2009年5月10日 (日)〈続き〉
塩野神社境内の杉木立の下を北に下り、東に延びる「あじさい小道」と
呼ぶ両側にアジサイの続く遊歩道を進む。
平行する車道に比べ、多少アップダウンはあるが、ウッドチップを敷い
たところもあり、足に優しく木陰なので快適に歩ける。
新緑の山や集落を映す、塩野池の横を通過する。
新しい炭焼小屋の前を過ぎ、里帰りそばが名物らしい「上田市塩田の
館」の横を抜け、ちょっとした急坂を上がって龍光院へ。
塩田北条二代国時により父義正公の菩提を弔うために建立されたとか。
参道の途中に、義正公の墓もあるという。「信州の鎌倉」を訪れる人の
ため、特製の山菜料理も味合うこともできるようだ。
山を背にどっしりと立つ本堂。しゃちほこの上がる鐘楼。その間によく
手入れされた庭木が豊富。山門の横に、みごとなフジが咲いていた。
アジサイの小道はさらに続く。山すその高台なので、塩田平を見下ろ
す気持ちよい展望が得られる。
「塩田城跡」と記された大きな石碑があった。
鎌倉時代、幕府の重職だった北条義正が館を構えたのが始まりとか。
幕府滅亡後は村上氏が領有したが、甲斐の武田信玄に攻められ落城。
武田氏のものとなり、天正10年(1582)、武田氏が没落し、真田氏が
上田城を築くまで、この地方の軍政の拠点だったという。
間もなく、塩田城の鬼門に位置し、その祈願時だったという前山寺(ぜ
んさんじ)に着く。弘法大師の開山と伝えられる塩田平きっての古寺と
いう。
重厚なかやぶき屋根の本堂に相対して、南側段上に窓や扉、高欄の
ない三重塔が立つ。
室町時代の建立と推定され、未完成のためといわれるが、見た目には
調和のとれた塔で、国重文である。
広い境内は、やわらかな新緑とボタン、ツツジ、フジなどの花がいっぱ
い。三重塔のそばのモミジは、紅葉のような彩りを見せていた。
正午が近いので、拝観後、山門の外で昼食とし、宿で用意してもらった
弁当を食べる。
予定の電車に間に合わせるには、この先の無言館の観覧時間が少な
くなりそう。食事を終えた人から順次向かってもらうことにした。そばの
信濃デッサン館(下)も見たいところだが、寄らずに通過する。
前山寺から下る参道には、松や桜が両側を覆い、入口に、樹高20m、
樹齢350年、お地蔵さんに囲まれた大ケヤキが立っていた。
上田つむぎの店の横を曲がり、造成中の公園の広場を横切り、少しの
斜面を上がって無言館に行く。
第二次世界大戦で戦死した画学生の遺作などを収蔵・展示する美術
館。志を果たす前に戦場に散った若者33人の絵画、ブロンズ像、手紙
や画具などが展示され、無言で悲惨な戦争と平和の尊さを訴えている
ようであった。
ゆっくり観覧したい人はバスで、それ以外の人はさらに2㎞近く歩いて
塩田町駅に向かう。
広々とした田園地帯を過ぎ、上本郷の家並みに入る。かやぶき屋根に
トタンを被せた薬師堂の横に、数人抱えの大ケヤキが、枝をいっぱい広
げていた。
歩きのメンバーは、無人の塩田町駅に13時3分ころ、バス組はギリギ
リに着き、13時16分の上田行きに乗り、帰路についた。
乗り換え待ちの上田駅前の温度計は、真夏並みの34℃を示すが、湿
度が低いので、それほどの暑さとは感じなかった。
(天気 快晴後晴、距離 9㎞、標高差(累積) 約700m、地図 別所
温泉、武石(わずか)、歩行地 上田市、歩数 20,300)
塩野神社境内の杉木立の下を北に下り、東に延びる「あじさい小道」と
呼ぶ両側にアジサイの続く遊歩道を進む。
平行する車道に比べ、多少アップダウンはあるが、ウッドチップを敷い
たところもあり、足に優しく木陰なので快適に歩ける。
新緑の山や集落を映す、塩野池の横を通過する。
新しい炭焼小屋の前を過ぎ、里帰りそばが名物らしい「上田市塩田の
館」の横を抜け、ちょっとした急坂を上がって龍光院へ。
塩田北条二代国時により父義正公の菩提を弔うために建立されたとか。
参道の途中に、義正公の墓もあるという。「信州の鎌倉」を訪れる人の
ため、特製の山菜料理も味合うこともできるようだ。
山を背にどっしりと立つ本堂。しゃちほこの上がる鐘楼。その間によく
手入れされた庭木が豊富。山門の横に、みごとなフジが咲いていた。
アジサイの小道はさらに続く。山すその高台なので、塩田平を見下ろ
す気持ちよい展望が得られる。
「塩田城跡」と記された大きな石碑があった。
鎌倉時代、幕府の重職だった北条義正が館を構えたのが始まりとか。
幕府滅亡後は村上氏が領有したが、甲斐の武田信玄に攻められ落城。
武田氏のものとなり、天正10年(1582)、武田氏が没落し、真田氏が
上田城を築くまで、この地方の軍政の拠点だったという。
間もなく、塩田城の鬼門に位置し、その祈願時だったという前山寺(ぜ
んさんじ)に着く。弘法大師の開山と伝えられる塩田平きっての古寺と
いう。
重厚なかやぶき屋根の本堂に相対して、南側段上に窓や扉、高欄の
ない三重塔が立つ。
室町時代の建立と推定され、未完成のためといわれるが、見た目には
調和のとれた塔で、国重文である。
広い境内は、やわらかな新緑とボタン、ツツジ、フジなどの花がいっぱ
い。三重塔のそばのモミジは、紅葉のような彩りを見せていた。
正午が近いので、拝観後、山門の外で昼食とし、宿で用意してもらった
弁当を食べる。
予定の電車に間に合わせるには、この先の無言館の観覧時間が少な
くなりそう。食事を終えた人から順次向かってもらうことにした。そばの
信濃デッサン館(下)も見たいところだが、寄らずに通過する。
前山寺から下る参道には、松や桜が両側を覆い、入口に、樹高20m、
樹齢350年、お地蔵さんに囲まれた大ケヤキが立っていた。
上田つむぎの店の横を曲がり、造成中の公園の広場を横切り、少しの
斜面を上がって無言館に行く。
第二次世界大戦で戦死した画学生の遺作などを収蔵・展示する美術
館。志を果たす前に戦場に散った若者33人の絵画、ブロンズ像、手紙
や画具などが展示され、無言で悲惨な戦争と平和の尊さを訴えている
ようであった。
ゆっくり観覧したい人はバスで、それ以外の人はさらに2㎞近く歩いて
塩田町駅に向かう。
広々とした田園地帯を過ぎ、上本郷の家並みに入る。かやぶき屋根に
トタンを被せた薬師堂の横に、数人抱えの大ケヤキが、枝をいっぱい広
げていた。
歩きのメンバーは、無人の塩田町駅に13時3分ころ、バス組はギリギ
リに着き、13時16分の上田行きに乗り、帰路についた。
乗り換え待ちの上田駅前の温度計は、真夏並みの34℃を示すが、湿
度が低いので、それほどの暑さとは感じなかった。
(天気 快晴後晴、距離 9㎞、標高差(累積) 約700m、地図 別所
温泉、武石(わずか)、歩行地 上田市、歩数 20,300)