魔法少女マヂカ・201
礼法室の階上から凌雲閣の地下に下りた。
凌雲閣は震災で大破して、陸軍の工兵隊の手によって爆破処理されて、震災の明くる年である大正13年には影も形も残っていない。しかし、爆破のショックで時空にずれが出来たせいか、地下部分が女子学習院礼法室と繋がってしまったのだ。
むろん、誰でもが行けるわけではなく、魔法少女の他は普通の人間では高坂霧子だけだ。
「どうやら、このドアだな」
エレベーターを取り巻くようにして並んでいるドアから、ブリンダは四番のドアを選んだ。
エレベーターを含む地下部分は米国式なので、ブリンダの勘が冴えるのだ。
「ん……ちょっと重いな」
「鍵がかかっているんじゃないのか?」
「いや、そんな気配は無い」
ブリンダと二人で押したり引いたりしてみるが、ドアはビクともしない。
「あ、なにか挟まってるわ」
ノンコが蝶番のあたりを指さす。
「どこどこ?」
霧子が覗き込むが、ちょっと分からないようだ。
「呪(しゅ)がかかってる、人には見えへんねやわ」
「だったら、ノンコが取ってやれば」
「うーーーーーん……見習いの力では取れへんみたい」
「どいてみろ……紙切れが挟まってる……たしかに呪がかかってるな。マヂカ、手伝え」
「うん、わたしは下からやるよ」
ブリンダと二人蝶番の上下から解呪の魔法をかける。
「……よし、取れた」
「本のページだな」
「英語?」
「Das Kapital」
「ダス カピタル」
「マヂカの英語訛ってるで」
「英語じゃない、ドイツ語だよ」
「あ……」
「心当たりがあるのか、霧子?」
「ううん」
「ま、開いたんだ。行くぞ」
ブリンダに続いて、四人で向かったドアの向こうは震災後の9月15日のようだった。
「どこらへんやろか?」
ノンコがキョロキョロする。
あたり一面瓦礫の山で、火災こそ収まっているけど、煙の臭いが濃く、死臭や腐臭が混じっている。
「二人とも、ハンカチで口を押えて」
「う、うん……」
わたしとブリンダは平気だろうが、霧子とノンコはたまらないだろう。
「神田か日本橋のあたりだと思うわ」
霧子が、焼け残っている建物や市電の軌道から見当をつけた。
人の行き来はまばらで、たまに見かける人影は、大荷物を背負っていたり、大八車を曳いていたりしている。
「みんな、あちこちに避難してるんだわ。やっと戒厳令が解かれたころ……上野公園あたりは人で一杯のはずよ」
「上野に行ってみる?」
「とりあえず」
瓦礫の角を曲がると緩い坂道の向こうに日本橋の狛犬が見えてきた。
「高速道路が走ってない日本橋って新鮮やなあ」
「高速道路?」
「何十年かすると、橋の上を自動車専用の道路が走って橋の上は薄暗なってしまうんよ」
「へえ、そうなんだ」
狛犬の歯並びまで分かるようになったころ、後ろから声をかけられた。
「君たち、どこへ行くんだね?」
え?
振り返ると、漆黒の襟章を付けた将校が立っている。
漆黒の襟章は憲兵、階級章は大尉だ。目深にかぶった軍帽のツバのせいで表情が読めない。
戦前の憲兵は怖い、さすがの霧子も顔が強張っている。
「わたしたち、女子学習院の生徒なんです。被災者救護補助の為に上野公園に向かうところです」
我ながら、スラスラと嘘が出てくる。
「そうか、それは感心なことだ。しかし、もうじき摂政殿下が御視察の為にここを通られる。規制が入るから、早く立ち退きなさい」
「はい、承知いたしました」
「お役目、ご苦労様です」
四人揃ってお辞儀をすると、憲兵大尉は綺麗に敬礼を決めて、わたしたちを追い越していく。
「……あなたは!?」
霧子が声を漏らすと、橋に差し掛かった憲兵大尉がゆっくりと振り返った。
「見破られてしまったかな……」
軍帽を気障に脱いで見せた顔には見覚えがある。
「新畑さん!」
あ、あの団子坂! インバネスの男だ!
「摂政殿下がお通りになるのは本当だよ、気を付けなさいということもね」
そう言うと、再び憲兵大尉に戻って、足早に橋を渡っていった。
※ 主な登場人物
- 渡辺真智香(マヂカ) 魔法少女 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 要海友里(ユリ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 藤本清美(キヨミ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 野々村典子(ノンコ) 魔法少女候補生 2年B組 調理研 特務師団隊員
- 安倍晴美 日暮里高校講師 担任代行 調理研顧問 特務師団隊長
- 来栖種次 陸上自衛隊特務師団司令
- 渡辺綾香(ケルベロス) 魔王の秘書 東池袋に真智香の姉として済むようになって綾香を名乗る
- ブリンダ・マクギャバン 魔法少女(アメリカ) 千駄木女学院2年 特務師団隊員
- ガーゴイル ブリンダの使い魔
※ この章の登場人物
- 高坂霧子 原宿にある高坂侯爵家の娘
- 春日 高坂家のメイド長
- 田中 高坂家の執事長
- 虎沢クマ 霧子お付きのメイド
- 松本 高坂家の運転手