rock_et_nothing

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農業と国の行く末は、一蓮托生

2012-06-07 22:47:07 | 随想たち
自動車を走らせる道の脇に広がる田園。
減反のために、稲を栽培していない土地がちらほら目立つ。
何も作付けしていないところは土の色そのまま、もしくは雑草が生い茂るところもある。
今年、気が付いたのは、麦を減反地で作付けしているところがかなりあったということ。
何も減反地ばかりではない、畑も麦を作るところが増えた気がする。

日本が、外国から食料輸入を増やし、依存するようになってこの方、麦栽培は下火になる一方だった。
大型機械を使い、広い耕地でシステマティックに生産したものに、価格競争で太刀打ちしようもなく、円が強くなってからはその傾向が顕著になった。
そればかりか、外国から農業の保護政策・保護貿易を取り払う圧力に抗えない、交渉術の弱さ、日本の立ち位置なども、輸入偏重になる要因の一つ。
あとは、企業と消費者のとにかく低価格重視の要望も、輸入歓迎と強く後押しする。

そればかりではなく、農業政策においての補助金問題がある。
米農家に、減反をするといくばくかの補助金進呈と米の買い取り価格の一定保障は、農家を優遇するとの意見だ。
しかし、農業が確実に儲かるならば、離農者が跡を立たないとか、後継者不足に悩んだりするだろうか。
実際、身の回りを見てみても、夫婦で農家を営むところ多く、高齢化が進んでいるのだ。
農家・畜産家は、休む暇がほとんどなく、天候や病気に左右される不安定な生き物を扱っている。
豊作なら豊作で、需要と供給の関係で価格が下落し、不作ならば、また収入が減る場合がある。
農業に従事している人たちが言うには、「財布の口をぱちんと閉めるまでは、収入の保証は立たない。」と。
あとは、個人事業主に当たる農家は、設備投資もかなり巨額になる。
農業機械、ビニールハウスなどの農業施設、苗種や肥料・農薬の購入、梱包資材に運搬費、数百万から数千万、億の単位の資金借り入れをしているところもある。
それから、耕地整理などの大規模土地改良による負担金のばかにはならない。
これについては、かなり問題があり、その推進方法は、いただけないやり口で泣きを見ている農家の姿がある。
場合によっては、補助金を受け取っても、土地改良の負担金に消えるか、それ以上の出費をすることもあるのだ。

人は、食べ物なくしては命を繫ぐことはできない。
今の日本、急激な円安、または国の破綻による円の無力化が起きたならば、どう食料の輸入をするのだろう。
あるいは、天候の激変により、世界的水不足や寒冷化による飢饉が起きた場合、食料の生産確保の手立てはあるのか。
日本の地理的有利さと、農業技術の高さでもってすれば、このような状況下でもいくらかの食料生産が可能だろうと思う。
先祖が、汗水たらし血の滲むような努力で土地を開墾し、耕作地に仕立て上げた土地を、みすみす無に帰することはない。
だからといって、欧米型の集約的大規模農場を日本で展開するには無理がある。
ほぼ山地である日本は、ほとんどのところで土地活用に欧米型は当てはまらない。
個々の風土にあわせた、きめ細かな農業のあり方を大切にするべきだ。
そして、生産力を高め、外国に依らずにやれるくらいの食糧生産を心がけるのだ。
石油ガスなどのエネルギーも大切だが、やれば自給できる食糧生産をここで目指さないと、国の存亡がかかっている。
今にして農業推進国に変貌するには、遅すぎるきらいもあるが、近頃の地球の状態を思うとあながち杞憂でない気がする。

そうだ、よく食品表示に”国産麦””国産大豆”など国産に文字が躍っているが、果たして本当なのか。
麦も大豆も、9割以上が輸入に頼っているのに。

農業は、やった分だけ成果が見えると聞く。
働いた分だけ確実に収入を得られるならば、就農者も増える大きな動機付けになる。
地方に、農村に、人が増えれば、国土が荒れることも防げる。
何とか、農業を復興させることはできないものか。
遠い未来を見据えたら、とても大事なことだと思うのだ。