林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

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東急線ワンデーパスの旅-東急新横浜線と相鉄新横浜線の完乗10.

2025-01-20 | 鉄道・旅行

 10.東急池上線長原と蒲田の駅取材

大崎広小路で駅取材して、今度は1番線ホームに行く。
ここで7000系に乗って長原を目指す。

大崎広小路の隣の五反田は既に取材済みなので、
今度は下り方面の旗の台の隣の長原に行く。

長原駅は相対式2面2線の地下ホームを有する池上線の駅である。
1番線は下り蒲田方面、2番線は上り五反田方面が使用する。

長原駅が出来たのは1927年8月28日に、
雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)から、
桐ヶ谷(現廃止)まで延伸した時に同時に開業した。
駅名は開業当時の所在地の荏原郡馬込村字長原に由来するが、
開設前の予定では“馬込”であったが、
のちに“長原”の仮称が付けられ、正式に採用された。

開業時は地上ホームだったが、近接する環七通りの踏切解消のため、
1965年12月1日より地下化工事が開始され、
1968年6月9日に上下線ともに地下化され、
1973年11月30日に地下化工事は完了した。

長原で駅取材が完了したのは10:48a.m.で、
そろそろ昼食の時間だったためにこの先の取材は午後に廻し、
10:50蒲田行きに乗り込み、終点まで行く。

東急蒲田駅は頭端式5面4線の高架ホームを有する。
池上線と東急多摩川線が2線ずつ使用する。
各線路の両端にホームが接する形で設置され、
片側を降車ホームとして使用することで、
スムーズに乗り換えが出来る構造になっている。
1番線、2番線は池上線が使用、
3番線、4番線は東急多摩川線が使用する。
JR蒲田駅に隣接して建っている東急ストア蒲田店の、
2階部分にホームが設置されている。

蒲田に最初に駅を造ったのは国鉄(現・JR東日本)で、
1904年4月11日に東海道本線の駅が開設された。
現在の池上線にあたる池上電気鉄道が、
蒲田に駅を設置したのは1922年10月6日で、
当時から乗降分離を採用し、相対式2面2線で設置されていた。
翌年の1923年11月1日には目黒蒲田電鉄が、
目蒲線(現・東急多摩川線)が1面2線のホームを設置する。

東急は1918年9月2日に設立された田園都市を祖として、
1922年9月2日に同社の鉄道部門を分離独立させたのが目黒蒲田電鉄である。
同年10月2日には五島慶太氏が専務取締役に就任した。
五島慶太氏は武蔵野電気鉄道取締役と兼任していて、
武蔵野電気鉄道は1924年10月25日に社名を東京横浜電鉄に変更し、
1934年10月1日に目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を合併、
1939年10月1日に目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄を吸収合併し、
同年10月16日に目黒蒲田電鉄は東京横浜電鉄に社名を変更した。
五島慶太氏は小田急電鉄、京浜電気鉄道などの社長に就任し、
1942年5月1日に東京横浜電鉄に小田急、京急を合併、
社名を東京急行電鉄に変更した。
1944年5月31日には京王電気軌道を合併、
戦後の1948年6月1日に小田急、京急、京王などが分離され、
現在の形になった。
目蒲線は2000年8月6日に目蒲線は目黒から武蔵小杉を目黒線、
多摩川から蒲田を東急多摩川線に系統分離された。


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