りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

マイ ホーム タウン。

2014-08-23 | Weblog
今週の広島県は、土砂災害の話題一色だった。

ローカルニュースや新聞は連日災害の報道を続けたのはもちろん、日常生活の中でも、誰かと会話を交わせば、話相手の知り合いに被害に遭った人がいなかったかどうか尋ねることが多かった。

ワタシの知り合いには、直接被害に遭った人はいなかったのだが、弟家族をはじめ、土砂崩れが起きた場所からほんの数キロしか離れていない場所で暮らしている知り合いはたくさんいる。
この度の災害が起こった場所は、不幸にもたまたまその地域だっただけで、山々が迫り、平野が狭小な広島市においては、どこで起きてもおかしくなかったのだと、あらためて痛感している。

パワーシャベルで削った/丘の上いくつもの/同じような小さな家/どこまでも続くハイウェイ/彼らはそこを名付けた/希望ケ丘ニュータウン/赤茶けた太陽が/工業地帯の向こう沈んでゆく

この歌詞は、浜田省吾の「マイ ホーム タウン」という歌の出だしの歌詞である。
1982年発表だから、今から32年前の作品だ。
歌詞の字ズラだけ読めば、地方の工業都市で生きる青年の暮らしを歌っているだけなのだが、行間をよく読めば、直接的ではないにしろ、現代社会の疲弊や歪みも歌われている・・・そんな歌だ。

ワタシが広島市で暮らしていた20歳前後の頃、友達や先輩のクルマでよくドライブに出かけた。
そして、西広島バイパス、山陽自動車道といった広島市周辺の自動車専用道路を走っている時、必ずと言っていいほど、この歌の歌詞が浮かんできた。
上記した自動車道を走って広島の都心から郊外へ抜けると、瞬く間に標高300m級の山々が迫ってくる。
その急峻な山々の中腹あたりまで、大小数多の団地がへばり付いているからだ。
その風景は、奇異とか滑稽を通り越えて、どことなく哀しささえ感じてしまうような景色だった。

そこまでして、宅地開発する必要があるのか?
ここまで山容が変わるほど削ってしまって、本当に大丈夫なのか?

そんな風景を眼にした20歳のワタシでさえ、そんな風に不安になったことを今でも覚えている。

今回、土砂災害が起きた場所は、まさにそんな風景の一角だった。
被害の大きかった安佐南区八木地区は、それこそ山陽自動車道を東から向かえば、広島インターチェンジを降りる直前に視界に入ってくる。

連日報道されているテレビニュースや新聞によると、今回の災害は、急激な降雨、脆い地質、山間部にまで広がった住宅地・・・といったことが要因で引き起こったと説明されている。

多少の違いはあれど、これはやはり被害の遭った場所だけの話ではもうないのだろう。
最初にも書いたが、今回の災害は、やはり“たまたま”広島市の郊外で起こっただけなのだと思う。
今や、日本全国の山や丘がパワーシャベルで削られて、至る所に哀しい景色が生まれてしまっているのだから。
コメント (2)
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