一ヶ月以上、爽やかな晴天の日がないように思える。
毎年9月になって間もなくにする稲刈りも、今年は10日以上も遅くなった。
それも台風と秋雨の合間を縫って行われたもので、いまだに稲刈りを終えていない田もちらほら残っている。
昨日よりまとまった雨のない今日においては、やっと稲を刈り取れると仕事を急ぐ農家の人の姿が多いように見えた。
私の住む地域に、千年以上も歴史のあるお寺がある。
七日七夜読経する由緒ある祭りが今行われているが、年々参拝者が減っているのは以前このブログにも書いた。
3日目の今夜、我が家にしては早い参拝に行ったのだが、7時前だというのにほかに参拝者はいなかった。
縁日の出店もすっかり店じまいをして、常夜灯が侘しく店を照らし出している。
年々縮小する出店の数、人が引く時間の早まり、往時の盛況ぶりは面影もない。
祭りに足を運ぶのが信心とはならなくとも、神様仏様に手を合わせ祈るきっかけとなり、不可知なものに対する畏怖を持つことは悪くはないのではないだろうか。
いい意味で身の程を知り、謙虚になり、生きていることを有難く思う、その機会がいろんな場面で失われてっているように感じる。
からからに乾き、硬くなってしまった心の世界には、何が育つと言うのだろうか。
厚い雲に覆われそぼ降る雨にうつむく心には、雲の上に広がる青空や満天の星が存在し続けることを思う余裕はないだろう。
目先のことだけに囚われては、希望は見えてこない。
けれど、現実は飛び切り厚い雲に覆われ、我々は惑わされ放題といったところなのだな。
毎年9月になって間もなくにする稲刈りも、今年は10日以上も遅くなった。
それも台風と秋雨の合間を縫って行われたもので、いまだに稲刈りを終えていない田もちらほら残っている。
昨日よりまとまった雨のない今日においては、やっと稲を刈り取れると仕事を急ぐ農家の人の姿が多いように見えた。
私の住む地域に、千年以上も歴史のあるお寺がある。
七日七夜読経する由緒ある祭りが今行われているが、年々参拝者が減っているのは以前このブログにも書いた。
3日目の今夜、我が家にしては早い参拝に行ったのだが、7時前だというのにほかに参拝者はいなかった。
縁日の出店もすっかり店じまいをして、常夜灯が侘しく店を照らし出している。
年々縮小する出店の数、人が引く時間の早まり、往時の盛況ぶりは面影もない。
祭りに足を運ぶのが信心とはならなくとも、神様仏様に手を合わせ祈るきっかけとなり、不可知なものに対する畏怖を持つことは悪くはないのではないだろうか。
いい意味で身の程を知り、謙虚になり、生きていることを有難く思う、その機会がいろんな場面で失われてっているように感じる。
からからに乾き、硬くなってしまった心の世界には、何が育つと言うのだろうか。
厚い雲に覆われそぼ降る雨にうつむく心には、雲の上に広がる青空や満天の星が存在し続けることを思う余裕はないだろう。
目先のことだけに囚われては、希望は見えてこない。
けれど、現実は飛び切り厚い雲に覆われ、我々は惑わされ放題といったところなのだな。