このブログをご覧くださるみなさまの中に清宮の作品をご所蔵の方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
清宮作品の人気は以前から知っていましたが、多分当店が清宮の作品を扱わせていただくのはこれで2回目?ではなかったかと思います。版画を一度、ガラス絵は今回がはじめてです。
画集を開けば、清宮がとても魅力的な画家であったことは一目瞭然でしょう。
ただ、清宮の作品を「絵」といってよいのか?少し疑問が残ります。
絵というよりは「詩?」そんな印象をみなさまもお持ちになるのではないでしょうか?
群馬県館林美術館2017年展覧会パンフレットからの引用
木版画家・清宮質文(せいみや・なおぶみ)(1917-1991)は画家・清宮彬(ひとし)の息子として東京に生まれ、中学生のころにエドヴァルト・ムンクの版画に強い感動を覚えますが、本格的に版画に向き合うまでには比較的長い時間を要しました。1942年、東京美術学校油画科を卒業後、長野や東京の美術教師、商業デザイン会社勤務を経て、1953年、グループ展をきっかけに本格的な木版画家としての道を歩むことになります。以後、春陽会展や個展を中心に作品を発表し、洗練、浄化された世界を追求し続けました。「外の限界を拡げることは不可能ですが、内面の世界を拡げることは無限に可能です」。これは清宮芸術を語る時、もっとも多く引用される清宮自身が書いた言葉です。自らの内なる世界をずっと旅した清宮は、切り詰めた形と深く澄んだ色彩によって、小さな木版画の中に無限に拡がる抒情の詩を謳い続けました。
木版画、水彩画、ガラス絵。それが清宮の残した主な仕事です。
狙いをもち、計算をしながら、しかしそのときどきに変化する刷りの妙、絵の具の動きをまるで楽器を奏でるように楽しんでいるのが清宮の世界だと思います。
私自身が若い時には、清宮はただの青臭い画家だと思っていました。自分に酔っているだけの、詩人きどりの画家?
けれど、今更ですが、当店にあるこの作品を見ていると、もっともっと深いところに清宮が居るのだと気づきはじめました。
絵の具がガラスの上を静かに流れ出すように、色と色がそっと混じりあうように、私の心に少しづつ清宮の世界が広がっていき、決して動きをとめません。
内なる世界、海の底に向かうときの孤独にはどのようにも耐えられる。そして、必ずそこに美しい、幸せもみつけてみせる。
けれど、一度は水面に顔をだして呼吸をしなければならないとき、ふと欲しくなるのはぬくもり、人間への郷愁。
私は今、清宮にそんなイメージを持っています。
とてもお寒くなりました。インフルエンザも流行りだしました。
どうぞみなさまご自愛いただきますようお願いいたします。
今週もよろしくお願いいたします。
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