坂の上のアリスー05ー
『当たり前になっている』
「ニイニのこと追い払いたかったんだと思うよ」
食べ終えた食器をシンクに置きながら綾香が言った。
前の学校で人を殺した……すみれの言葉の意味が分からなくて、夕飯の時に聞いてみたんだ。
大事な話をされたとき、綾香はすぐには返事をしない。一度自分の心に落としてから答える。
時に、その返事は数日後のこともある。だから、他人からは「無視された」と勘違いされることもある。
本人も分かっていて、日常、たいていのことには即答する。
即答だから考えてはいない。ボブが良く似合う美少女らしい反応のパターンを持っていて、それを脊髄反射で口にする。
だけど、脳みそを使って出した答えが的確だとはかぎらない。
いまの返事なんて、俺の心をえぐるだけじゃねえか。俺はお前に頼まれてすぴかの心配してるだけなんだけどな!
「でも種のない話じゃないと思う」
洗い終えた洗濯物を洗濯機から出し終えた時に、綾香は続きをポツリと言った。濡れた髪をバスタオルでガシガシ拭きながら。
これも綾香の癖。深く考えるときには発作的に風呂に入る。
ま、夕べはかなり蒸し暑かったんで、たんにサッパリしたかっただけなのかもしれないが。
「すぴかって、あんなだから無意識に人のこと傷つけっちゃってさ、それを『殺した』ってエキセントリックに表現したんじゃない?」
「これまでの付き合いで分かんねえのかよ?」
洗濯機の中を拭きながら返す。これやっとかないとカビの元になる。
「あたしは、すぴかが学校に来れるように雰囲気作ってたの。そんなえぐるようなこと聞くわけないじゃん」
そう言うと、外面女は乱暴にキャミやら下着を洗濯機に投げ入れる。
「いま洗濯し終えたとこなんだぞ!」
「いいじゃん、つぎ洗う時まで入れときゃ」
「そんなもん、臭くなっちまうだろーが!」
「朝着替えたばかりのだもん、臭くなんかないよ!」
「こら! 鼻先にもってくるんじゃねー!!」
昼からは一週間分の買い出しのためにスーパーに出かけた。
二人暮らしになった初めのころは、綾香も付いてきた。
だけど、どうしてもスーパーで兄妹喧嘩になる。
綾香は大ざっぱで、なにかにつけて徳用のでかいのをレジカゴに入れたがる。俺は、一応一週間分の献立を考えている。
で、売り場に並んでいる商品を見ながら微調整。いや、場合によっては献立をガラリと変えることもある。
一か月もたったころ、飽きたのか俺のやり方がうまくいくことが分かったのか、綾香は付いてこなくなった。
「亮ちゃん」
清算を終え、レジ向こうのテーブル台で買ったものを袋に詰め込んでいると、聞き覚えのある声がかかった。
「あ、一子」
一子が、俺の横に並んでカゴの中身をレジ袋に入れる。
「こっちのスーパーに来るなんて珍しいね」
「え、ああ、折り込み広告見てな」
「フフ、このスーパー毎日特売って触れ込みなんだよ」
「あ、そうなんだ」
知っていた。ただなんとなく気分転換に来てみただけなんだ。
「亮ちゃんて、マイバッグなんだ」
「あ、うん」
俺んちはレジ袋をもらわないしきたりだ。ガキの頃からこうなんで、当たり前になっている。
一子は、そのマイバッグを見ながらニコニコしていた。
♡登場人物♡
新垣亮介 坂の上高校二年生 この春から妹の綾香と二人暮らし
新垣綾香 坂の上高校一年生 この春から兄の亮介と二人暮らし
夢里すぴか 坂の上高校一年生 綾香の友だち トマトジュースまみれで呼吸停止
桜井 薫 坂の上高校の生活指導部長 ムクツケキおっさん
唐沢悦子 エッチャン先生 亮介の担任 なにかと的外れで口やかましいセンセ