天気。
坂道の途中で振り返って眼にした風景も、自分の記憶に残る風景と同じような気がした。

ひとつだけ違うことがあるとすれば、50年前は、母がワタシのために手を繋いで坂道を登ってくれたが、今回は、ワタシが母のために手を繋いで坂道を登ったことか。

花と線香を手向け、手を合わす。

半世紀ぶりの墓参。

曾祖父母とも、ワタシが生まれる前に鬼籍に入ったので一度も会ったことがない。
母でさえも、もう記憶が朧げのようだった。

そんな子孫の久しぶりの墓参を、お墓に眠る曾祖父母は喜んでくれただろうか。

いや、おそらく喜んでなんていないだろう。

突然、しかも半世紀ぶりに現れた自分達よりも年上になった孫とひ孫の姿に、お墓の中で腰を抜かすほど驚いていたに違いない(笑)
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何物にも変え難い宝物。

2023-01-09 | 家族
今日、息子が大学へ戻って行った。

年末に帰って来て、ちょうど2週間。

友達や親戚に会った以外は、傍から見ると“自堕落の極み”に見えるほど、のんべんだらりと過ごしていたようだ。


まぁ、いいだろう。


昨年の今頃は、受験直前でクリスマスも正月もない毎日を過ごしていたのだから。

明日からは、さっそく講義や試験が始まるとのこと。

しかし、それも1ヶ月程度のことで、2月初旬からは、もう春休みに入るらしい。

ちなみに、春休みは4月の初旬まで。



はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜😅(深いため息)



ワタシ自身も30数年前にそんな4年間を過ごしたのだから、もちろん承知はしているが。


それにしても、有り余るほどの時間。


それがどれだけ貴重で何物にも変え難い宝物なのか、それを息子が痛切に実感するのは、きっと父親のワタシと同じで、時間に追われる社会人になってからになるのだろう。

さて、我が家の正月は、これにて完全に終了。

明日から本格的に2023年が、始まります。
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ふたつの驚き。

2022-06-24 | 家族
今日は、父の命日だった。

父が鬼籍に入って4年。
一周忌や三回忌の時は、仕事も休みを取って母と一緒に墓参りをしたのだが、今日は普通に仕事に行って、先ほど普通に帰宅した。

その方が、いい。

いつもと変わらない生活をしている方が、今のワタシと同じくらいの年齢だった頃、仕事が上手く行かず、おまけに癌も患い、まるで不運を絵に描いたような時期を過ごしていた父には、いい供養になるような気がする。


それに関わることで、ひとつ。


今日は、美空ひばりの命日だった。


知らなかったわけでなく、この4年間は「父の命日」の方が優先的だったので、すっかり忘れていた。

だけど、33年前の今日のことは、今でもよく憶えている。

ワタシはコンビニで深夜バイトをしていた。
夜勤明けに交代にレジカウンターに入ったパートのおばさんが開口一番、

「ねぇ、ちょっとあんた、美空ひばりが死んじゃったのよ❗️」

と、まるで自分の肉親を亡くしたように動揺していた。

そのおばさんは40代後半くらいに見えたから、それくらいの世代の人達にとっては、本当に肉親を亡くしたような出来事だったのだろう。

考えてみれば、平成最初の6月24日に美空ひばりが鬼籍に入り、そして平成最後の6月24日に、ワタシの父が鬼籍に入ったことになる。

まぁ、そこに何か意味があるわけではなく、単なる偶然なんだろうけれど(笑)
それでも、ワタシ個人的には、今日ちょっと驚いた。


それから、もうひとつ。


先日告示された参議院選挙。

広島選挙区の候補者の中に、以前勤めていた会社の先輩がいた❗️

地元の選挙区なので、告示前から新聞やニュースで細かくチェックしていたのだけど、名前を見ても顔を見ても全く気づかず、今日の昼、前の会社の同期だった友人からの連絡で、初めて気がついた。

あらためて昨日の新聞を引っ張り出して、候補者の記事に目を通した。

いやー、多少面影があるような気がするけど、街ですれ違ってもこれは分からんわ(笑)
まぁ、職場が一緒だったのは30年前だからなぁ、これも仕方ないことか😅

・・・こんなことを言ってることが知られると、『お前にだけは言われたくないわっ‼️』って、その先輩に怒られそうだけど(笑)

というわけで、みなさん、選挙には行きましょう。
誰に投票するかは、また別の話ですが(笑)
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蛙の子は蛙。

2022-06-01 | 家族
今年で社会に出て、30年を迎えた。

会社は一度変わったものの、一貫として広告のデザイン・制作。

手垢のついた表現だけど、あっという間の30年だった。

美術系の大学や専門学校で勉強した人間でもないのに、なぜここまでやって来れたのか。

才能なんて、ない。
今もあるとは思っていない。

あったものは、勘違いと勢いとハッタリだけ。

この3つをロータリーエンジンのように回転させて、なんとかここまでやって来たような気がする。

そして、そんなエンジンで走っている人間を面白がって支えてくれた人々。

才能もスキルもない代わりに、そんな周囲の人々と一緒に、良いことも悪いこともひっくるめて、ねじ伏せるように経験と実績を積み重ねて来た結果が、この30年なのだと痛感している。




          ◆





前振りは、これくらいにして。





          ◆





娘が、就職した。

今日が、初出勤。

今春、大学を卒業し、2ヶ月ほど就職浪人の期間を経て、ご縁のあった会社に採用していただいた。



簡単に言えば、ワタシと同業。



職種も、ワタシと同じ広告のデザインや制作に従事することになるようだ。

大学でデザインを専攻した時に、もしかしたら、いずれそうなるのかもしれない・・・と、心のどこかで覚悟はしていた。



しかし、それにしても。



家業でもないのに、親子で同じ仕事になる日が本当に訪れるとは。


あらためて、思う。


人生は、何が起こるか分からない。

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生きてるよ。

2022-05-24 | 家族
息子が家を出て行って、もうすぐ2ヶ月。

今は、ワタシの妻と娘の3人暮らし。

確実に変わったのが、風呂に入る時間。

息子がいた頃は、学校から帰宅した彼が夕方には風呂掃除をして早々にお湯を入れていてくれていたので、帰宅が必ず彼の後になるワタシ達も、好きな時間に入浴ができた。
まぁ、その代わりに我が家の一番風呂の権利は、ほぼ半永久的に息子のものではあったが(笑)

しかし今はその風呂係もいないので、最初に帰宅した誰かが掃除〜お湯入れをするのが暗黙の了解になりつつある。

今日は、娘が掃除した様子。
しかし掃除したのが早い時間だったのか、お湯は入れておらず、食事後、ワタシがお湯を入れた。

しばらく経って、「オ湯ガ、沸キマシタ」と、リモコンからお知らせ。

さっそく入ろうと浴室に向かおうとすると背後から

「お母さんが先に入りたいって」

と、娘。

「あ、そうする?」

とワタシがキッチンにいた妻に顔を向けると、

「うん、まぁ・・・いいよ、お先にどうぞ」

と、妻。

「じゃあ、ワタシが先に入りたい。今日、暑かったし」

と、いきなり割り込んで来る、娘。

「だったら、ワタシが先に入らせてよぉ、仕事で疲れてるんだから」

と、妻が応戦。

娘「お母さん、洗い物してるじゃん、その間に入らせてよ」

妻「洗い物は、後でするから」

娘「すぐ入って、すぐ出るから」






「おーれーがー、入るっ‼️」









妻&娘「どうぞどうぞ」







なんだ。
竜ちゃん、ここで生きてるよ。
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駅前ロータリー、AM1:30。

2022-05-06 | 家族
「GWは帰らない」

・・・と言っていたのに、先月の下旬にひょっこり帰って来た、息子。

今日、大阪へ戻って行った。



行きも帰りも、夜行の高速バス。



地元のバス会社を含めて、コロナ禍で、軒並み全国各地の長距離バスが休止になっている中、よくもまぁ、こんな格安のバスを見つけたもんだ(笑)

しかしそんな夜行バスだからか、バスの発着場も、至近の駅前とかバスターミナルとかではなく、隣の街の、東の端の、県境に近い駅のロータリー。

ターミナル駅ではない、閑散とした真夜中の無人駅に息子一人で行かせるのもどうかと思ったので、日付けが変わる頃、クルマで送ってやった。

午前1時前に、駅前に到着。
ロータリーにクルマを停めて、30分ほど待っていたら、ピンク色のボディデザインが施されたバスが滑り込んできた。
これに乗れば、夜が明ける頃には大阪に到着するらしい。



実家を出て、1ヶ月。

息子曰く、最初の数日は心細かったそうだが、入学式以降は、いつの間にかそんな気持ちも消えてしまった、とのこと。

順調&健全。
それで、いい。

一人暮らしも、これからが本番。
色んな事が待っているだろう。

困った事が起きたら・・・・・とりあえず、自分でなんとかしなさい。

・・・で、これはヤバイ、このままだと死んでしまう・・・・・そんな事が起きたら、連絡してきなさい。




すぐに、行ってやるから。




今度は、新幹線で帰って来いよ(笑)
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最初の家族。

2022-04-13 | 家族
広島で暮らす弟が、仕事でこちらに泊りがけで来ていると連絡があったので、仕事の帰りに実家に顔を出した。

今年の正月にも実家に帰ったのだがすれ違い状態だったので、会うのは半年ぶり・・・いや、1年ぶりか。

家に入ると、弟はすでに仕事から帰宅していて、「オレも今、帰って来たとこ」とワタシに告げた。

弟は、水道工事の会社に勤めている。

日焼けした顔に、少し汚れた作業服に、これまた少しくたびれた顔。

当たり前かもしれないが、大人になって弟と会うのは決まって休日の時なので、平日の弟を眼にするのは物珍しく感じた。

食卓では、母が弟の夕食を準備していた。
刺身と味噌汁とサラダとイワシの素揚げと、缶ビール。

「あんたも、食べて帰りんさい」

と、母がワタシに言う。

しかし、安易にそうは出来ない。
家では仕事から帰宅しているであろう妻が、もう夕食の支度を始めているかも知れない。
しかし、眼の前に並んだ美味そうな料理にお腹が鳴りそうになり、思わず唾を飲み込む。
ワタシは、その場でスマホを取り出し、実家で夕食を食べて帰ることを妻に詫びた。

しかし、もう一人分あるのかよ?

母に尋ねたら、「大丈夫、大丈夫」と、少し嬉しそうな顔つきで、ものの10分足らずで同じ料理を食卓に並べた。

帰宅後に速攻で浴室に向かった弟が風呂から出て来るのを待って、3人で夕食。

箸で母の手料理を突きながら、他愛もない会話。

それぞれの家族のこと、仕事のこと、体調のこと、親戚のこと、友人のこと、近所のこと、父のこと・・・そんな話が、生まれては消えて、生まれては消えて。

ふと、思う。

それぞれの子どもや妻を交えず、母とワタシと弟・・・つまり、純粋にこの家で生まれ育った“最初の家族”だけで、こうやって食事や話をするなんて、いったい何年ぶりだろう。

ちょっとむず痒いような、恥ずかしいような、懐かしいような。

最近では珍しく長い夕食になった後、玄関に移動して、扉を少し開けて、弟と一服。

すると、押し入れの奥から灰皿を引っ張り出してきた母が、ワタシと弟の元までやって来て、こう言った。

「あんたらもいい歳なんだから、そろそろやめなさい、もう、ホントに兄弟揃って」

文字にすると強い口調に感じるが、その言葉を口にしている母の顔は、呆れながらも少し笑顔に見えたのは、ワタシの思い過ごしだろうか。

母の差し出した灰皿を、ワタシが受け取る。

その灰皿が、元気だった頃の父が愛用していた灰皿だったと気づくのに、ワタシも弟も時間はかからなかった。




          ◆




午後9時過ぎに、実家を後に。

「明日も頑張って」

玄関で靴を履こうとしていたワタシに、母がそう言い、そしてこう続けた。




「今日は、みんなで、ゆっくり話が出来てよかった」




明日は、久しぶりの雨らしい。
でも、昼過ぎには止む様子。


さて、明日も頑張るか。
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生まれたところを遠く離れて。

2022-03-28 | 家族
駅のホームで見送ればいいだろう、と思っていた。

バック片手に親元を離れてゆく・・・浜田省吾の歌ではないけれど、何だかその方が絵になるような気がして。

しかし、理想と現実は違うのが、世の常。

運転席には、ワタシ。
助手席には、妻。
トランクには、テレビやら本やら衣類やらスニーカーやら、目一杯の荷物。
そして、その狭間の僅かに残った後部座席のスペースに、息子。

結局、東へ250km離れた学生寮まで、クルマで一緒に行くことになってしまった。
しかも、1年で最も忙しい、年度末の平日に(笑)

引っ越し業者に依頼する選択肢もあった。

だが、ワタシも妻も息子も、誰一人としてそうしようとは言わなかった。

それは、そこそこかかる運送料を節約したかったから・・・というわけではなく(まぁ、それも少しはあるけど😅)、そこにはもっと柔らかくて、うまく言葉にできない繊細な理由があったような気がしている。



         ◆



至近のインターチェンジから、高速道路へ。

クルマは快調に走ってゆくが、車内は思いのほか静か。
誰も、言葉を発することなく。
聞こえて来るのは、路面から届く走行音とインパネのオーディオから流れるテレビ番組の音声だけ。

だからといって、それが重い空気というわけではなく。
かといって、心地よい空気というわけでもなく。
何とも表現し難い、むず痒い空気が車内には漂っていた。

ほどなく県境を越えて、広島から岡山へ。

弾む会話を諦めたワタシは、クルマを走らせながら、今までのことをぼんやりと思い返した。



          ◆



19年前の夏。
「破水した」という連絡が妻の実家から入ったものの、娘の時は陣痛が半日続いた末に生まれたのだからまだまだ大丈夫だろうと思い、夕食を平らげ、風呂に入り、ゴミ収集場にゴミを捨てて、のんびりとクルマで病院に到着するや否や、陣痛開始からわずか3時間で産まれてきたこと。



下の子は喋り出すのが早いという例に漏れず、1歳を迎える前からカタコトで喋りはじめ、2歳になる頃には、もうベラベラになっていたこと。



それと比例するかのように好奇心も芽生えはじめ、一緒に風呂に入ると毎回質問攻め。
「なんで空は青いの?」「なんで鳥は飛べるの?」「なんでキリンの首は長いの?」なんで?なんで?なんで?・・・・ある時、ついに質問することが尽きてしまったのか、「なんでお父さんは髪の毛がないの?」と聞いてきたこと。



「分からないことがあるなら、調べに行くか?」と図書館に連れて行ったら、「ここに来れば、なんでも分かる❗️」と気づいてしまい、3歳にして本の虫になってしまったこと。



幼児の例に漏れず、恐竜に夢中になり、いつ何時も恐竜図鑑を手放さなくなったこと。



保育園の参観日。
園児の大半が外で遊んでいるにもかかわらず、誰もいない薄暗い廊下で一心不乱にティラノサウルスの形態模写をしている園児がいて、遠目でもそれが我が子だとすぐに分かったこと。



クワガタを捕まえたので飼うことになり、名前を何にしようか考えて考えて考えて考えて考えて考えて、「クワタくん」と命名したこと。



でも気が変わったのか、翌日には「ヤマモトくん」に変わっていたこと。
 


小学1年生になり、姉から低学年用の国語辞典を譲ってもらうと、「これを読んだら知らない言葉がなくなる❗️」という大発見をしてしまい、愛読書が恐竜図鑑から国語辞典に変わったこと。



そんな完璧なインドア少年のくせに、小学4年生の夏休みに、一週間かけて100kmを踏破する「おのみち100kmの旅」というイベントに参加すると言い出したので、「お前、大丈夫かっ⁉️」と思わず額に手を当てたこと。



そのイベントに参加し、本当に一週間で100kmを歩き抜いて、無事ゴールしたこと。



ゴールした後、一緒に歩いた仲間達と日焼けした真っ赤な顔で笑い合っている姿を眼にして、「もしかしたら・・・俺はこの子のことを本当は何も知らないんじゃないか?」とちょっと不安になったこと。



小学校5年生の時、突然「剣道をやりたい」と言い出したので、高校時代、剣道部だった友人に相談し、道場に見学に行ったはいいものの、その迫力と練習の厳しさに圧倒されて見事にビビってしまい「やっぱり、やらない・・・」と涙目で早々と白旗を上げたこと。



それでも、中学生になって卓球部に入部したこと。



試合に出ても、案の定ほぼ連戦連敗だったらしく、「悔しくないのか?」と尋ねても、返ってくる答えは、「いや、別に」。
どうやらこの子は、好奇心や探究心は人一倍あるけれど、闘争心や競争心が人より格段に低いのかも・・・と心配したこと。



高校受験の時、家族をはじめ、本人以外のすべての人間が市内一の進学校を受験すると思っていたのに、「坂道を通学するのは嫌だ」という信じられない理由で、坂道がほとんどない父親と同じ高校へ進学したこと。



だけど本当の理由は、詰め込み式で勉強させられそうな校風よりも、自分のペースで勉強ができる校風を選んだのだと、父親のワタシには分かっていたこと。



第一志望の大学を受験するにあたって、「その大学に入って何を勉強したいのか?」と質したら、「モンゴルや中央アジアの勉強がしたい」「騎馬民族の歴史をもっと勉強したい」と言ったこと。



奇しくもそれは、ワタシも高校生の頃におぼろげに抱いていたのに捨てた夢で、もちろんそれを彼が知っているはずがなく、それを聞いた瞬間、驚きのあまり息が詰まって胸が熱くなったこと。



12歳で、父親より靴が大きくなったこと。



14歳で、父親の身長を超えたこと。



あまり感情を顔に出さないくせに、実は泣き虫なこと。



風呂の掃除と洗濯物の取り込みは、必ずやってくれたこと。



そして。



誰よりも、家族思いだったこと。





          ◆




宝塚のトンネルを抜けると、次第に周囲の山々が低くなりはじめ、やがてフロントガラスの向こうに、無数の家々と林立するビル群が遥か彼方まで広がる景色が見えはじめた。

大阪だ。

大阪の街が見える。

これから息子が生きてゆく街が、眼前に広がってゆく。





          ◆




良いことばかりではないだろう。
悪いことや辛いこともそれなりにあるだろう。

それでもいい。
とことん経験してゆけ。

今まで遭遇したことがない出来事。会ったことがない人々。聞いことがない考え方。見たことがない景色。

これからは、そういった経験がお前を育ててくれるはず。

 



すべては、これからだ。





元気で。

自分に負けるなよ。

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風邪をひきなさんなよ。

2022-03-21 | 家族
三連休の最終日。

彼岸でもあるし、昨日から2日かけてお墓参りへ。

父の墓。
祖父母の墓。
叔父の墓。
叔母の墓。
義父の墓。

年を重ねるに連れて、お参りするお墓の数も増えてきた。
まぁ、これも仕方がないことか。


          ◆


昨日、義母と妻の3人でお参りした、義父のお墓での話。

お花を供えて、線香を供えて、大好きだったウイスキーを供えて、手を合わせて。

正月以来、3ヶ月ぶりに墓参した義母。
ひ孫が2人増えたこと。孫2人がそれぞれ大学合格、高校合格したこと。自身の腰の具合・・・などなど、この3ヶ月の間に起こった出来事を墓前に報告。
そして帰る間際、名残惜しそうに墓石を優しく撫でながら、こう言った。


「まだ寒い日が続くけぇ、風邪をひきなさんなよ」


ワタシがもっともっと若い頃にこの言葉を聞いたなら、その場で吹き出していたかもしれない。

お義母さん、それは「石」だし、その中にあるのは「骨」だから、もう風邪をひくわけがないでしょう・・・と。

しかし、すぐ隣でその言葉を耳した50代になったワタシは、吹き出す代わりに少しだけ微笑んでしまった。

うまく説明は出来ないけれど、お参りするお墓が増えてきたぶん、彼岸の向こうへ旅立った人への想いが、ワタシの中でも少しずつ変わりはじめたのかも知れない。


          ◆


話は変わるけど、今日の昼頃、ふと思い出した。

30年前の今日は、ワタシが最初に就職した会社の入社式があった日だった。
当時のワタシは、大学の卒業式よりも早い入社式に、なんとも言えない理不尽さを感じているという、ホントに大甘のションベンたれのガキだった(笑)

同期は全国で40人前後いたのだけど、今でも10人くらいの同期と繋がりがあるので、そのLINEグループにお祝いのコメントと、今も保管している当時の会社案内に載っていたみんなの顔写真を写メして投稿。

当たり前だけど、みんな、すっかり忘れてたみたい(笑)

瞬く間の30年。
たけど、これからの30年は、おそらくもっと早いはず。


そう。
だから、もしかしたら・・・。


30年後のワタシは、我が子やその孫とかに


「風邪をひきなさんなよ」と、


墓石越しに優しく言われているかも知れない(笑)
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