2014年6月27日(金)
JR弘前駅7時51分発奥羽本線上り電車を大館で乗り継ぎ、東能代(ひがしのしろ)
で五能線下りに乗る。次の能代駅には10時58分に着いた。
改札のあるホームには、能代が「木の街」と「バスケットボールの街」であることを示
す飾り付けがある。
駅前の能代観光案内所で、今日の「駅からハイキング」の「能代の春満喫コース」の受
付を済ませ、11時7分にスタートした。
駅近くの交差点を右折して県道205号、畠町通りを北に向かう。
幅広い歩道は歩行車道と自転車道とに区分され、ところどころに置かれた木製植木鉢に
鉢花が咲き、木製のベンチも置かれている。
まず、次の信号のある交差点近くの「能代バスケットミュージアム」に入る。能代市は
「バスケでみんなが元気になれる街」を目指して、「バスケの街づくり」を推進している。
わずかなスペースだが、バスケの強豪・能代工高関係のもの↑をはじめ、国内やNBA
選手のグッズ、国内随一という豊富なバスケ関連図書、トロフィーやユニフォーム、年譜
などが展示されていた。
隣接する建物のシャッターも、バスケットボールのデザインである。
さらに進むと、文禄元年(1592)創業という能代名物 翁飴の店、桔梗屋が目に付く。
柳とイチョウの街路樹が並ぶ東西の通りを横断し、米代川(よなしろがわ)の能代橋ま
で行く。
川幅いっぱいに流れる米代川は、西側を走る国道101号の能代大橋の先で↓日本海に
入っている。
能代大橋の手前には、毎年5月に開催される高校バスケの全国大会「能代カップ」の会
場という、能代市総合体育館が望まれた。
橋の近くの歩道では、「無散水消雪道路」と呼ぶ舗装内に放熱管を埋設する工事が行わ
れていて、雪国であることを実感する。
橋から500mほど戻り、柳とイチョウの街路樹の通りを西へ。市役所の四つの庁舎前
を通過し、国道101号との交差点まで進む。
左折して南に向かうと、次の交差点際の「けやき公園」に、ケヤキの古木が何本も残っ
ていた。
昭和63年(1988)に移転した西光寺などの跡地を整備して、平成5年(1993)
から公園として公開したという。
公園内東側には、寛文6年(1666)に西光寺がここに移転してきた際に植えたと思
われ、樹高10m、樹齢300年以上と推定され、江戸時代後期の旅行家で植物学者、菅
江真澄(すがえますみ)が文化3年(1806)に記した「霞むつきほし」に、それらし
い風景が描かれているという大ケヤキがあり、「能代の古木・名木」に選定されていた。
気温が上がりむし暑くなってきたので、木の下のベンチで小休止して水分補給をした。
公園の北西端の交差点で国道を離れ、西に延びる通りを突き当たりのT字路まで行く。
左折して南に向かう緩やかな「五智(ごんじ)の坂」を上がりきったところが、今日のコ
ースポイントの一つ、能代公園の入口である。
石段を上がった辺りに、石のふたに覆われた標高23.7mの三角点があった。
西方に延びる丘陵上には、クロマツや桜、ツツジなどが多く、樹間から能代の市街地や
米代川などが望まれる。
地形図上に記されていた公園にある三つの記念碑マークは、時計塔↑、「忠魂碑」、
「武嶋栄君頌徳碑」で、頌徳碑のそばには比較的新しい「平和の碑」も立っていた。
その先の石灯ろう付近からは、日本海沿いに東西約1㎞、南北14㎞にわたり約700
万本の松に覆われ、日本最大級という砂防林「風の松原」の一部が望まれる。
そばの高みの緑陰に東屋があったので、ザックを下ろして昼食とする。今日の弁当は、
乗り換え待ちの大館のスーパーで求めた、わっぱ飯である。
東屋の近くには、「能代の古木・名木」に選定されている、胸高周囲3m、樹齢100
年くらいと推定されるエノキがあり、幹が数本癒着した独特の幹を見せていた。
公園入口に戻って南へ進むと、県立能代工高の正門前に出る。
能代工高はバスケットボールの強豪校として知られ、国体やインターハイなど、全国三
大大会での優勝は58回を数えているという。
隣接する淳城西小の前から広い通りを東進して、国道との交差点を越える。次の交差点
際の菓子店・松風堂が今日のチェックポイント。カウンターでチェック印を押印を押して
もらったが、菓子は求めずに出た。
東に延びる柳町商店街には、多雪時の市民の足を確保するアーケードが続いている。
【続く】
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JR弘前駅7時51分発奥羽本線上り電車を大館で乗り継ぎ、東能代(ひがしのしろ)
で五能線下りに乗る。次の能代駅には10時58分に着いた。
改札のあるホームには、能代が「木の街」と「バスケットボールの街」であることを示
す飾り付けがある。
駅前の能代観光案内所で、今日の「駅からハイキング」の「能代の春満喫コース」の受
付を済ませ、11時7分にスタートした。
駅近くの交差点を右折して県道205号、畠町通りを北に向かう。
幅広い歩道は歩行車道と自転車道とに区分され、ところどころに置かれた木製植木鉢に
鉢花が咲き、木製のベンチも置かれている。
まず、次の信号のある交差点近くの「能代バスケットミュージアム」に入る。能代市は
「バスケでみんなが元気になれる街」を目指して、「バスケの街づくり」を推進している。
わずかなスペースだが、バスケの強豪・能代工高関係のもの↑をはじめ、国内やNBA
選手のグッズ、国内随一という豊富なバスケ関連図書、トロフィーやユニフォーム、年譜
などが展示されていた。
隣接する建物のシャッターも、バスケットボールのデザインである。
さらに進むと、文禄元年(1592)創業という能代名物 翁飴の店、桔梗屋が目に付く。
柳とイチョウの街路樹が並ぶ東西の通りを横断し、米代川(よなしろがわ)の能代橋ま
で行く。
川幅いっぱいに流れる米代川は、西側を走る国道101号の能代大橋の先で↓日本海に
入っている。
能代大橋の手前には、毎年5月に開催される高校バスケの全国大会「能代カップ」の会
場という、能代市総合体育館が望まれた。
橋の近くの歩道では、「無散水消雪道路」と呼ぶ舗装内に放熱管を埋設する工事が行わ
れていて、雪国であることを実感する。
橋から500mほど戻り、柳とイチョウの街路樹の通りを西へ。市役所の四つの庁舎前
を通過し、国道101号との交差点まで進む。
左折して南に向かうと、次の交差点際の「けやき公園」に、ケヤキの古木が何本も残っ
ていた。
昭和63年(1988)に移転した西光寺などの跡地を整備して、平成5年(1993)
から公園として公開したという。
公園内東側には、寛文6年(1666)に西光寺がここに移転してきた際に植えたと思
われ、樹高10m、樹齢300年以上と推定され、江戸時代後期の旅行家で植物学者、菅
江真澄(すがえますみ)が文化3年(1806)に記した「霞むつきほし」に、それらし
い風景が描かれているという大ケヤキがあり、「能代の古木・名木」に選定されていた。
気温が上がりむし暑くなってきたので、木の下のベンチで小休止して水分補給をした。
公園の北西端の交差点で国道を離れ、西に延びる通りを突き当たりのT字路まで行く。
左折して南に向かう緩やかな「五智(ごんじ)の坂」を上がりきったところが、今日のコ
ースポイントの一つ、能代公園の入口である。
石段を上がった辺りに、石のふたに覆われた標高23.7mの三角点があった。
西方に延びる丘陵上には、クロマツや桜、ツツジなどが多く、樹間から能代の市街地や
米代川などが望まれる。
地形図上に記されていた公園にある三つの記念碑マークは、時計塔↑、「忠魂碑」、
「武嶋栄君頌徳碑」で、頌徳碑のそばには比較的新しい「平和の碑」も立っていた。
その先の石灯ろう付近からは、日本海沿いに東西約1㎞、南北14㎞にわたり約700
万本の松に覆われ、日本最大級という砂防林「風の松原」の一部が望まれる。
そばの高みの緑陰に東屋があったので、ザックを下ろして昼食とする。今日の弁当は、
乗り換え待ちの大館のスーパーで求めた、わっぱ飯である。
東屋の近くには、「能代の古木・名木」に選定されている、胸高周囲3m、樹齢100
年くらいと推定されるエノキがあり、幹が数本癒着した独特の幹を見せていた。
公園入口に戻って南へ進むと、県立能代工高の正門前に出る。
能代工高はバスケットボールの強豪校として知られ、国体やインターハイなど、全国三
大大会での優勝は58回を数えているという。
隣接する淳城西小の前から広い通りを東進して、国道との交差点を越える。次の交差点
際の菓子店・松風堂が今日のチェックポイント。カウンターでチェック印を押印を押して
もらったが、菓子は求めずに出た。
東に延びる柳町商店街には、多雪時の市民の足を確保するアーケードが続いている。
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