rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

Mickey3Dーミケ・トロワデ、フレンチロック

2011-02-14 23:49:03 | 音楽たちーいろいろ
自分勝手なカテゴライズで、「ダルダル系」というのがある。
いまのところミケ・トロワデとダイアーストレイツ、オアシス。
おもにボーカルの印象が、脱力系によって分けられた。

Mickey3D(ミケ・トロワデ)は、フランスのロックグループで、現在は活動していない。
アルバム“MATADOR”が、最も気に入っている。
そのなかの“Matador”と“ Le Sixieme Sens ”は、なかなかいい。

フランスの音のセンスと曲の傾向は、独特のものがある。
言葉の音感からそうなるのだろうと、これもまた勝手に推し量っているが、イギリス・アメリカの音とは、明らかに差があるのだ。
それとも、自分が選び聴く音楽が似通っていて、たまたま一定の傾向を持つせいなのか。
しかし、長く耳にしてきた言葉のリズムや民俗音楽の影響は、新たな音楽のジャンルで曲を作っても自ずと滲み出るのだろう。
そして、どうフランスの音楽に特徴があるのか。
あくまでも、個人的印象だが、何処か全てに角がない、不思議に柔らかさがある。
気張りすぎなく、あえて(?)抜いたところを作っている、残している、そんな気がするのだ。
一見野暮なように思えるけれど、そんな方向性もあるという、成熟した感じがするのだ。

変な自慢だが、やはり、アクセル・レッドとおなじくミケ・トロワデを聞き込んでいるのは、半径50km内に自分しかいないと豪語するのである。
そうもこうも、へそ曲がりな気質が関係しているのは言うまでもない・・・

http://youtu.be/AnkSvbEE_q4

小さい人と作った、ジャム入りチョコレート

2011-02-13 23:57:35 | 食べ物たち


明日は、バレンタインデーだが、それとは関係なく、小さい人とチョコレートを作った。
今便利なキッチングッズの一つにシリコン製の調理器具がある。
その扱いやすさと柔軟性を生かして、菓子の型も出回っている。
今回のチョコレートの型に、そのシリコン製チョコ型をつかった。
しかし、高温で加熱する調理器具のシリコン製は、気分的に信用が置けないので、今のところ使う気はまったくない。

市販の板チョコを溶かして型に入れ、上にデコレーションをするだけはつまらないし、売るほど作った大量のオレンジマーマレードや柚子マーマレードとチョコレートのコラボを考えていたので、チョコレートの中にジャムを入れて作ることにした。
今回は、初めてなので、オレンジマーマレードとマーマレードが苦手な人のために市販のカシスジャムの2種類を用意。
溶かしたビターチョコレートを型の底に入れてからジャム、その上にまたチョコレートをかけてアラザンやチョコスプレッドで飾り付けた。
もちろん、小さい人はデコレーション担当。
この次もしくは来年、小さい人自らこの程度のチョコ作りならできるだろう。

お味は・・・ジャムの酸味とビターチョコレートのほろ苦さがベストマッチ。
小さい人たちも、この組み合わせは美味しいと、次々手を伸ばす。

オレンジとチョコレートの出会いは、もうずっと前のこと、パリ7区にある新進気鋭のショコラティエの店で、ショウケースに並んでいるチョコレートを1個づつ全種類を買って食べたときのオレンジリキュールのプラリネ入りチョコレートにある。
口の中に広がるオレンジの風味とビターチョコレートの味のハーモニーが、爽やかにして大人の初夏の午前のひと時を思い起こさせるような、そんなイメージを頭の中に浮かばせた。
それからというもの、贅沢な気分を味わいたい時には、そのオレンジ・チョコレートと次にお気に入りのピスタチオのプラリネ入りのチョコレートを買いに出かけた。

それ以降、オレンジとチョコレートの素晴しい組み合わせに出会えることがないまま過ぎてしまった。

4年前に、ベルギーを訪れたとき、何件かのチョコレート専門店でオレンジとチョコレートの組み合わさったものを探した。
いささかへそ曲がりなため、ゴディバ以外の店だった。
残念なことに、どこにもない。
ほとんど諦めかけて、ベルギーを後にするときに、南駅の構内にあるゴディバの小さい店舗に入ってみた。
ずらりと並べられたチョコレートを見渡していると、なんとオレンジピールにビターチョコレートでコーティングしたものがあるではないか。
このときは、にわかゴディバ信者になって、嬉々として100gの大盤振る舞いをしてしまった。
オレンジピールとビターチョコレートのシンプルすぎる組み合わせだが、オレンジプラリネを吹き飛ばすインパクトで、おかげでパリのオレンジプラリネを味覚の記憶から追いやってしまったのだ。

そして今年、自分で作ったオレンジマーマレードを入れたチョコレートを作ろうと決心していた矢先に、このぷらら・ブローチのユーザーに、オレンジとチョコレートの美しい組み合わせを作っている方がいた。
那須のラ・シェーブルフィユ。
記事を見て次の日に、那須に行っているはずの実家の親に頼み込み、そのチョコレートを買ってもらった。
ビター、ミルク、ホワイトそれぞれのチョコレートでオレンジピールがコーティングされている。
やはり、一番の好みはビター。
口に含むと、また、あの至福のひと時が蘇った。
ほんとうに、この組み合わせが好きなのだ。

かくも、たった一つのチョコレートに翻弄されている。
でも、味覚・嗅覚・視覚・聴覚・触覚の五感いずれかを強く捉えて記憶されるものは、いつになっても褪せることはないし、偶然にもそのアイテムを通して呼び起こされる感覚は、言いようのない懐かしさを伴って、心が記憶を彷徨い遊ぶ幸せをもたらしてくれる。
かのマルセル・プルーストが、プティット・マドレーヌに記憶の触媒を与えたように。




絢爛豪華な様式美、狩野元信「四季花鳥図屏風」

2011-02-13 01:31:23 | アート
狩野派の様式を確立した狩野元信。
漢画と大和絵を融合させて、力強さと雅な華やかさ、余白がもたらす時間の移ろいを、一幅の画面に取り込んだ手法は、元信以降の日本の絵に大きな影響を与えた。

「四季花鳥図屏風」は、六曲一双からなり、一つの屏風に春夏、もう一方に秋冬の季節を描いた。
並べてみると、二つの屏風が一つの景色を形作り、右から春夏秋冬へと季節が移ろう趣向になっている。
大和絵の手法の一つ、金雲で場所と時間の移行を難なく促し、また、豪華さを演出するのと、鮮やかな色彩を使うことでリズムを生み出し華麗さを加える。
漢画における墨の力強い線は、画面に強い躍動感を与え、反面厳しくストイックな効果で大和絵にない凛とした雰囲気を与えながら、余白の使い方に渋く高潔な空間を立ち上げている。
そこに、繊細に描写された鳥たちや花が典雅さをもたらしている。

確かに、元信の画業の集大成として威風堂々とした作品だ。
非常に美しい。
しかし、その気負いと自身が画面から漲っていて、いささか立派過ぎる感がある。
好きか嫌いかと問われれば、好きな部類だが、あまりにも正面きっての立派さなので、たまにご対面できるだけで充分だ。
その当時の時代の気運もあるのだろうが、自分としては、さらに様式化され洒脱な琳派の作風が好みといえるだろう。


図鑑は、駆け出しの好奇心を刺激する

2011-02-11 23:53:45 | 本たち
小さい人が、「植物図鑑」を所望する。
図書館に本を借りに行ったとき、児童書コーナーで図鑑の下見をした。
植物図鑑は、4種類あった。
そのなかで、小さい人が好みそうな1冊をピックアップして、借りた。
小さい人にそれを見せたら、なんと希望通りの本だという。
しばらくは、その借りた本を見て、本当にこれでいいのだと思えるときは、買おうと約束をした。

実際、その植物図鑑は、図版も綺麗で、いろいろなアプローチの仕方で内容を構成している。
見ていて飽きないし、植物から派生・応用した知識が書かれていて、好奇心が様々な方向に伸びる可能性を誘導している。
ちなみに、その植物図鑑は、「小学館の図鑑NEO 植物」。

自分の子供の頃、図鑑や百科事典を毎日飽きずに眺めていた。
動物、植物、昆虫、恐竜、芸術・・・
今手元にその本たちはないが、子供に買った図鑑を見ると、ついつい時間を忘れて眺めてしまう。
その延長に、自然史博物館や植物園、美術館は、機会があればいつでも行きたい場所になっている。
東京国立博物館と東京国立自然博物館は、子供に体験して欲しいトレジャーハンティングのメッカだと思う。
まったくの知識がないと、ただのつまらない展示物になってしまうが、多少学校で学んだことや、日ごろ家庭で培う雑多な知識を持てば、それが取っ掛かりとなって、博物館が宝の山、好奇心を刺激するものに溢れたところだと、ワクワクしないではいられないだろう。

ヒトの4キログラムほどの脳は、未知の可能性を秘めている。
膨大な量のメモリーを持ち、それをうまく関連付け、新たな発想を生む。
基底部となる小さな情報を提供してくれる図鑑は、特に子供にとって必要な脳の栄養源であるまいか、そう思うのである。

アンドレイ・タルコフスキー、湿った森

2011-02-11 00:29:53 | 映画
タルコフスキーを知ったのは、当時傾倒していたミュージシャンのデヴィッド・シルヴィアンのソロアルバム「ブリリアント・テュリーズ」に書かれたライナーノートからだ。
そのアルバムに収録された「ノスタルジア」は、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」に影響された・・・とあった。
曲のイメージは、鬱蒼としなくても地衣類が地面や倒木を覆い隠し、湿った森の空気が漂う・・・そんな感じ。
絵画的な色合いを帯びた曲から、タルコフスキーの映画が観るべきものと思われ、早速レンタルしてきた。

映画は、まさしくその曲が描き出したイメージそのものだった。
水が土地の建物も人も浸食し、蝋燭の火が無常を照らし出す。
いくら夢(やすらぎ)を追い求めても救われない人の心。

「サクリファイス」も観た。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「三方博士の礼拝」が、狂言回しとして使われていた。
未完成のその絵が、不気味に事の結末を暗示する。
原罪を背負った人間を贖うために磔刑に架けられる幼子イエスと、聖母マリア。
贖罪は、たやすくできるものではない。
罪なきものが、全てを投げ打って他者のために贖うからこそ意味があるのだ。
ならば、この世に生きている人が贖罪するには、どうしたらよいのか・・・

他にロシアイコンの傑作といわれる「三位一体」を描いた画家「アンドレイ・ルブリョフ」の映画もあるが、残念なことにまだ観られずにいる。
イコンに魅せられている自分にとって、「三位一体」は垂涎の的だ。
例えフィクションの要素が強くても、ロシアの大地を感じ、あの絵の生まれた空気を味わえる期待を抱いて、是非とも観てみたい。

どうも、視覚優先で判断する傾向が強いせいか、絵画的映画に魅了される。
タルコフスキーの映画は、そんな自分にとって、一枚の名画になるといえるだろう。