真凡プレジデント・81
ここからは歩いていくわよ。
消防車のエンジンキーを切ると、ため息一つついてビッチェが言った。
よっこらしょっとステップから降りると、サワっと肌感覚があって着物姿になってしまった。
「あ、あれ?」
戸惑っていると、消防車のノーズを周ってきてビッチェが……ビッチェも着物姿だ。髪も時代劇、それも江戸時代よりも前のヒッツメみたく束ねたもの。
「バックミラー見てみ」
ミラーに映った自分も時代劇……なんだけど、束ねた髪はお姫様みたく横から垂れてるのが無くて素っ気ない。麻生地の船形袖で、丈は膝までしかなく、清潔な着物なんだけど、薄い緑色に白抜きの葉っぱが散ったような柄。
「時代が分かったら、後ろのステップの荷物、一つ持って」
「う、うん」
後ろに回ると一抱えもある甕が二つ並んでいる。
薄汚い甕だけど、口の所だけは真っ新な紙で覆って清々しい紙紐でくくられて、お祝いの品かなあと思う。
二度目のよっこらしょで、ビッチェと一つづつ抱える。
「ま、入れ物込みで一貫目だから、ちょっとの辛抱ね」
「一貫目?」
「あ、3.75キロ。尺貫法の時代だからね」
「尺貫法の……?」
そう言って、ビッチェが小さく右手を振ると消防車が消えた。
「ここでのアレコレが終わるまでは隠しとくの、この時代に消防車は無いから」
そう言ってスタスタ歩き出す。
チャプンチャプンと音がして、この匂い……中身はお酒だ。
視界が広くなったと思ったら、今までいたのが、ちょっとした鎮守の森。トトロが出てくるのに相応しい。
「確認しとく、真凡、今の名前は?」
「かえで……あれ?」
他にもいろんなことが頭の中に湧いてきて、わたしは四百年以上昔にリープしたことを知った。
ビッチェはすみれだ。
「やあ、ご苦労だった!」
森の外周を周って来たのだろう、痩せぎすだが敏捷そうな体の上に顔の表情筋を120%嬉しさに動員した小男が駆けてきた。
なんだ、この陽気な120%は?
「なんとか手に入りましたよ熱田のお酒。ここで渡していいんですよね」
「ああ、すまん……いや、いっそ、付いて来てくれんか」
「あ、また思い付き」
「そう言うな、わしの思い付きは日枝神社のご託宣と同じじゃ、きっといい目が出る!」
「じゃ、お手当は十文増しね」
「いやいや、おぬしらにはかなわんなあ!」
二人のやり取りを聞いて、やっと分かった。
この大声の小男は、やっと公に姓を名乗り始めた藤吉郎……のちの豊臣秀吉だ!
☆ 主な登場人物
- 田中 真凡 ブスでも美人でもなく、人の印象に残らないことを密かに気にしている高校二年生
- 田中 美樹 真凡の姉、東大卒で美人の誉れも高き女子アナだったが三月で退職、いまは家でゴロゴロ
- 橘 なつき 中学以来の友だち、勉強は苦手だが真凡のことは大好き
- 藤田先生 定年間近の生徒会顧問
- 中谷先生 若い生徒会顧問
- 柳沢 琢磨 天才・秀才・イケメン・スポーツ万能・ちょっとサイコパス
- 北白川綾乃 真凡のクラスメート、とびきりの美人、なぜか琢磨とは犬猿の仲
- 福島 みずき 真凡とならんで立候補で当選した副会長
- 伊達 利宗 二の丸高校の生徒会長
- ビッチェ 赤い少女
- コウブン スクープされて使われなかった大正と平成の間の年号