昨日、小さい人がおたふく風邪になったので、近くの地域総合病院で診察してきた。
ここは、田舎。
我が家から一番近い病院が、その総合病院。
小児科のある病院は、そこ以外、さらに車で10分以上走らなければない。
高熱を出して弱っているものにとって、高だか10分も辛いものだ。
それで、混んでいることを考えて、先に受付をし、指定感染症に罹患している旨を継げ、どのくらいの時間に来ればよいのかをたずねる。
目安とされた時間に、小さい人と来院。
隔離待合所で診察順番を待つ。
この隔離待合所、特別に用意された部屋ではなく、避難通路にパテーションで仕切りをし、丸型の簡易スツールを数脚置いたのみ。
他の患者に伝染するのを幾分避けるためには必要な処置にしても、哀しいほどにお粗末。
高熱で疲弊している体には、座りようのない形の椅子。
そう、それは、ラーメン屋などにある形の椅子だ。
次に、いくら順番といえども、そのような状態で30分以上も待たなくてはならないこと。
やっと診察にこぎつけ、階段を下りて検査室に向かい検査をし、検査結果と処置が終わるまでに1時間10分。
そして、会計と調剤30分。
小さい人は、疲労困憊。
しかし、これでも、まだ早く済んだほうなのだが、病気を患っている人にとっては、長い時間だ。
伝染性の感染症を患っているとき、良く思うのだが、他の患者の人と同じ待合室、検査室、会計調剤の場にいていいものだろうかと。
人件費、設備、空間的余裕がないからできないのは重々承知。
でも、医療としての根本的目的と理想を考えれば、分離が望ましい。
これ以外でも、診察システムにおいて、さらに分業制をとって欲しいと、家人と話していた。
初見を十分すぎるほど経験を積まれた医者がして、軽度・重度など2つ以上に振り分け、それぞれの場合別で診察するということ。
既に、その方式を取り入れた病院もあるが、せめて総合病院と名が付くところには浸透させて欲しい。
医療は、効率とは程遠いところにあるのではないか。
医療行為にあたるのも人、されるのも人、心にゆとりのある状態で、各々のなすべきことをしたいものだ。
ここは、田舎。
我が家から一番近い病院が、その総合病院。
小児科のある病院は、そこ以外、さらに車で10分以上走らなければない。
高熱を出して弱っているものにとって、高だか10分も辛いものだ。
それで、混んでいることを考えて、先に受付をし、指定感染症に罹患している旨を継げ、どのくらいの時間に来ればよいのかをたずねる。
目安とされた時間に、小さい人と来院。
隔離待合所で診察順番を待つ。
この隔離待合所、特別に用意された部屋ではなく、避難通路にパテーションで仕切りをし、丸型の簡易スツールを数脚置いたのみ。
他の患者に伝染するのを幾分避けるためには必要な処置にしても、哀しいほどにお粗末。
高熱で疲弊している体には、座りようのない形の椅子。
そう、それは、ラーメン屋などにある形の椅子だ。
次に、いくら順番といえども、そのような状態で30分以上も待たなくてはならないこと。
やっと診察にこぎつけ、階段を下りて検査室に向かい検査をし、検査結果と処置が終わるまでに1時間10分。
そして、会計と調剤30分。
小さい人は、疲労困憊。
しかし、これでも、まだ早く済んだほうなのだが、病気を患っている人にとっては、長い時間だ。
伝染性の感染症を患っているとき、良く思うのだが、他の患者の人と同じ待合室、検査室、会計調剤の場にいていいものだろうかと。
人件費、設備、空間的余裕がないからできないのは重々承知。
でも、医療としての根本的目的と理想を考えれば、分離が望ましい。
これ以外でも、診察システムにおいて、さらに分業制をとって欲しいと、家人と話していた。
初見を十分すぎるほど経験を積まれた医者がして、軽度・重度など2つ以上に振り分け、それぞれの場合別で診察するということ。
既に、その方式を取り入れた病院もあるが、せめて総合病院と名が付くところには浸透させて欲しい。
医療は、効率とは程遠いところにあるのではないか。
医療行為にあたるのも人、されるのも人、心にゆとりのある状態で、各々のなすべきことをしたいものだ。
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