あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

倉賀野の古墳と社寺巡り(群馬)

2009-05-12 21:33:29 | カントリーウオーク
 もう1か月余り過ぎてしまいましたが、ソメイヨシノが満開の群馬県
高崎市倉賀野町周辺の古墳と社寺を巡った、4月初めのレポートです。

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 2009年4月9日(木)



 春の「青春18きっぷ」の残り2枚を使い、連れ合いが行きたいという
倉賀野周辺の古墳と、途中にある社寺を結んでめぐることにした。

 JR八高線に乗り、高崎線との合流駅、倉賀野(くらがの)で下車した。
駅前0分で倉賀野小があり、いつか関東百駅で来たときに、やまさんは
「駅に最も近い学校」と言ったところ。

 その学校の北を回り、高崎線の線路を背にした栄泉寺へ。緑豊富な
境内の一角に、「幽霊石」というのがあった。

 倉賀野城主・金井淡路守の奥方を埋葬するために掘った穴から出た、
石仏だという。

 墓地のそばのソメイヨシノが満開。


 住宅地を西北に進んで中山道に出て、スーパーで昼食を調達、少し
先から田んぼのあぜを進んで浅間山古墳に行く。

 全長176mの前方後円墳で、5世紀前期の築造と推定されている。
後円部の頂上に上がると、残雪の浅間山が望まれる。

 写真中央部だが、お分かりいただけるだろうか…。

 南側から眺める浅間山古墳。


 田んぼに咲くナノハナを眺めながら南に進み、烏川の支流を渡って
光運寺へ。

 本堂のそばに古い鬼瓦が2つ残されていて、往時の大きさがしのば
れる。

 近くには、整備されずに近寄れぬ、円墳らしいピークが見られた。


 再度、烏川の支流を越えて北に上がり、国史跡になっている大鶴巻
古墳に行く。やはり前方後円墳で、後円部はよく姿が残されている。


 全長は140mで、5世紀前期の築造という。その円墳部に上がり、
ちょうど正午になったので、北方に見える残雪の谷川連峰などを眺
めながら、昼食にした。


 東に向かい、道路を挟んで倉賀野中と相対する倉賀野神社に入る。
境内のソメイヨシノが、まさに満開である。

 倉賀野神社は、崇神天皇48年の創建という古社。現在の本殿は、
慶応2年(1866)に遷宮式を行った記録があるという。

 総ケヤキ作りの社殿には、鷹やフクロウなどの精巧な彫刻が施され
ている。


 境内に奉納された、たくさんの絵馬には、牛が描かれていた。


 更に東に少しで中山道に出る。復元された高札場や脇本陣跡を過ぎ、
倉賀野駅に近い九品寺へ。山門前に露座の新しい仁王像が立っていた。

 境内の鐘楼は、背の高い独特の造り。反対側には、鎌倉時代末期の
造仏という5体の石仏が小屋に並んでいた。

 次は、倉賀野駅ホームのすぐ南にある養報寺に参拝する。

 本堂前の若木のシダレザクラが花を開いていた。


 山門の格天井には、鳥などが鮮やかに描かれている。


 ここもソメイヨシノが花盛り。


 線路沿いに出て、倉賀野駅東側の踏切を越えて北に向かう。 (続く)

  
コメント
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