2009年4月9日(木) 〈続き〉
カモの泳ぐ池や激安スーパーの横を過ぎ、国道17号の北に出る。
東中里町に入り、古くからの住宅地の一角にある火雷・若神子神社
に入る。ここもソメイヨシノに彩られていた。
社殿に、繭(まゆ)の額がかけられている。当時、このあたりは養蚕が
盛んで、養蚕農家が、その繁栄を祈って奉納したものであろう。
「昭和八年(1933)六月吉日」と記されていた。
東中里町には、屋根に煙出しのついた古い民家も残っている。
田園地帯を抜けて、東側の栗崎町に入る。ここも古くからの農家が
多く、村の鎮守であろう諏訪神社も、ソメイヨシノに埋もれていた。
社殿の右手の木は特に大きく、見栄えがする。
近くの地蔵寺では、松の古木が目につく。
その名のとおり、古いお地蔵さんも並んでいた。
地蔵寺の横から集落を北に抜けると、広々とした田園地帯。一面の
麦畑(田)だった。
国道354号を横断して綿貫町に入り、国史跡の観音山古墳に行く。
観音山古墳は、6世紀末の築造と考えられる前方後円墳で、全長は
98mある。
左が前方部、右が後円部で、各々の高さは9m余りある。
そばに事務所の小屋があり、居られた県文化財保護委員のTさんが、
案内して下さるという。
まず、後円部にある横穴式石室の扉を開けて中に入った。奈良県明日
香村(あすかむら)の石舞台古墳に似た造りになっている。
全長は12.5m、遺体を置く奥の玄室(げんしつ)は長さ8.2m、幅3.8m、
高さ2.3mあり、群馬県内では最大の石室とのこと。
この石室は崩れていたため、墓泥棒に盗掘されてなく、当時納められ
ていた品々がすべて残っていたようで、全国的にも珍しいことだという。
数々の副葬品などは、近くの「群馬の森」にある県立歴史博物館で
展示されているようだ。
後円部に上がると周辺の展望が広がり、西に榛名連峰が望まれる。
ゆっくり案内していただき、1時間近くが過ぎた。
Tさんにお礼申し上げて観音山古墳を去り、近くにある普賢寺へ。
本堂の前にはシダレザクラが、境内には大きなミツマタが花を開いて
いた。
その南側の国道354号に面して、不動山古墳がある。かなり木が
茂って分かりにくいが、やはり前方後円墳で、全長は94mになる。
後円部上に不動堂が祭られているので、不動山と呼ぶようだ。
古墳から出た角形石棺が置かれていたが、ふたは不明だという。
16時を過ぎたので、予定していた南側の県立歴史博物館や近代美術
館のある「群馬の森」は、別途訪ねることにして、帰途につくことにする。
すぐそばの高崎量子応用研究所北バス停から、間もなく来た高崎駅
東口行きバスに乗った。
(天気 快晴、距離 9.5㎞、地図 高崎、歩行地 高崎市)
カモの泳ぐ池や激安スーパーの横を過ぎ、国道17号の北に出る。
東中里町に入り、古くからの住宅地の一角にある火雷・若神子神社
に入る。ここもソメイヨシノに彩られていた。
社殿に、繭(まゆ)の額がかけられている。当時、このあたりは養蚕が
盛んで、養蚕農家が、その繁栄を祈って奉納したものであろう。
「昭和八年(1933)六月吉日」と記されていた。
東中里町には、屋根に煙出しのついた古い民家も残っている。
田園地帯を抜けて、東側の栗崎町に入る。ここも古くからの農家が
多く、村の鎮守であろう諏訪神社も、ソメイヨシノに埋もれていた。
社殿の右手の木は特に大きく、見栄えがする。
近くの地蔵寺では、松の古木が目につく。
その名のとおり、古いお地蔵さんも並んでいた。
地蔵寺の横から集落を北に抜けると、広々とした田園地帯。一面の
麦畑(田)だった。
国道354号を横断して綿貫町に入り、国史跡の観音山古墳に行く。
観音山古墳は、6世紀末の築造と考えられる前方後円墳で、全長は
98mある。
左が前方部、右が後円部で、各々の高さは9m余りある。
そばに事務所の小屋があり、居られた県文化財保護委員のTさんが、
案内して下さるという。
まず、後円部にある横穴式石室の扉を開けて中に入った。奈良県明日
香村(あすかむら)の石舞台古墳に似た造りになっている。
全長は12.5m、遺体を置く奥の玄室(げんしつ)は長さ8.2m、幅3.8m、
高さ2.3mあり、群馬県内では最大の石室とのこと。
この石室は崩れていたため、墓泥棒に盗掘されてなく、当時納められ
ていた品々がすべて残っていたようで、全国的にも珍しいことだという。
数々の副葬品などは、近くの「群馬の森」にある県立歴史博物館で
展示されているようだ。
後円部に上がると周辺の展望が広がり、西に榛名連峰が望まれる。
ゆっくり案内していただき、1時間近くが過ぎた。
Tさんにお礼申し上げて観音山古墳を去り、近くにある普賢寺へ。
本堂の前にはシダレザクラが、境内には大きなミツマタが花を開いて
いた。
その南側の国道354号に面して、不動山古墳がある。かなり木が
茂って分かりにくいが、やはり前方後円墳で、全長は94mになる。
後円部上に不動堂が祭られているので、不動山と呼ぶようだ。
古墳から出た角形石棺が置かれていたが、ふたは不明だという。
16時を過ぎたので、予定していた南側の県立歴史博物館や近代美術
館のある「群馬の森」は、別途訪ねることにして、帰途につくことにする。
すぐそばの高崎量子応用研究所北バス停から、間もなく来た高崎駅
東口行きバスに乗った。
(天気 快晴、距離 9.5㎞、地図 高崎、歩行地 高崎市)