先日兵庫の絵葉書資料館さんのHPにアクセスをさせていただき、絵葉書を何枚か選び、送って頂きました。
主に、近代日本画、洋画家の作品の絵葉書です。
その中には小林古径の絵葉書もありました。
私はこの絵葉書に描かれた少女像がとても気に入ってしまい、これを何枚か求め、手元におきましたが、
どうしてもここに書かれた文字が読めず、またこの古径の作品はどんな時期にどんないきさつで描かれたものなのかが
知りたくなり、思い切って古径作品にお詳しいお客様にこの葉書をお送りし、おわかりになることがあったら
お教え頂きたいとお願いをいたしました。
ここからは少し長くなりますので、お時間がございましたらお付き合いくださいませ。
まず、この作品について、このお客様も今年初めにこの絵葉書にご興味をお持ちになり、資料として絵葉書より大きなサイズのものを絵葉書資料館さんからお求めになられたとお知らせいただきました。
そしてこれは春陽堂発行の「新小説」の付録の絵葉書の画として、古径さんが随分お若い時に描かれたもので、
この絵葉書に書かれた文字はどうやら古径さんの手によるものではなく、付録の絵葉書をどなたかがお使いになられて書かれたものだろうと推測されているというお返事をすぐにいただきました。
念のため絵葉書資料館さんにもお問い合わせくださり、裏面の宛名などの情報をお聞きくださったようですが、回答は得られなかったそうです。
(葉書に書かれた文字、お便りの内容も読みくだしてくださいましたが、ここでは省略させていただきます)
以下はその際お教えくださったメールの抜粋です。
絵葉書資料館から入手致しましたA4サイズの古径さんの複写資料の
欄外には、「花を持つ女性」と印字されていましたが、この画は一体何な
のかと思いまして、少し調べて見ました。日本近代文学館所蔵資料に関し
て、「新小説総目次・執筆者索引」(稲垣達郎・紅野敏郎編、八木書店)が
刊行されて居りました。さっと見ただけですが、古径さんに関連する事項
は、「新小説 第八年第十二巻」(明治三十六年十一月一日発行)でした。
表紙は黄菊白菊、絵葉書(天長節)、小林古径、口絵といった項目が列挙
されています。明治天皇のお生まれになった十一月三日の天長節、菊花
も何となく分かるような気持ちが致します。現在、国立国会図書館への複
写依頼を致して居ります
そして後日、またこの作品についての情報を以下のようにお伝えくださいました。
複写資料によりますと、古径さんの描かれた絵葉書の題名は矢張り「天長節」
のようです。二枚一組の体裁による絵葉書で、マイクロフィルム資料のために
モノクローム複写となりました。明治三十年の帝国図書館設立後の納本制度
による受入資料と思われます。サイズが重いので関係箇所のみ添付ファイル
にて二度に分けて送信申し上げます。
以下が添付してお送り頂いた資料です。
まず明治36年11月1日発行の「新小説」の目次から。
ご覧になれますでしょうか?右のページの一番下に絵葉書の紹介があります。
そして
こちらが新小説の表紙と付録としてつけられた絵葉書二枚のコピーです。
私は、この資料を拝見したとき何だか涙が出てきてしまいました。
この小菊を持つ少女に「貴女にここではあえました」
そんな気持ちを持ったからです。
明治32年16歳の時に上京した古径は当店でもよくその作品をご紹介いたします梶田半古の画塾に入門しました。
その時梶田半古は30歳の若さで既に新聞挿絵の世界で実力派の画家として名前を知られましたが、まもなく病に臥すことが多くなり、古径は自分の画家としての修行とともに、塾頭として他の弟子の面倒もよくみていたといわれています。
画家としての夢と現実の生活の苦労という混沌のなかにあって、20歳の古径の心情は如何なものであったかと想像をしますが、
この可愛らしい小菊を持つ少女を観ると、古径はもうすでに古径であって、筆をもったときの古径はきっといつも無のなかにいたのではないかしらと感じられます。
古径さんに関するものは出来る得る限り蒐め、基礎的な資料にしたいと
考えて来ましたが、特に越後から上京された前後の明治三十二年頃の
原資料は中々大変です。實業之日本社の「幼年の友」や付録の「双六」
、少年雑誌に描かれたもののほか、若き画家の生活の糧の一つとして
の挿絵等も随分とあるように考えて居ります
この「つれづれ」に記事を書かせていただくようになり八年半が過ぎました。
思いがけず長い間、拙い文章を皆さまにお読みいただくようになりましたが、当初想像もつかなかったお客様とのお縁を多くいただくことが出来ました。
そして皆さまに多くの自信を頂き、益々自分達の好きな画家、作品を扱わせていただくようになりました。
私はもともと小林古径の作品が大好きでしたが、最近ではその素描に強く心を惹かれるようになり、
こうしてライフワークとして古径の作品と生涯をお調べになられているお客様ともお会いすることができました。
たった一枚の絵ハガキから、これほど豊かな情報を得られましたのは、この少女についてもっと知りたいという私の気持ちをお客様がお察しくださったから、また「古径」という画家がたとえそれが雑誌の挿絵、付録の絵葉書の上であっても、その時の古径の筆を精一杯残してくれたからだと思えます。
メールの抜粋をお読みくださればおわかりになられますように、大変お優しく、美しい文をお書きになられるお客様に古径のことばかりでなく、私は沢山のことをいつもお教えていただいております。当時の挿絵に関する資料は少なく「これは本当に古径さんの手によるものか」と思われる作品もあるようにお聞きいたしましたが、勝手ながらこれからもお身体をおいといくださり、ご研究をお続けいただきたいと切に願っております。
今年もあとわずかになりました。年末年始も少しづつブログを更新させていただきます。
どうぞ、またお立ち寄りくださいますようお願い致します。
明治30~40年代の古径の素描作品
明治35年 妙音
明治40年 闘草(くさあわせ)
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