りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

夏本番。

2016-07-19 | Weblog
この写真を撮ったのは、4年前の今ごろ。
家族で山陰へ行った時だった。

毎度のことながら、その時も明確な目的地を決めず、まるでロードムービーのように出雲から東へと東へとあてもなくクルマを走らせ、鳥取県の倉吉辺りで、国道から分かれた細い道へ何も考えずに入ってしまった。
当時、クルマにはナビを付けておらず、地図も持っていなかった。
そんな状況なので、その道がどこへ続いているのかも分からないまま、多少の不安になりながら、とりあえず道なりに進んでいったら、突然、眼前に大海原が広がった。


フロントガラスに広がった景色に、子どもたちが歓声を上げた。
子どもたちにとっては、初めて見る日本海、初めて見る水平線だったのだ。

クルマを停めると、子どもたちは一目散に海へと走っていった。
そして波打ち際にたどり着くと、そこで足を止めた。

その時撮ったのが、この写真だった。

ふだん見慣れている瀬戸内海と比べて、あまりにも表情が違う日本海に感動したのか、それとも怯えたのか。
その後ろ姿からは読み取れなかったが、子どもたちはまるで眼の前の海と対峙するかのように、ただただ水平線を見つめ続けていた。

ワタシは、この写真が好きだ。

ナビにも地図にも頼らず、不安を抱えながら進んだ道の先にたどり着いたのが、この雄大な景色だった。
大げさかも知れないが、その道程はまるで人生そのもののように感じてしまうし、海を見つめる二人の子どもたちの姿も、まるで自身の未来と対峙しているように見えてくる。

先の見えない道を走るのは、誰だって不安だ。
だからといって、立ち止まっていても景色は何も変わらない。

雄々しい海原の波は今に飲み込まれそうで、誰だって怖じ気づく。
だけどその一方で、その荒波の向こうに横たわる水平線の先に、人は思いを馳せてしまう。

この写真は、そんなことを教えてくれる。

昨日、この辺りは梅雨明けをした。
それを機会に、スマホの待ち受け画面とFace bookのカバー写真をこの画像に変更した。
4年前にこの写真を撮って以来、それは毎年恒例の習慣になっている。

いよいよ、夏本番だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする