11.瀟洒な岩峅寺-富山地鉄の乗り潰し
JR富山駅でコインロッカーを探し、旅行用バッグを入れる。
カメラバッグだけを持って行動開始する。
9月15日日曜日は08:28電鉄富山始発の電車で、
本線から直通する不二越・上滝線で岩峅寺まで行く。
早めにホテルをチェックアウトしたので、
JR富山駅の駅取材と富山地鉄市内線の車両取材する。
富山は今までに何回か訪問していて、
JR富山駅も改装前、仮駅と取材しているが、
高架後の駅舎は初めて取材した。
カメラバッグだけを持って行動開始する。
9月15日日曜日は08:28電鉄富山始発の電車で、
本線から直通する不二越・上滝線で岩峅寺まで行く。
早めにホテルをチェックアウトしたので、
JR富山駅の駅取材と富山地鉄市内線の車両取材する。
富山は今までに何回か訪問していて、
JR富山駅も改装前、仮駅と取材しているが、
高架後の駅舎は初めて取材した。
このあと発車少し前に電鉄富山駅に入場する。
昨日購入した地鉄電車2日ふりーきっぷは、
その名の通り2日間連続で使え、日付印も今日付になっている。
入場すると、14760形第2編成が停車していた。
その名の通り2日間連続で使え、日付印も今日付になっている。
入場すると、14760形第2編成が停車していた。
まだ客はあまりなく、車内は閑散としていた。
乗り込んだ14760形は08:28に電鉄富山を出発する。
隣の稲荷町で本線と別れ、35分で岩峅寺に到着する。
ここでの乗り換え時間は19分で、その間に駅取材する。
瀟洒な駅舎は、屋根や庇にも瓦が乗っている。
隣の稲荷町で本線と別れ、35分で岩峅寺に到着する。
ここでの乗り換え時間は19分で、その間に駅取材する。
瀟洒な駅舎は、屋根や庇にも瓦が乗っている。
岩峅寺駅は1921年8月20日に富山県営鉄道が開業させた駅である。
この鉄道は現在の上滝線を敷設した鉄道会社で、
現在の立山線は立山鉄道が敷設、元々は別の駅だった。
1931年3月20日に富山電気鉄道が立山鉄道を合併、
富山電気鉄道は1936年8月18日に立山駅を廃止、
富山県営鉄道岩峅寺駅に乗り入れることになった。
戦時中の1943年1月1日、富山県営鉄道は路線を富山電気鉄道に譲渡、
富山電気鉄道は富山地方鉄道に改称された。
この鉄道は現在の上滝線を敷設した鉄道会社で、
現在の立山線は立山鉄道が敷設、元々は別の駅だった。
1931年3月20日に富山電気鉄道が立山鉄道を合併、
富山電気鉄道は1936年8月18日に立山駅を廃止、
富山県営鉄道岩峅寺駅に乗り入れることになった。
戦時中の1943年1月1日、富山県営鉄道は路線を富山電気鉄道に譲渡、
富山電気鉄道は富山地方鉄道に改称された。
岩峅寺は相対式2面2線と島式1面2線の計3面4線の地上ホームを有する。
立山線が相対式ホームを使用、駅舎側が2番線、反対側が1番線に付番されている。
2番線は立山方面、1番線は寺田経由富山方面の列車が使用する。
島式ホームは不二越・上滝線が使用、運行上は岩峅寺が終着だが、
4番線はホームの先にも線路が延びていて、
立山線立山方面と繋がっている。
相対式ホームに対して島式ホームは少し開く形の線形になっている。
立山線が相対式ホームを使用、駅舎側が2番線、反対側が1番線に付番されている。
2番線は立山方面、1番線は寺田経由富山方面の列車が使用する。
島式ホームは不二越・上滝線が使用、運行上は岩峅寺が終着だが、
4番線はホームの先にも線路が延びていて、
立山線立山方面と繋がっている。
相対式ホームに対して島式ホームは少し開く形の線形になっている。
駅の中の看板にはこの駅舎が映画に使われていたことが記されていた。
それは「剱岳 点の記」という撮影技師の木村大作氏が監督した映画で、
原作は新田次郎の小説である。
100年前の富山駅という設定で使われたようだ。
早めにホームに入り、列車の到着を待つ。
やってきたのは16010形で元西武鉄道5000系の車両だった。
それは「剱岳 点の記」という撮影技師の木村大作氏が監督した映画で、
原作は新田次郎の小説である。
100年前の富山駅という設定で使われたようだ。
早めにホームに入り、列車の到着を待つ。
やってきたのは16010形で元西武鉄道5000系の車両だった。
西武時代の面影もそのまま残っていて、「特急立山号」のヘッドマークをつけている。
これに乗って24分で立山を目指す。
これに乗って24分で立山を目指す。