ルドンの絵は、深い沈黙の中にある。
漆黒のなかに蠢く奇怪な生き物たち、色鮮やかな花瓶から溢れんばかりの花たち、目を閉じて物思いにふける青年、天高く駆け上がる騎馬たち。
ざわめきや、生命の踊る賑々しさなども、ルドンの手から繰り出される色の糸によって吸い取られて、この上ない静けさに浸される。
ルドンは、物思いを止めない。
深く自分の内側を見つめ、真理を求めて絵を描く。
その考察の一つ一つが、一枚の絵となって零れ落ちてくる。
彼は、絵で語る哲学者になる。
絵に描かれた真理の一つを見るものに差し出し、考えよ、瞑想せよ、そして哲学せよと、我々に語りかける。
ルドンにとって、絵を描くことと、瞑想することは、同列だったのだろう。
彼の絵を観ていると、穏やかな思考に導かれ、ニュートラルな世界から事象の海を眺め、物思いに耽ることができそうだ。
そういう意味で、とうとうと流れる意識の川のプルースト的な絵画なのかも知れない。
イリエ・コンブレーの小川、病弱な少年プルーストが、夢想した世界。
ルドンは、プルーストより30年ばかり早く生まれたが、同じような時代を過ごし、共通する空気を吸って生きたことが、似たような印象を与えるのだろうか。
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