りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

駅前ロータリー、AM1:30。

2022-05-06 | 家族
「GWは帰らない」

・・・と言っていたのに、先月の下旬にひょっこり帰って来た、息子。

今日、大阪へ戻って行った。



行きも帰りも、夜行の高速バス。



地元のバス会社を含めて、コロナ禍で、軒並み全国各地の長距離バスが休止になっている中、よくもまぁ、こんな格安のバスを見つけたもんだ(笑)

しかしそんな夜行バスだからか、バスの発着場も、至近の駅前とかバスターミナルとかではなく、隣の街の、東の端の、県境に近い駅のロータリー。

ターミナル駅ではない、閑散とした真夜中の無人駅に息子一人で行かせるのもどうかと思ったので、日付けが変わる頃、クルマで送ってやった。

午前1時前に、駅前に到着。
ロータリーにクルマを停めて、30分ほど待っていたら、ピンク色のボディデザインが施されたバスが滑り込んできた。
これに乗れば、夜が明ける頃には大阪に到着するらしい。



実家を出て、1ヶ月。

息子曰く、最初の数日は心細かったそうだが、入学式以降は、いつの間にかそんな気持ちも消えてしまった、とのこと。

順調&健全。
それで、いい。

一人暮らしも、これからが本番。
色んな事が待っているだろう。

困った事が起きたら・・・・・とりあえず、自分でなんとかしなさい。

・・・で、これはヤバイ、このままだと死んでしまう・・・・・そんな事が起きたら、連絡してきなさい。




すぐに、行ってやるから。




今度は、新幹線で帰って来いよ(笑)
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最初の家族。

2022-04-13 | 家族
広島で暮らす弟が、仕事でこちらに泊りがけで来ていると連絡があったので、仕事の帰りに実家に顔を出した。

今年の正月にも実家に帰ったのだがすれ違い状態だったので、会うのは半年ぶり・・・いや、1年ぶりか。

家に入ると、弟はすでに仕事から帰宅していて、「オレも今、帰って来たとこ」とワタシに告げた。

弟は、水道工事の会社に勤めている。

日焼けした顔に、少し汚れた作業服に、これまた少しくたびれた顔。

当たり前かもしれないが、大人になって弟と会うのは決まって休日の時なので、平日の弟を眼にするのは物珍しく感じた。

食卓では、母が弟の夕食を準備していた。
刺身と味噌汁とサラダとイワシの素揚げと、缶ビール。

「あんたも、食べて帰りんさい」

と、母がワタシに言う。

しかし、安易にそうは出来ない。
家では仕事から帰宅しているであろう妻が、もう夕食の支度を始めているかも知れない。
しかし、眼の前に並んだ美味そうな料理にお腹が鳴りそうになり、思わず唾を飲み込む。
ワタシは、その場でスマホを取り出し、実家で夕食を食べて帰ることを妻に詫びた。

しかし、もう一人分あるのかよ?

母に尋ねたら、「大丈夫、大丈夫」と、少し嬉しそうな顔つきで、ものの10分足らずで同じ料理を食卓に並べた。

帰宅後に速攻で浴室に向かった弟が風呂から出て来るのを待って、3人で夕食。

箸で母の手料理を突きながら、他愛もない会話。

それぞれの家族のこと、仕事のこと、体調のこと、親戚のこと、友人のこと、近所のこと、父のこと・・・そんな話が、生まれては消えて、生まれては消えて。

ふと、思う。

それぞれの子どもや妻を交えず、母とワタシと弟・・・つまり、純粋にこの家で生まれ育った“最初の家族”だけで、こうやって食事や話をするなんて、いったい何年ぶりだろう。

ちょっとむず痒いような、恥ずかしいような、懐かしいような。

最近では珍しく長い夕食になった後、玄関に移動して、扉を少し開けて、弟と一服。

すると、押し入れの奥から灰皿を引っ張り出してきた母が、ワタシと弟の元までやって来て、こう言った。

「あんたらもいい歳なんだから、そろそろやめなさい、もう、ホントに兄弟揃って」

文字にすると強い口調に感じるが、その言葉を口にしている母の顔は、呆れながらも少し笑顔に見えたのは、ワタシの思い過ごしだろうか。

母の差し出した灰皿を、ワタシが受け取る。

その灰皿が、元気だった頃の父が愛用していた灰皿だったと気づくのに、ワタシも弟も時間はかからなかった。




          ◆




午後9時過ぎに、実家を後に。

「明日も頑張って」

玄関で靴を履こうとしていたワタシに、母がそう言い、そしてこう続けた。




「今日は、みんなで、ゆっくり話が出来てよかった」




明日は、久しぶりの雨らしい。
でも、昼過ぎには止む様子。


さて、明日も頑張るか。
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生まれたところを遠く離れて。

2022-03-28 | 家族
駅のホームで見送ればいいだろう、と思っていた。

バック片手に親元を離れてゆく・・・浜田省吾の歌ではないけれど、何だかその方が絵になるような気がして。

しかし、理想と現実は違うのが、世の常。

運転席には、ワタシ。
助手席には、妻。
トランクには、テレビやら本やら衣類やらスニーカーやら、目一杯の荷物。
そして、その狭間の僅かに残った後部座席のスペースに、息子。

結局、東へ250km離れた学生寮まで、クルマで一緒に行くことになってしまった。
しかも、1年で最も忙しい、年度末の平日に(笑)

引っ越し業者に依頼する選択肢もあった。

だが、ワタシも妻も息子も、誰一人としてそうしようとは言わなかった。

それは、そこそこかかる運送料を節約したかったから・・・というわけではなく(まぁ、それも少しはあるけど😅)、そこにはもっと柔らかくて、うまく言葉にできない繊細な理由があったような気がしている。



         ◆



至近のインターチェンジから、高速道路へ。

クルマは快調に走ってゆくが、車内は思いのほか静か。
誰も、言葉を発することなく。
聞こえて来るのは、路面から届く走行音とインパネのオーディオから流れるテレビ番組の音声だけ。

だからといって、それが重い空気というわけではなく。
かといって、心地よい空気というわけでもなく。
何とも表現し難い、むず痒い空気が車内には漂っていた。

ほどなく県境を越えて、広島から岡山へ。

弾む会話を諦めたワタシは、クルマを走らせながら、今までのことをぼんやりと思い返した。



          ◆



19年前の夏。
「破水した」という連絡が妻の実家から入ったものの、娘の時は陣痛が半日続いた末に生まれたのだからまだまだ大丈夫だろうと思い、夕食を平らげ、風呂に入り、ゴミ収集場にゴミを捨てて、のんびりとクルマで病院に到着するや否や、陣痛開始からわずか3時間で産まれてきたこと。



下の子は喋り出すのが早いという例に漏れず、1歳を迎える前からカタコトで喋りはじめ、2歳になる頃には、もうベラベラになっていたこと。



それと比例するかのように好奇心も芽生えはじめ、一緒に風呂に入ると毎回質問攻め。
「なんで空は青いの?」「なんで鳥は飛べるの?」「なんでキリンの首は長いの?」なんで?なんで?なんで?・・・・ある時、ついに質問することが尽きてしまったのか、「なんでお父さんは髪の毛がないの?」と聞いてきたこと。



「分からないことがあるなら、調べに行くか?」と図書館に連れて行ったら、「ここに来れば、なんでも分かる❗️」と気づいてしまい、3歳にして本の虫になってしまったこと。



幼児の例に漏れず、恐竜に夢中になり、いつ何時も恐竜図鑑を手放さなくなったこと。



保育園の参観日。
園児の大半が外で遊んでいるにもかかわらず、誰もいない薄暗い廊下で一心不乱にティラノサウルスの形態模写をしている園児がいて、遠目でもそれが我が子だとすぐに分かったこと。



クワガタを捕まえたので飼うことになり、名前を何にしようか考えて考えて考えて考えて考えて考えて、「クワタくん」と命名したこと。



でも気が変わったのか、翌日には「ヤマモトくん」に変わっていたこと。
 


小学1年生になり、姉から低学年用の国語辞典を譲ってもらうと、「これを読んだら知らない言葉がなくなる❗️」という大発見をしてしまい、愛読書が恐竜図鑑から国語辞典に変わったこと。



そんな完璧なインドア少年のくせに、小学4年生の夏休みに、一週間かけて100kmを踏破する「おのみち100kmの旅」というイベントに参加すると言い出したので、「お前、大丈夫かっ⁉️」と思わず額に手を当てたこと。



そのイベントに参加し、本当に一週間で100kmを歩き抜いて、無事ゴールしたこと。



ゴールした後、一緒に歩いた仲間達と日焼けした真っ赤な顔で笑い合っている姿を眼にして、「もしかしたら・・・俺はこの子のことを本当は何も知らないんじゃないか?」とちょっと不安になったこと。



小学校5年生の時、突然「剣道をやりたい」と言い出したので、高校時代、剣道部だった友人に相談し、道場に見学に行ったはいいものの、その迫力と練習の厳しさに圧倒されて見事にビビってしまい「やっぱり、やらない・・・」と涙目で早々と白旗を上げたこと。



それでも、中学生になって卓球部に入部したこと。



試合に出ても、案の定ほぼ連戦連敗だったらしく、「悔しくないのか?」と尋ねても、返ってくる答えは、「いや、別に」。
どうやらこの子は、好奇心や探究心は人一倍あるけれど、闘争心や競争心が人より格段に低いのかも・・・と心配したこと。



高校受験の時、家族をはじめ、本人以外のすべての人間が市内一の進学校を受験すると思っていたのに、「坂道を通学するのは嫌だ」という信じられない理由で、坂道がほとんどない父親と同じ高校へ進学したこと。



だけど本当の理由は、詰め込み式で勉強させられそうな校風よりも、自分のペースで勉強ができる校風を選んだのだと、父親のワタシには分かっていたこと。



第一志望の大学を受験するにあたって、「その大学に入って何を勉強したいのか?」と質したら、「モンゴルや中央アジアの勉強がしたい」「騎馬民族の歴史をもっと勉強したい」と言ったこと。



奇しくもそれは、ワタシも高校生の頃におぼろげに抱いていたのに捨てた夢で、もちろんそれを彼が知っているはずがなく、それを聞いた瞬間、驚きのあまり息が詰まって胸が熱くなったこと。



12歳で、父親より靴が大きくなったこと。



14歳で、父親の身長を超えたこと。



あまり感情を顔に出さないくせに、実は泣き虫なこと。



風呂の掃除と洗濯物の取り込みは、必ずやってくれたこと。



そして。



誰よりも、家族思いだったこと。





          ◆




宝塚のトンネルを抜けると、次第に周囲の山々が低くなりはじめ、やがてフロントガラスの向こうに、無数の家々と林立するビル群が遥か彼方まで広がる景色が見えはじめた。

大阪だ。

大阪の街が見える。

これから息子が生きてゆく街が、眼前に広がってゆく。





          ◆




良いことばかりではないだろう。
悪いことや辛いこともそれなりにあるだろう。

それでもいい。
とことん経験してゆけ。

今まで遭遇したことがない出来事。会ったことがない人々。聞いことがない考え方。見たことがない景色。

これからは、そういった経験がお前を育ててくれるはず。

 



すべては、これからだ。





元気で。

自分に負けるなよ。

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風邪をひきなさんなよ。

2022-03-21 | 家族
三連休の最終日。

彼岸でもあるし、昨日から2日かけてお墓参りへ。

父の墓。
祖父母の墓。
叔父の墓。
叔母の墓。
義父の墓。

年を重ねるに連れて、お参りするお墓の数も増えてきた。
まぁ、これも仕方がないことか。


          ◆


昨日、義母と妻の3人でお参りした、義父のお墓での話。

お花を供えて、線香を供えて、大好きだったウイスキーを供えて、手を合わせて。

正月以来、3ヶ月ぶりに墓参した義母。
ひ孫が2人増えたこと。孫2人がそれぞれ大学合格、高校合格したこと。自身の腰の具合・・・などなど、この3ヶ月の間に起こった出来事を墓前に報告。
そして帰る間際、名残惜しそうに墓石を優しく撫でながら、こう言った。


「まだ寒い日が続くけぇ、風邪をひきなさんなよ」


ワタシがもっともっと若い頃にこの言葉を聞いたなら、その場で吹き出していたかもしれない。

お義母さん、それは「石」だし、その中にあるのは「骨」だから、もう風邪をひくわけがないでしょう・・・と。

しかし、すぐ隣でその言葉を耳した50代になったワタシは、吹き出す代わりに少しだけ微笑んでしまった。

うまく説明は出来ないけれど、お参りするお墓が増えてきたぶん、彼岸の向こうへ旅立った人への想いが、ワタシの中でも少しずつ変わりはじめたのかも知れない。


          ◆


話は変わるけど、今日の昼頃、ふと思い出した。

30年前の今日は、ワタシが最初に就職した会社の入社式があった日だった。
当時のワタシは、大学の卒業式よりも早い入社式に、なんとも言えない理不尽さを感じているという、ホントに大甘のションベンたれのガキだった(笑)

同期は全国で40人前後いたのだけど、今でも10人くらいの同期と繋がりがあるので、そのLINEグループにお祝いのコメントと、今も保管している当時の会社案内に載っていたみんなの顔写真を写メして投稿。

当たり前だけど、みんな、すっかり忘れてたみたい(笑)

瞬く間の30年。
たけど、これからの30年は、おそらくもっと早いはず。


そう。
だから、もしかしたら・・・。


30年後のワタシは、我が子やその孫とかに


「風邪をひきなさんなよ」と、


墓石越しに優しく言われているかも知れない(笑)
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宇宙に到達した日。

2022-03-09 | 家族
今日は、息子が受験した、第一志望の大学の合格発表日だった。




          ◆




息子がその大学に「行きたい」と、ワタシと妻に初めて告げたのは、高校2年生の時だった。

息子が口にしたその大学名を耳にした時、私立の単科大学卒という最終学歴のワタシには、それがまるで・・・








「宇宙に行きたい」








・・・と同じような響きで聞こえた(笑)

しかし、その後息子が話してくれた志望理由や、月に一度の割合で学校から返ってくる模試の成績を目にするに連れて、


「これは・・・親も本気にならないといかんな」


と、いつの頃からか、ワタシと妻も腹をくくった。





          ◆





そして、今朝。

職場にいたワタシの携帯に息子から連絡が届いた。














「受かりました」













普段、あまり感情を表に出さない息子らしい、事務的で必要最低限の文面だった。


そうか、合格したか。


宇宙に、行ってしまったか(笑)


まぁ、何はともあれ、息子がどうしても進学したかった大学に合格して、ひと安心。

そして親としては、その大学が私立ではなかったことで、もうひと安心(笑)





          ◆





さて、ここからは喜んでばかりもいられない。

これで息子は、長年暮らした家を出ていくことになる。

今月いっぱいは、入学の手続きと引っ越しの準備で忙しい毎日になるだろう。
もしかしたら、週末ごとに関西地方との往復になるかも知れない。

しかし、こういった慌ただしさなら、きっと疲れを感じることもないだろう。
仮にクタクタに疲れたとしても、案外ウェルカムな疲労感のような気がする。


・・・というわけで、我が家にも春が来ました。


おめでとう。
本当に、よく頑張った。

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おふくろの味。

2021-10-30 | 家族
今月は、一度もブログをUPしなかった。
なので、無理矢理気味に、ちょいと更新 (^^;)

先週の土曜日、久しぶりに実家に泊まった。

子どもも大きくなったので、最近では実家に一緒に泊まることがほとんど無くなり、泊まるのは、もっぱらワタシだけ。

まぁ、その方が自分の用事が出来るし、母親と取り留めのない話とかも出来るので、それはそれでいいのだけど。

夕方に実家に向かい、居間でボケーっとテレビを見ていたら、「夕食が出来た」と母が言うので食卓に行くと、テーブルの上にこの料理が置いてあった。



コロッケ。

その数日前、母に泊まることを伝えた時、ほとんど開口一番に「何か食べたいものはあるか?」と尋ねられた。

ワタシが幼い子どもだったら、ここで「カレーライス❗️」とか「焼肉❗️」とか威勢よく言うところなのだろうが、50を過ぎたオッサンには、そんな願望はもう何もないので(笑)、「何でもいいよ」とそっけなく答えた。

母もそろそろ80歳が見えてきた年齢である。
そんな人間が作る夕食だから、おそらく煮魚とか煮物とか、ちょっと頑張って寄せ鍋とか、まぁ、そんなところだろうと思っていた。

それが、コロッケ。

予想は大きく外れたけど、まぁ、いいか・・・と、椅子に座り、手を合わせ、箸を取り、まずはコロッケをひとくち口にするや否や、すぐに気づいた。


手作りだった。
母が作ったコロッケだ。


ワタシが子どもだった頃も、スーパーに行けば、既製のコロッケは売られていたのかも知れないが、わが家の食卓にそれらが並ぶことはなかった。

わが家でコロッケといえば、ジャガイモが目一杯詰まり、カタチが不均一な、母が作ったコロッケが当たり前だったのだ。

最近はコロッケを食べることはあっても、スーパーで売られているものはみんな同じカタチで、味もそんなに美味しいとは思わない。子どもの頃に食べた、あんなコロッケに出会うことがない・・・・・・・・・ずいぶん前に、そんな他愛もない話を母に話したことがあったような気がする。


もしかしたら、それを覚えていたのか。


「久しぶりに作ったから、味は保証できんよ」と、母は笑う。

ワタシにしても、母のコロッケを食したのは、ホントに久しぶりだ。
18歳で家を出たから、もしかしたらそれ以来、30数年ぶりかも知れない。

このコロッケをこの家でガツガツと食べていた子どもの頃は、祖父母も健在で、父も働き盛りで、弟もまだ小さく、そんなに広くはない食卓を家族6人で囲んでいた。
毎日毎日、本当に賑やかな食卓だった。

それから数十年が過ぎて、今では同じ家に母が独りで暮らし、たまにワタシがこうやって戻り、2人だけで囲む食卓になってしまった。


家族のカタチが、すっかり変わってしまったんだなぁ。


何を今さら・・・という感じだけど、2人だとやけに広く感じる食卓で、久しぶりに食したコロッケの味があの頃と同じだったぶん、余計にそんなことを感じた夕食のひとコマでした。
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Don't Worry.

2021-09-19 | 家族
おかげさまで、今日、誕生日を迎えました。

もう何歳になるのか分からなくなりそうだけど、感覚的には38歳くらいで止まってます(笑)

今日は午後からは、墓参りへ。

彼岸も近いし、親父にも誕生日を迎えた報告に行ってきました。

いつの頃からか、歳を重ねるにつれて、誕生日の意味が変わってきたような気がしています。
生まれたことを祝ってもらう日から、生んでもらったことを感謝する日に。
それなりに色々なことがあったけれど、何はともあれ、無事にここまで生きて来れたことを感謝する日に。

・・・なんだか、そんな気がしています。



          ◆



話は変わりますが、最近、この歌が頭の中でよく流れています。
30年以上前の曲だけど、少し前にYouTubeで久しぶりに聴いたら、ちょっと涙腺が緩みそうになった。
「歌詞が沁みる」とは、こういうことか。
こんな歌が沁みるような歳になったか、と(笑)
でも、そのぶん、元気をもらえたような気もしています。

それにしても、この歌を歌っていた頃の原田芳雄は、今のワタシと同じくらいの年齢ではないだろうか。


・・・・なんだ、この違いは(笑)


まぁ、そんなこんなで、この歌の歌詞のように生きていければ、と思っています。


今日は、たくさんのお祝いのメッセージをいただき、本当にありがとうございました。

そして、両親へ。
52歳になりました。
僕を生んでくれて、本当にありがとう。

『Don't Worry』 原田芳雄
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娘の告白。

2021-07-27 | 家族



昨夜のこと。

テレビでは、卓球混合ダブルスの決勝。
金メダルに、王手。

チューハイ片手に、そんな大一番の試合を見ていたら、同じ部屋にいた娘が、スマホ片手に突然こう尋ねてきた。

「ねぇ、“北斗の拳”、読んでた?」

何だよそれ。今、訊くことか。

TPOをわきまえない質問。
最初は無視しようと思ったのだが、タイミングよく試合が1セット終わった直後だったので、

「ああ、読んでた」と、律儀に答えてしまった。

「全巻読んだ?」

ああ、読んだ。

「いつ?」

高校の時だよ。

「うちには、ないの?」

ないよ。
お父さん、「北斗の拳」は買ったことがない。
友達ん家とか喫茶店で全部読んだ。

もう訊いてくるな。試合が再開する。
あと、もう1セット。
1セットで、金メダル。

試合スタート。
初っぱなから怒濤の進撃。
中国ペアをどんどん引き離す。
しかし、相手も諦めていない。
粘る粘る。追いつく追いつく。
さすが、王者・中国。
やはり、勝利の女神は簡単には振り向かない。

「ねぇ、面白かった?」

まだ訊いてくるか。
うるさい。こんな白熱した試合を前にして、もうそんな愚問に答えている暇はない。

北斗の拳といえば、経絡秘孔。
押したら、瞬時に喋られなくなる秘孔ってなかったっけ?
こめかみとか、脳天とか、そのあたりに。
娘よ、もしもその秘孔があったら、お父さんはケンシロウばりに押してたぞ。

そうこうしていたら、試合が中断した。
一瞬、試合終了かと勘違いしたが、どうやらテーブルに汗が落ちたらしく、それを係員が拭き取るために中断したようだった。

「面白かったよ」

ワタシもバカなのだ。
試合中断でこっちの緊張の糸も切れたのか、またまた律儀に娘の愚問に応えてしまった。

「お前、読まない方がいいぞ。けっこうエグいシーンが多いから・・・というか、ほとんどそういうシーンばっかりだから」

「そうかぁ・・・ワタシ、ちょっとしか知らない。一コマしか知らない」

「ほぉ、どこ知ってるんだ?」

試合再開。
ここで、試合に夢中になってまったく飲んでいなかったチューハイを、乾ききった口に流し込んだ。
その瞬間、娘がこう続けた。

“汚物は、消毒だぁ~!”ってとこ」

盛大に、吹き出した。
口からチューハイを。
そして、咽せて、咳き込んで、鼻水垂らして、大爆笑。

「北斗の拳」は、名作だ。
登場人物は個性的だし、ストーリーもバツグンに面白く、記憶に残るセリフも多く、名シーンは枚挙にいとまがない。

しかし娘が挙げたそのシーンは、そんな「北斗の拳」の中で、あってもなくてもどうでもいい、ストーリー展開に全く支障がない雑魚キャラのシーンだった。
だがその一方で、「北斗の拳」を熱心に読んでいた読者なら誰もが知っているカルト的なシーンでもあった。

ほとんど忘れていた30数年前のマンガのことを、20歳そこそこの人間が話題にし、しかもカルトな告白のオマケ付き。
ほろ酔い気分も相まってか、ワタシは床にへたり込んで笑い転げてしまった。

そうこうしていると、テレビの中からひときわ大きな歓声が・・・。

どうやら、日本が勝ったらしい。

なんということだ。
記念すべき歴史的な瞬間を、こんなしょーーーもない会話で見逃してしまった😭

娘よ、お前はもう、死んでいる。

〈補足〉「汚物は消毒だぁ〜!」に興味を持たれた方は、各々で検索してみて下さい(笑)




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もうすぐ、師走。

2020-11-28 | 家族
2年前くらいからだろうか。


だいたい今頃の時季になると、妻がこの類の本を図書館で借りてくる。


そして、無造作にリビングのテーブルの上に置いてある。


妻曰く


「仕事の参考になるから」。







もうすぐ、師走。


笑って歳を越せますように(笑)
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初ドライブ。

2020-10-11 | 家族
夏が戻って来たのかと思うような天気の今日の午後。

クルマで海沿いをドライブした。

しかし、ワタシは運転席ではなく、助手席。

運転席には、娘。

先日、娘が普通自動車免許を取得し、今日、運転デビューしたのだった。

最初にも書いたが、今日は天気がよく、海岸沿いの道路は、サイクリング客やツーリングのバイクも多かった。

そんな中を、初運転の娘は、自転車と同じくらいのスピードで走ってゆく。

サイドミラーをのぞくと、海岸沿いのワインディングロードを、抜くに抜けないバイクや車の集団が後ろに続いてしまい、ちょっとした大名行列状態に(汗)
見方によっては、国賓VIPのパレードに見えないこともない(笑)

ワタシが暮らす島は、クルマで一周すれば、時間はだいたい20〜30分程度。

だが、上記のような感じで一周したので、今日は1時間もかかってしまった(笑)

ドライブから帰宅後、全身の力が抜け、猛烈な疲労感に襲われた。

助手席に乗っていただけで、これほど疲れるなんて・・・よほど緊張していたのだろう。

もっとも、ワタシ以上に緊張していたのは、人生初めてのドライブを行った娘の方だった様子。

帰宅後、リビングにへたれ込むと、しばらくして寝息を立てはじめた (-_-)zzz

まぁ、何事も最初から上手い人間は誰もいない。

クルマの運転も経験を積まなければ。

だから、我が家のクルマも、多少ぶつけたり傷つけてしまうのも覚悟しなければいけないのだろう。

・・・いや、やっぱりそういうアクシデント無しで上手になってくれ(笑)
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