つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

今週の佐橋美術店

2024年09月07日 | 佐橋美術店の展示・展覧会
今週も毎日お一人かお二人づつ、お立ち寄りくださるお客様がいらしてくださいました。

それぞれによくご覧くださる作品が違っているのも、私には楽しいことでした。



「時間の調整で、見せていただくだけですけれどよろしいですか?」
と入って来てくださった方は、お帰りがけにこの「初日」がとても良かったとお伝えくださいました。
牛島の名前をご存知なかったので、どこかの美術館でまた出会われるかも知れませんと名前だけお教えしました。


私に気を遣ってくださり、作品を買えない理由をお話しくださったりされるよりも「見せてください」とだけおっしゃっていただくほうが、私も別の仕事をさせていただいたりできるので気が楽です。

ホームページなどでお目当ての作品をおみつけくださっていても、まずご覧になるだけご覧になっていただけたらと思っています。



この脇田の少女を「可愛い」と気に入ってご覧くださるお客様もいらして、私にはとても意外でした。

私だけのお気に入りの作品!だと思っていました。

絵を売る場所ですのに、売り手には「私は好きだけれどなかなか皆さんにご理解いただけないだろうなぁ」と思う作品=商品もあるものです。




浜口の版画は、今でもとても人気があります。









少し前にも書かせていただきましたが、この森の作品の良さに気づくのがとても遅くなりました。

昨日からまた眺めていますが、やはりこの女性の顔の表現、そして、(手の描写はどうかな?と思いますが)、胸の描写がとても素晴らしいと思えました。

男性のお客様は、顔の描写の上手さはお分かりになっても、なかなか胸の描写に対しての意見はお持ちになりにくいと思います。

ご自分が持っていらっしゃらないものですものね。

女性は、もちろん肉体的個性はあると思いますが、胸については男性よりよくわかります。

森はやはり裸婦を描くのが上手だとつくづく思います。

これ以上このお話に触れると⚠️危険のように感じますので、きょうはここまでにいたしますね😅





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堂本印象 秋色

2024年09月05日 | 堂本印象
昨日はご来店のお客様がいらっしやらなかったので、ついのんびり過ごしてしまい、午後のおやつの時間が近づいてから慌てて仕事を始めました。

やらなくてはいけないことは、それなりにあるのに、切羽詰まらないと動き出せないことがとても多くなりました。二人の時にはきっとお互いが監視役にもなれ、それなりに仕事ができたのだと思います。


せめてブログだけは書かせていただこうと堂本印象について調べていると、また画集を前にして立ち止まってしまって、とうとう記事を書けないまま帰社してしまいました。

画集の前で立ち止まったのは、「秋色」が何年位の制作か?ある程度はっきりさせたいと思ったからです。佐橋には「後期」としか聞かされていませんでした。

弥栄さんにお尋ねすれば、すぐに教えていただけるのはわかっていますが、そして今調べてもまたすぐ忘れてしまうのもわかっていますが、それでもとにかく調べないと!と思いました。

「なんとなく~」一日の大半をグズグズ過ごしてしまった時間を取り戻すのには、逆に時間の無駄遣いのようにじっくり何かに取り組むほうが、「何かをした一日」になるように感じます。




同じ落款は画集にありましたが、年代はわかりません。

「印象」の文字は、多分昭和20年~30年のころだろうと思いますが、その判別は難しいと思えました。わずかに「印」という文字の変化があるくらいでしょうか。

あとは同じような作品を画集に見つけるしかありません。
堂本印象は、印譜をコロコロ変える画家ではなかったように思いますが、作風は随分変化していきます。


ヒントは絹本!墨の扱い方!人物の描写!です。









昭和20年代前半の作品たちです。「秋色」にとてもよく似ています。



昭和30年の作品です。






「秋色」です。

20年~30年というのはわかりますが、さらなる年号の決定はやはりできません。

ですから、とりあえず、昭和20年~30年。1945年から1955年。
印象50代半ば~60代前半の作品と考えたいと思います。

もし、訂正があればまたお知らせいたします。

ちなみにこの後すぐ、昭和30年64歳で印象は抽象表現に挑戦します。





日本芸術院会員、文化勲章受章、美術館のデザイン。
この昭和30年前後の堂本印象には華やかな経歴が並びます。そこで老境の境地に入るのかと思いきや、それまでの画業を網羅しながら、或いは活かしながら、抽象の世界に挑戦を挑むその熱意。

御舟の言う「梯子を降りて次へ向かう勇気」というより、梯子を降りると同時に次の梯子に足をかけている画家、それが堂本印象のように思えます。

体質的というより、かなり意志的な行為のように感じられるのも特徴的です。


朝顔 昭和40年

抽象画を描きながらのこの線描画。
初期の線描とは全く趣が違います。

いつもどこか明るく、楽しく、かといって軽々しくなく、寂しく、けれども決して重くなく。。

印象の作品にはいつもそう感じさせる魅力があります。

もしかしたら、それが印象にとっての「生きる」ということなのかもしれません。



「秋色」は小さいながら、横に広がる余白が、その堂本印象らしさを十分表現できている作品だと思っています。

虫の音とともに一人歩く。

そんな秋の風景画です。






堂本印象 「秋色」 絹本 尚郎箱 ひさお
17.5×33.5㎝  税込275,000







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2024年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム
台風10号が消滅しました。樹齢3000年の屋久杉が倒されたり、各地に被害が及んでいるようです。


知れば胸を痛める事件や事故、災害が多く、この頃はネットニュースさえ見なくなりましたが、台風が去ったあとだというのに、なんだかボン!と空気が淀み、蒸し暑いこの数日を過ごしていると「人間はこのままで大丈夫なのだろうか?」と勝手な心配を始めてしまいます。

それでも、夜、1人で湯船に浸かっていると確かに虫の音が聞こえてきて、「どんなに暑くてももう蝉は鳴かないのだろう」
「秋の虫たちが鳴いているのだから、どんなに暑くても秋なのだろう」と思えてくるのです。

もしかしたら台風が人間など相手にもせず、他の生き物たちに何か季節の合図のようなものを伝えているのかもしれません。






「虫の音は日本人にしか聞こえないらしいですよ。」と昨日お野菜を買いに出かけたお店のご主人が教えてくださいました。

初めて知ったことなので、とても感動してネットで調べてみると、本当に日本人と僅かな国の人にしか虫の音は聞こえないそうです。
虫の音が雑音に聞こえるのだとありました。

虫の音が聞こえないなんてなんて悲しいことだろうと思い、虫の音が聞こえなかったから、秋のあの美しい月をどうやって愛でるのだろうか?あぁ〜月も愛でないのかぁ??と頭の中が混乱し始めました。


そして、虫の音が雑音に聞こえる外国の方達にやはり日本画を本当にご理解いただくことは難しいのではないか?
もしかしたら、いずれ日本人も虫の音が聞こえなくなるのだろうか?となんとも言えない不安な気持ちになりました。


だからこそ今、私たちに虫の音が聞こえるうちに、秋の絵を皆様にご覧いただきたいと思いました。

当店の秋の作品も随分少なくなりましたが、また少しブログに取り上げさせていただこうと思います。

もっと歳を重ねて〜さらに耳が遠くなって〜嫌なことは聞こえなくなって好都合になっても〜虫の音だけは命ある限り聞きたい、感じていたいなぁと今つくづく思っています。













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