しし座流星群の時期になった。
17日の夕方からぼちぼち観察しだして今日の夕方まで、諦め悪く空を見上げていた。
時間もまちまち、トータルで5時間は星を眺めていたと思う。
そして見たのが1個、飛び切り明るくはっきりとした軌跡を描いたものだった。
今年のしし座流星群は、満月と重なり条件は厳しい。
ただ、17日には雲がかかって視界を遮られてしまったけれど、18日と19日の夜7時においては快晴で、月明かりに消されない明るさを持つ星ならば、よく見ることができた。
おそらく流れ星はいくつか流れていたのだろうけれど、その控えめな光輝ゆえ、目に捉えられなかったのだろう。
唯一見ることができた流れ星は、17日の夜7時半頃、ほぼ真上の空を東から西に向かって眩いオレンジ色の光を放ちながら走り去った。
流れ星が見えるかどうか偵察の意味で空を見上げていたから、その流れ星に気を良くして、小さい人と中くらいの人を呼びにいく。
しかし、共に空を見上げだしてから10分もしないうちに、西から雲が押し寄せて、十数分で空のほとんどを埋めてしまった。
結局、小さい人も中くらいの人も流れ星には出会えずに終わり、次の流星群に期待をつなぐことになる。
私は、ちょくちょく外に出たり、またはベランダから、夜中に起き出しては空を見上げていた。
流れ星を探しながら思うことは、在るということは永遠ではなく、その前後には無が存在するのだということだ。
それを心に刻んでは、遥か彼方からやってきた光の発生元は今はもう存在しないかもしれないと感傷に浸っている。
あのオレンジ色に光った流れ星は、今はもう跡形もないけれど、私の記憶に留まって、まだ命を繫いでいるのだ。
17日の夕方からぼちぼち観察しだして今日の夕方まで、諦め悪く空を見上げていた。
時間もまちまち、トータルで5時間は星を眺めていたと思う。
そして見たのが1個、飛び切り明るくはっきりとした軌跡を描いたものだった。
今年のしし座流星群は、満月と重なり条件は厳しい。
ただ、17日には雲がかかって視界を遮られてしまったけれど、18日と19日の夜7時においては快晴で、月明かりに消されない明るさを持つ星ならば、よく見ることができた。
おそらく流れ星はいくつか流れていたのだろうけれど、その控えめな光輝ゆえ、目に捉えられなかったのだろう。
唯一見ることができた流れ星は、17日の夜7時半頃、ほぼ真上の空を東から西に向かって眩いオレンジ色の光を放ちながら走り去った。
流れ星が見えるかどうか偵察の意味で空を見上げていたから、その流れ星に気を良くして、小さい人と中くらいの人を呼びにいく。
しかし、共に空を見上げだしてから10分もしないうちに、西から雲が押し寄せて、十数分で空のほとんどを埋めてしまった。
結局、小さい人も中くらいの人も流れ星には出会えずに終わり、次の流星群に期待をつなぐことになる。
私は、ちょくちょく外に出たり、またはベランダから、夜中に起き出しては空を見上げていた。
流れ星を探しながら思うことは、在るということは永遠ではなく、その前後には無が存在するのだということだ。
それを心に刻んでは、遥か彼方からやってきた光の発生元は今はもう存在しないかもしれないと感傷に浸っている。
あのオレンジ色に光った流れ星は、今はもう跡形もないけれど、私の記憶に留まって、まだ命を繫いでいるのだ。
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