駅のホームで見送ればいいだろう、と思っていた。
バック片手に親元を離れてゆく・・・浜田省吾の歌ではないけれど、何だかその方が絵になるような気がして。
しかし、理想と現実は違うのが、世の常。
運転席には、ワタシ。
助手席には、妻。
トランクには、テレビやら本やら衣類やらスニーカーやら、目一杯の荷物。
そして、その狭間の僅かに残った後部座席のスペースに、息子。
結局、東へ250km離れた学生寮まで、クルマで一緒に行くことになってしまった。
しかも、1年で最も忙しい、年度末の平日に(笑)
引っ越し業者に依頼する選択肢もあった。
だが、ワタシも妻も息子も、誰一人としてそうしようとは言わなかった。
それは、そこそこかかる運送料を節約したかったから・・・というわけではなく(まぁ、それも少しはあるけど😅)、そこにはもっと柔らかくて、うまく言葉にできない繊細な理由があったような気がしている。
◆
至近のインターチェンジから、高速道路へ。
クルマは快調に走ってゆくが、車内は思いのほか静か。
誰も、言葉を発することなく。
聞こえて来るのは、路面から届く走行音とインパネのオーディオから流れるテレビ番組の音声だけ。
だからといって、それが重い空気というわけではなく。
かといって、心地よい空気というわけでもなく。
何とも表現し難い、むず痒い空気が車内には漂っていた。
ほどなく県境を越えて、広島から岡山へ。
弾む会話を諦めたワタシは、クルマを走らせながら、今までのことをぼんやりと思い返した。
◆
19年前の夏。
「破水した」という連絡が妻の実家から入ったものの、娘の時は陣痛が半日続いた末に生まれたのだからまだまだ大丈夫だろうと思い、夕食を平らげ、風呂に入り、ゴミ収集場にゴミを捨てて、のんびりとクルマで病院に到着するや否や、陣痛開始からわずか3時間で産まれてきたこと。
下の子は喋り出すのが早いという例に漏れず、1歳を迎える前からカタコトで喋りはじめ、2歳になる頃には、もうベラベラになっていたこと。
それと比例するかのように好奇心も芽生えはじめ、一緒に風呂に入ると毎回質問攻め。
「なんで空は青いの?」「なんで鳥は飛べるの?」「なんでキリンの首は長いの?」なんで?なんで?なんで?・・・・ある時、ついに質問することが尽きてしまったのか、「なんでお父さんは髪の毛がないの?」と聞いてきたこと。
「分からないことがあるなら、調べに行くか?」と図書館に連れて行ったら、「ここに来れば、なんでも分かる❗️」と気づいてしまい、3歳にして本の虫になってしまったこと。
幼児の例に漏れず、恐竜に夢中になり、いつ何時も恐竜図鑑を手放さなくなったこと。
保育園の参観日。
園児の大半が外で遊んでいるにもかかわらず、誰もいない薄暗い廊下で一心不乱にティラノサウルスの形態模写をしている園児がいて、遠目でもそれが我が子だとすぐに分かったこと。
クワガタを捕まえたので飼うことになり、名前を何にしようか考えて考えて考えて考えて考えて考えて、「クワタくん」と命名したこと。
でも気が変わったのか、翌日には「ヤマモトくん」に変わっていたこと。
小学1年生になり、姉から低学年用の国語辞典を譲ってもらうと、「これを読んだら知らない言葉がなくなる❗️」という大発見をしてしまい、愛読書が恐竜図鑑から国語辞典に変わったこと。
そんな完璧なインドア少年のくせに、小学4年生の夏休みに、一週間かけて100kmを踏破する「おのみち100kmの旅」というイベントに参加すると言い出したので、「お前、大丈夫かっ⁉️」と思わず額に手を当てたこと。
そのイベントに参加し、本当に一週間で100kmを歩き抜いて、無事ゴールしたこと。
ゴールした後、一緒に歩いた仲間達と日焼けした真っ赤な顔で笑い合っている姿を眼にして、「もしかしたら・・・俺はこの子のことを本当は何も知らないんじゃないか?」とちょっと不安になったこと。
小学校5年生の時、突然「剣道をやりたい」と言い出したので、高校時代、剣道部だった友人に相談し、道場に見学に行ったはいいものの、その迫力と練習の厳しさに圧倒されて見事にビビってしまい「やっぱり、やらない・・・」と涙目で早々と白旗を上げたこと。
それでも、中学生になって卓球部に入部したこと。
試合に出ても、案の定ほぼ連戦連敗だったらしく、「悔しくないのか?」と尋ねても、返ってくる答えは、「いや、別に」。
どうやらこの子は、好奇心や探究心は人一倍あるけれど、闘争心や競争心が人より格段に低いのかも・・・と心配したこと。
高校受験の時、家族をはじめ、本人以外のすべての人間が市内一の進学校を受験すると思っていたのに、「坂道を通学するのは嫌だ」という信じられない理由で、坂道がほとんどない父親と同じ高校へ進学したこと。
だけど本当の理由は、詰め込み式で勉強させられそうな校風よりも、自分のペースで勉強ができる校風を選んだのだと、父親のワタシには分かっていたこと。
第一志望の大学を受験するにあたって、「その大学に入って何を勉強したいのか?」と質したら、「モンゴルや中央アジアの勉強がしたい」「騎馬民族の歴史をもっと勉強したい」と言ったこと。
奇しくもそれは、ワタシも高校生の頃におぼろげに抱いていたのに捨てた夢で、もちろんそれを彼が知っているはずがなく、それを聞いた瞬間、驚きのあまり息が詰まって胸が熱くなったこと。
12歳で、父親より靴が大きくなったこと。
14歳で、父親の身長を超えたこと。
あまり感情を顔に出さないくせに、実は泣き虫なこと。
風呂の掃除と洗濯物の取り込みは、必ずやってくれたこと。
そして。
誰よりも、家族思いだったこと。
◆
宝塚のトンネルを抜けると、次第に周囲の山々が低くなりはじめ、やがてフロントガラスの向こうに、無数の家々と林立するビル群が遥か彼方まで広がる景色が見えはじめた。
大阪だ。
大阪の街が見える。
これから息子が生きてゆく街が、眼前に広がってゆく。
◆
良いことばかりではないだろう。
悪いことや辛いこともそれなりにあるだろう。
それでもいい。
とことん経験してゆけ。
今まで遭遇したことがない出来事。会ったことがない人々。聞いことがない考え方。見たことがない景色。
これからは、そういった経験がお前を育ててくれるはず。
すべては、これからだ。
元気で。
自分に負けるなよ。
バック片手に親元を離れてゆく・・・浜田省吾の歌ではないけれど、何だかその方が絵になるような気がして。
しかし、理想と現実は違うのが、世の常。
運転席には、ワタシ。
助手席には、妻。
トランクには、テレビやら本やら衣類やらスニーカーやら、目一杯の荷物。
そして、その狭間の僅かに残った後部座席のスペースに、息子。
結局、東へ250km離れた学生寮まで、クルマで一緒に行くことになってしまった。
しかも、1年で最も忙しい、年度末の平日に(笑)
引っ越し業者に依頼する選択肢もあった。
だが、ワタシも妻も息子も、誰一人としてそうしようとは言わなかった。
それは、そこそこかかる運送料を節約したかったから・・・というわけではなく(まぁ、それも少しはあるけど😅)、そこにはもっと柔らかくて、うまく言葉にできない繊細な理由があったような気がしている。
◆
至近のインターチェンジから、高速道路へ。
クルマは快調に走ってゆくが、車内は思いのほか静か。
誰も、言葉を発することなく。
聞こえて来るのは、路面から届く走行音とインパネのオーディオから流れるテレビ番組の音声だけ。
だからといって、それが重い空気というわけではなく。
かといって、心地よい空気というわけでもなく。
何とも表現し難い、むず痒い空気が車内には漂っていた。
ほどなく県境を越えて、広島から岡山へ。
弾む会話を諦めたワタシは、クルマを走らせながら、今までのことをぼんやりと思い返した。
◆
19年前の夏。
「破水した」という連絡が妻の実家から入ったものの、娘の時は陣痛が半日続いた末に生まれたのだからまだまだ大丈夫だろうと思い、夕食を平らげ、風呂に入り、ゴミ収集場にゴミを捨てて、のんびりとクルマで病院に到着するや否や、陣痛開始からわずか3時間で産まれてきたこと。
下の子は喋り出すのが早いという例に漏れず、1歳を迎える前からカタコトで喋りはじめ、2歳になる頃には、もうベラベラになっていたこと。
それと比例するかのように好奇心も芽生えはじめ、一緒に風呂に入ると毎回質問攻め。
「なんで空は青いの?」「なんで鳥は飛べるの?」「なんでキリンの首は長いの?」なんで?なんで?なんで?・・・・ある時、ついに質問することが尽きてしまったのか、「なんでお父さんは髪の毛がないの?」と聞いてきたこと。
「分からないことがあるなら、調べに行くか?」と図書館に連れて行ったら、「ここに来れば、なんでも分かる❗️」と気づいてしまい、3歳にして本の虫になってしまったこと。
幼児の例に漏れず、恐竜に夢中になり、いつ何時も恐竜図鑑を手放さなくなったこと。
保育園の参観日。
園児の大半が外で遊んでいるにもかかわらず、誰もいない薄暗い廊下で一心不乱にティラノサウルスの形態模写をしている園児がいて、遠目でもそれが我が子だとすぐに分かったこと。
クワガタを捕まえたので飼うことになり、名前を何にしようか考えて考えて考えて考えて考えて考えて、「クワタくん」と命名したこと。
でも気が変わったのか、翌日には「ヤマモトくん」に変わっていたこと。
小学1年生になり、姉から低学年用の国語辞典を譲ってもらうと、「これを読んだら知らない言葉がなくなる❗️」という大発見をしてしまい、愛読書が恐竜図鑑から国語辞典に変わったこと。
そんな完璧なインドア少年のくせに、小学4年生の夏休みに、一週間かけて100kmを踏破する「おのみち100kmの旅」というイベントに参加すると言い出したので、「お前、大丈夫かっ⁉️」と思わず額に手を当てたこと。
そのイベントに参加し、本当に一週間で100kmを歩き抜いて、無事ゴールしたこと。
ゴールした後、一緒に歩いた仲間達と日焼けした真っ赤な顔で笑い合っている姿を眼にして、「もしかしたら・・・俺はこの子のことを本当は何も知らないんじゃないか?」とちょっと不安になったこと。
小学校5年生の時、突然「剣道をやりたい」と言い出したので、高校時代、剣道部だった友人に相談し、道場に見学に行ったはいいものの、その迫力と練習の厳しさに圧倒されて見事にビビってしまい「やっぱり、やらない・・・」と涙目で早々と白旗を上げたこと。
それでも、中学生になって卓球部に入部したこと。
試合に出ても、案の定ほぼ連戦連敗だったらしく、「悔しくないのか?」と尋ねても、返ってくる答えは、「いや、別に」。
どうやらこの子は、好奇心や探究心は人一倍あるけれど、闘争心や競争心が人より格段に低いのかも・・・と心配したこと。
高校受験の時、家族をはじめ、本人以外のすべての人間が市内一の進学校を受験すると思っていたのに、「坂道を通学するのは嫌だ」という信じられない理由で、坂道がほとんどない父親と同じ高校へ進学したこと。
だけど本当の理由は、詰め込み式で勉強させられそうな校風よりも、自分のペースで勉強ができる校風を選んだのだと、父親のワタシには分かっていたこと。
第一志望の大学を受験するにあたって、「その大学に入って何を勉強したいのか?」と質したら、「モンゴルや中央アジアの勉強がしたい」「騎馬民族の歴史をもっと勉強したい」と言ったこと。
奇しくもそれは、ワタシも高校生の頃におぼろげに抱いていたのに捨てた夢で、もちろんそれを彼が知っているはずがなく、それを聞いた瞬間、驚きのあまり息が詰まって胸が熱くなったこと。
12歳で、父親より靴が大きくなったこと。
14歳で、父親の身長を超えたこと。
あまり感情を顔に出さないくせに、実は泣き虫なこと。
風呂の掃除と洗濯物の取り込みは、必ずやってくれたこと。
そして。
誰よりも、家族思いだったこと。
◆
宝塚のトンネルを抜けると、次第に周囲の山々が低くなりはじめ、やがてフロントガラスの向こうに、無数の家々と林立するビル群が遥か彼方まで広がる景色が見えはじめた。
大阪だ。
大阪の街が見える。
これから息子が生きてゆく街が、眼前に広がってゆく。
◆
良いことばかりではないだろう。
悪いことや辛いこともそれなりにあるだろう。
それでもいい。
とことん経験してゆけ。
今まで遭遇したことがない出来事。会ったことがない人々。聞いことがない考え方。見たことがない景色。
これからは、そういった経験がお前を育ててくれるはず。
すべては、これからだ。
元気で。
自分に負けるなよ。
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