rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

ラジオから流れた”猫になりたい”からやっぱりスピッツ

2019-10-17 00:05:59 | 音楽たちーいろいろ


邦楽はあまり聴かないけれど、スピッツはけっこうスキかもしれない。
歌詞に重きを置くタイプではないが、時々入り込む言葉の響きが心地よく、甘く切ない青春を思い起こさせ、青空を仰ぎたくなる。
仕事の出先より戻る途中のFMラジオから、”猫になりたい”が流れてきた。
サビの部分に猫が使われているのももちろんポイント増し増しなのを差っぴいても、素直に流れる音の連なりが、優しく鼓膜に届く。
確か最近の朝ドラに音楽を提供していたように記憶している。
かれこれ30年近く活動している彼らが、今もこうして素敵な曲を発表し続けるのは、とてもすごいことだ。
もしかすると、私は彼らのファンということになるかもしれない。






タイトルに入っているのに忘れてすまない。
ー猫になりたいー
じわじわ良さがくるくる・・・猫になりたい、言葉は儚い・・・



けっこう好き!エド・シーラン&ジャスティン・ビーバー "I don't care"

2019-09-16 15:30:41 | 音楽たちーいろいろ


エド・シーラン、声も好みだけれど、彼の作る曲、けっこう好きだ。
いろいろなアーティストとコラボしているのもいいけれど、最近ではジャスティン・ビーバーとの”I don't care"をお気に入りとしてipod touchにいれて流しながら、料理をして楽しんでいる。
両者ともに歌上手、聴いていて心地いい。
いいものはいつでも受け取れるよう、心を開いていきたい。




シザーズハンズな吟遊詩人 ビリー・アイリッシュ

2019-08-18 17:06:09 | 音楽たちーいろいろ

Billie Eilish - when the party's over

ビリー・アイリッシュは、まだティーンエイジャー、思春期のガラスのハートを歌い紡ぐ。
彼らの指先は、鋭利な刃物、彼のシザーズハンズを想わせる。
孤独に苛まれならが愛を欲しても、その指先は愛を掴むことはかなわない。
自らを抱きしめようとしても、指が自分を傷つける。
青白い顔をして当て所なく彷徨うか、悲しみが怒りにかわって差し伸べられる手をなぎ払ってしまう。
しかし、生れ落ちたときから指が刃物だったわけではない。
ボタンの掛け違いのように、丁度いいタイミングで愛を与えられ受け取れなかった、または、不幸なめぐり合わせが彼らから愛を遠ざけてしまったのか、孤独と絶望が彼らの指を長く鋭く変化させてしまったのだろう。
ただし、彼女のPVは、ある意味クールでスタイリッシュなのだが、どうにも私にはきつすぎる。
だから、音楽だけで満足なのだ。


i don't wanna be you anymore


i love you

ありがとうジョアン・ジルベルト

2019-07-07 21:17:47 | 音楽たちーいろいろ
"The Girl from Ipanema" Astrud Gilberto, João Gilberto and Stan Getz


運転中のカーラジオから、この”イパネマの娘”とともに聞こえてきたのは、ボサノバの大御所ジョアン・ジルベルトの訃報。
素晴らしい曲の数々を世に送り出し、私たちを潤してくれた。
追悼の意と感謝をこめて、ここに記そう。

日常的にジャズボーカル、たとえばマデリン・ペルー

2019-03-17 14:50:01 | 音楽たちーいろいろ
Madeleine Peyroux Dance me to the end of love


Madeleine Peyroux - The Summer Wind


人に持てるものには限りがあるのだろうかと、ちょっぴり寂しくなるこのごろ。
テクノやロックをこよなく愛し常に聴いていた家人が、近頃ドラムの刻むリズムやシャリ感を強調したエレクトロニックサウンドに疲れたと言い出した。
それが嫌いになったわけではないけれど、耳に痛くて日常的に聴くことができなくなったらしい。
それで、若いころには興味のなかったクラシックや、ボサノヴァ、とある理由から敬遠していたジャズへと音楽の嗜好を広げてきた。
最近、女性ジャズボーカルに傾倒していて、特に固定はなく、心が落ち着くような曲調のものを聴いている。
もともとそちら側も守備範囲だった私のために、甲斐甲斐しく視聴環境を整えてくれた。
年とともに趣味嗜好が変化するのは自然だとしても、加齢で起こる身体の変化で聴き取れる音域が変わり、同じものでも違うように感じてしまうのは、とてもせつない。
違う良さを得られるのだから、欲張らなければいいだけの話ではある。
しかし、好きなものの良さを感じられなくなるのは、簡単に割り切れるものではない。
家人のその寂しさをともに感じながら、あらたな「よきもの」を見出し、めでていこう。
小さな私たちは、まだ知らない「よきもの」がたくさんあるのだから。