最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

美しい生き方

2005-05-10 21:04:55 | 医療と健康
今日は、テニススクールの日。
人間って本当に欲が深い。

くも膜下出血になって、命が助かったときには、
“自分はなんて幸運なんだ。この命を大事に、生きていこう!”
と心底周りに感謝し、生きていけるだけで満足していた。
そのうち、医師の勧めでウォーキングを始め、それがジョギングが出来るほどになると、
“こんなに走れるほどになった。私って幸せ!”
と、心から思った。そして
“これなら、テニスも出来る!”
と、テニスを始めると
“テニスが出来るようになるとは思わなかった。こんな幸せな事ってあるかしら?”
と思った。そしてしばらく続けると
“どうして、うまくならないんだろう?”
全く、きりなく、欲深くなる。

さて、それはそれで…
今日の話は、そのテニススクールで一緒のSさんのお母さまの話。
Sさんは3週間ほどスクールをお休みしていて今日久しぶりに出ていらした。
ご高齢の母君と暮らしていらっしゃるお話を聞いていたので
「お母様はお元気?」
と訊くと
Sさん「それが亡くなりました」
私  「えっ、」
Sさん「4月の17日でした」
私  「まあ、どんなことで?」
Sさん「16,17日で母の兄弟姉妹や従兄弟、子供たちが温泉に行って
    “従兄弟会”を開くことになっていたの。
    それで、前の日、15日に美容院に行ってヘアーダイをして、
    髪をきれいに整えてきたの。ちゃんと自分で歩いて…
    家に帰ると、ちょうど一緒に“従兄弟会”に行く
    母の妹と私の妹が来ていたので、楽しく話していたら、
    母が『ちょっとおなかが痛い』と言うので、
    かかりつけの家の近くの病院に行くと
    『大したことないようですが、ちょっと、腸閉塞気味なので、
     念のため入院して下さい』
    っていわれて、その晩は病院に居ることになったの。
    次の日、“従兄弟会”に母の妹と私の妹が出かけたので
    母の病院に行くと、
    『ちょっと、お熱が出て』
    と看護士さんに言われたので
    『“従兄弟会”行けなくて残念だったわね』って言いながら、
    母の足をさすっていたら、突然様子がおかしくなって、
    お医者様を呼んだら、もう、ダメで、2時間くらいで亡くなったの。
    前の日に、美容院に行って、
    妹や娘たちと楽しく話せて、それは美しい死顔でしたわ」
私  「おいくつでしたの?」
Sさん「98歳でした」
Sさん「母は、若い頃はテニスの大会で優勝したし、
    80歳から始めた油絵は、なかなか上手で
    新聞やテレビに取材されたこともあったの。
    数日前に、絵を描き上げたばかりでした。」

ウ~~ン!こんな人生の終わり方、望んでもなかなか出来ないけど、
そうできたらいいな~!!! 
コメント (9)
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