村上春樹について書いたのなら、今度は龍ちゃんです(笑)
僕の家の本棚に並ぶ書籍で、作家別で数えると、
たぶん一番多いのが村上龍の本だと思う。
昨日の日記で20代の頃、“村上春樹の本を貪るように読んだ”と書いたが、
村上龍の本の場合は、“抱きしめて”いた。
もう、誌面に踊る彼の言葉・・・それこそ彼の小説やエッセイを読むたびに、
そこに書かれた一言一句が、僕の心と身体を刺し続け、貫き続けた。
トーク番組「 Ryu's Bar」も大好きだった。
そこには、僕にとっての“オトナの世界”があった。
今でこそ、人気作家がTVのトーク番組のMCやコメンテーターをすることは
珍しくなくなったが、当時は、人気作家、しかも芥川賞受賞作家が
TVのトーク番組のホストをすることなんて、前代未聞のことだったし、
実際に、文壇の重鎮たちからは、猛烈な批判があったそうだ。
そういう背景があったからだろうか、番組の中での村上龍は、
いつもゲストと穏やかに対話しつつ、見えない何かと闘っているようにみえた。
彼は、間違っても外見はカッコいい男ではない。
背も低いし、足も短いし、顔もデカイ(すべてエッセイなどで自分自身で言っている)
番組にゲストにやって来た関根勤に「龍さんってドラえもんに似てますね」と言われて
戸惑っていたこともある(笑)
でも、その佇まいや語り口には、言葉では説明できないカッコよさがある。
同じく番組にゲストで来ていた女優の故 大地喜和子は、「龍さんって、色っぽくて
かわいい」と言ってた。
当時の僕には、よく理解できなかったが、今なら少しは分かるような気がする。
彼女が言っていたのは、村上龍の経験と才能なのだ、と。
男のカッコよさは、顔のよさや足の長さや声の渋さで決まるのではなく、最後は経験と才能で決まるのだ。
足が短く、顔がデカく、背が低く、おまけに髪の毛が寂しい僕は、心の底からそう信じたい(笑)
一度だけ、村上龍本人と会ったことがある。
5年前、隣の街に講演会でやって来た時に、その講演を拝聴して、
帰りに楽屋口で待ち伏せして(笑)、握手してもらった。
プニプニした柔らかい手だった。この手でペンを握って小説を書いているのか。。。
そう思ったら、少し感動した。
ここまで書いて気づいた。
彼の著書について、まったく触れていない(笑)
しかし、村上春樹のように“コレ”とひとつだけ挙げるのは、無理だ
あまりにも、好きで刺激的すぎて多種多彩だから、選べやしない。
でも、いくつか挙げよう。
ひとつは「69」。
変な読み方しちゃダメよ(笑)
これは“sixity nine”と読みます。
つまり、1969年の長崎県佐世保市を舞台にした私小説。
もう、本当に理屈抜きで面白い
だけど、今のご時世を考えると、やっぱり頭の中に浮かぶのは
「愛と幻想のファシズム」になる。
読んだ当時は、衝撃的だった。
“村上龍、スゲェ”と感嘆しながら読んだものだ。
読み終わったあと、しばらく本棚の中で眠っていたが、
1995年、オウム真理教事件が世間を震撼させていた時、
あらためて、ゆっくりと読んだ。
そして、2008年。
地球温暖化、原油高騰、人口爆発、異常気象、食料危機・・・ etc.
すべての問題を解決するためには、突き詰めると、やはりこの小説の
ような世界にならなければ解決しないのではないか?
毎日、憂鬱なニュースに接するたびに、僕の頭の中にこの小説の
主人公の鈴原冬二が現れる。
いったい僕たちは、どこへいくのだろうか?
僕の家の本棚に並ぶ書籍で、作家別で数えると、
たぶん一番多いのが村上龍の本だと思う。
昨日の日記で20代の頃、“村上春樹の本を貪るように読んだ”と書いたが、
村上龍の本の場合は、“抱きしめて”いた。
もう、誌面に踊る彼の言葉・・・それこそ彼の小説やエッセイを読むたびに、
そこに書かれた一言一句が、僕の心と身体を刺し続け、貫き続けた。
トーク番組「 Ryu's Bar」も大好きだった。
そこには、僕にとっての“オトナの世界”があった。
今でこそ、人気作家がTVのトーク番組のMCやコメンテーターをすることは
珍しくなくなったが、当時は、人気作家、しかも芥川賞受賞作家が
TVのトーク番組のホストをすることなんて、前代未聞のことだったし、
実際に、文壇の重鎮たちからは、猛烈な批判があったそうだ。
そういう背景があったからだろうか、番組の中での村上龍は、
いつもゲストと穏やかに対話しつつ、見えない何かと闘っているようにみえた。
彼は、間違っても外見はカッコいい男ではない。
背も低いし、足も短いし、顔もデカイ(すべてエッセイなどで自分自身で言っている)
番組にゲストにやって来た関根勤に「龍さんってドラえもんに似てますね」と言われて
戸惑っていたこともある(笑)
でも、その佇まいや語り口には、言葉では説明できないカッコよさがある。
同じく番組にゲストで来ていた女優の故 大地喜和子は、「龍さんって、色っぽくて
かわいい」と言ってた。
当時の僕には、よく理解できなかったが、今なら少しは分かるような気がする。
彼女が言っていたのは、村上龍の経験と才能なのだ、と。
男のカッコよさは、顔のよさや足の長さや声の渋さで決まるのではなく、最後は経験と才能で決まるのだ。
足が短く、顔がデカく、背が低く、おまけに髪の毛が寂しい僕は、心の底からそう信じたい(笑)
一度だけ、村上龍本人と会ったことがある。
5年前、隣の街に講演会でやって来た時に、その講演を拝聴して、
帰りに楽屋口で待ち伏せして(笑)、握手してもらった。
プニプニした柔らかい手だった。この手でペンを握って小説を書いているのか。。。
そう思ったら、少し感動した。
ここまで書いて気づいた。
彼の著書について、まったく触れていない(笑)
しかし、村上春樹のように“コレ”とひとつだけ挙げるのは、無理だ
あまりにも、好きで刺激的すぎて多種多彩だから、選べやしない。
でも、いくつか挙げよう。
ひとつは「69」。
変な読み方しちゃダメよ(笑)
これは“sixity nine”と読みます。
つまり、1969年の長崎県佐世保市を舞台にした私小説。
もう、本当に理屈抜きで面白い
だけど、今のご時世を考えると、やっぱり頭の中に浮かぶのは
「愛と幻想のファシズム」になる。
読んだ当時は、衝撃的だった。
“村上龍、スゲェ”と感嘆しながら読んだものだ。
読み終わったあと、しばらく本棚の中で眠っていたが、
1995年、オウム真理教事件が世間を震撼させていた時、
あらためて、ゆっくりと読んだ。
そして、2008年。
地球温暖化、原油高騰、人口爆発、異常気象、食料危機・・・ etc.
すべての問題を解決するためには、突き詰めると、やはりこの小説の
ような世界にならなければ解決しないのではないか?
毎日、憂鬱なニュースに接するたびに、僕の頭の中にこの小説の
主人公の鈴原冬二が現れる。
いったい僕たちは、どこへいくのだろうか?
現実でもセンセーショナルな事件が起きて
こわいんでしょ?
みりブログのY子は「インザミソ・スープ」で気持ち悪くなって
生ゴミに混ぜて捨てたって言ってたけど(それもひど)