2014年6月28日(土)
JR青森駅8時21分発の電車で、ひと駅先の新青森駅に向かうことにした。車両は、
思いがけず新青森~函館間を走る特急スーパー白鳥と特急白鳥用の、JR北海道の789
系だった。
前の座席の背もたれに「青函トンネル通過予定時刻表」があり、わずか5分で新青森に
着いたが、特急に乗車したような気分を味わう。
「駅からハイキング」の最終日は、新青森駅からの「三内丸山(さんないまるやま)遺
跡から縄文文化をその歴史を学ぶ」コース。駅2階の受付場所「あおもり観光情報センタ
ー」に、オープンしたばかりの8時30分に入った。
受付時間は10時~12時だが、すぐに受付てもらえた。不要荷物をコインロッカーに
預け、8時45分にスタートする。
南に延びる東北新幹線の高架下を少しで、県道247号との交差点へ。すぐ西の交差点
から、住宅地の間を南に延びるイチョウ並木の車道に入る。
路傍の公衆電話は階段上にあり、多雪地帯であることが分かる。
右手に池が現れ、その向こうに三内霊園の墓が沢山並んでいる。池の先から霊園に入り、
U字状に回る霊園内の園路を進む。霊園内の草地には、「タンポポモドキ」とも言われた
らしい帰化植物のブタナが沢山咲き競い、黄色の彩りが広がる。
カーブの北端に、「平和を祈念して」と刻まれた新しい石碑が立っていた。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945)7月28日、青森市街の大空襲で亡くなった
700人を超える犠牲者の冥福を祈り、世界の恒久平和を祈念して平成7年(1995)
に建立したもの。
近くには、昭和29年(1954)9月26日の台風15号による「青函連絡船洞爺丸
海難者慰霊碑」や、青函海底トンネル工事中の殉職者の「鎮魂」碑などもあり、この霊園
が青森市営らしいことが知れる。
公園の中心、ロータリーと三内霊園バス停のところから、南に延びる桜並木の園路を進
み、霊園の南に抜ける。
東北自動車道青森IC沿いに東側を進み、吊り橋になっている東北新幹線の下を抜ける
と、東側に青森県運転免許センターの広い敷地が望まれる。
その南側一帯が、国特別史跡の三内丸山遺跡である。
遺跡の南西にある「縄文時遊館(じゆうかん)」に入り、総合案内所でチェックポイン
トの押印を受ける。案内所前のロビーには、青森市の夏祭りで知られるねぶたが飾られて
いた。ちなみに、縄文時遊館の入館は無料である。
三内丸山遺跡は、縄文時代の遺跡。これまでの発掘調査で縄文時代前期から中期末(約
5,500年前~4,000年前)の大集落跡が見つかり、たくさんの竪穴住居、掘立柱建
物跡、大量の遺物が捨てられた谷、大規模な盛土、大人や子どもの墓、貯蔵穴、道路跡な
どが確認されているという。
縄文時遊館には、縄文シアター、さんまるミュージアム、ミュージアムショップ、体験
工房、レストランなどがある。
まず、さんまるミュージアムに入り、大型板状土偶や縄文ポシェットなどの重要文化財、
土器や石器、木の実などの出土品、年代の分かる盛土の土層、縄文人の生活を再現した展
示などを一巡した。
大型板状土偶(国重要文化財)
ミュージアムショップを少しだけのぞき、館の中ほどにある「時遊トンネル」と呼ぶ半
円形のアーチをくぐって外に出て、遺跡に向かう。
広々としたこの草地にも、一面のブタナが花盛り。さわやかな風が気持ちよく、林の方
からはカッコウの鳴き声が聞こえる。
右手に、復元した幾つもの竪穴住居が並んでいる。
正面に見えてきたのが、復元した大型竪穴住居と大型掘立柱建物。その向こうには、ド
ームに覆われた大型掘立柱建物跡などが望まれた。
復元した大型竪穴住居に入ると、太い柱と大きな梁に支えられた長さ32m、幅9.8m、
床面積約250㎡という規模に驚かされる。
用途としては集会所、共同作業所、冬期の共同家屋などの説があり、縄文中期後半(約
4,000年前)のものを復元したという。
三内丸山遺跡のシンボルともいえるのが、復元した大型掘立柱建物。
6本の柱の長方形の高床式建物と考えられ、柱の間隔は約4.2m、縄文中期後半(約
4,200年前)のものと考えられ、高さ15mの建物として復元したという。
後の半円筒のドームに入る。ここは大型掘立柱建物跡で、6個の柱穴の間隔はすべて
4.2m。遺構の乾燥防止のために内部の湿度を高く保っており、そのためにドームで覆っ
ている。
3棟並ぶのは掘立柱建物。地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物で、高床の倉庫とし
て復元したという。
もう一つの半円筒ドームは子供の墓(埋設土器)。子供は土器に入れて埋葬したようで、
これまでに800基以上発見されたようだ。
観光客も増え、ボランティアガイドの案内で巡るグループもある。
南に回ると幾つかの竪穴住居が並び、内部をのぞいたり入ったりすることが出来る。
この遺跡では550棟以上も見つかっていて、15棟が復元されている。
竪穴住居群のそば、T字型の加湿された覆い屋の中は「南盛土」と呼ぶ場所。
大量の土器や土偶、ヒスイ製の玉などが土と一緒に捨てられ、約千年の間に丘のように
なったところだという。
遺跡の数々を一巡して時遊館入口近くに戻り、「縄文の小路(こみち)」と呼ぶ遊歩道
を進み、車道の下を横断して青森県立美術館に回る。
館内は撮影禁止、地下2階の中心、縦横21m、高さ19mあるアレコホールには、幅
約19m、高さ9mのシャガールのバレエ「アレコ」の舞台背景が3点が展示されていて、
その大きさに驚かされる。
そのフロアの一番奥には、建物と一体化したコミュニケーションワーク、高さ8.5mの
「あおもり犬」があり、ここだけは撮影できる。来訪した高校生が記念写真を撮っていた。
別の展示室での、寺山修司×宇野亜喜良の「ひとりぼっちのあなたに」と、棟方志功の
「棟方のヴィーナス」という青森ゆかりの人の展示も見て、館を後にする。
「縄文の小路」を戻って時遊館に入る。ミュージアムショップで「さんまる探訪」と呼
ぶガイドブックを求め、縄文シアターで遺跡を紹介する6分間の映像を見て、巡った遺跡
のおさらいをした。
時遊館入口にあい対する「あおもり北彩館」にも入り、販売している青森産品の数々を
少しだけ見た。
およそ2時間の三内丸山遺跡巡りを終え、11時35分に駅に向かう。
東北新幹線下を経て、三内霊園入口交差点までは往路を戻る。
交差点を東へ、新幹線の東側高架下を並行する車道を北上して、12時9分に新青森駅
内の観光情報センターにゴールした。
完歩賞をもらい、コインロッカーに預けた荷物を出す。急ぎ、みどりの窓口で直近の新
幹線上り列車の指定席券を求める。
早くスタートできたお陰で、予定より2時間早い12時39分発のはやぶさ20号に乗
れた。駅構内で求めた「ほたて飯」を、車内での今日の昼食とする。
最高時速320㎞という東北新新幹線は速い。新青森駅から683.4㎞の大宮駅に3時
間足らずで着き、わが家にも4時間19分で帰宅出来た。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 青森西部、歩行地 青森市、歩数
15,800)
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JR青森駅8時21分発の電車で、ひと駅先の新青森駅に向かうことにした。車両は、
思いがけず新青森~函館間を走る特急スーパー白鳥と特急白鳥用の、JR北海道の789
系だった。
前の座席の背もたれに「青函トンネル通過予定時刻表」があり、わずか5分で新青森に
着いたが、特急に乗車したような気分を味わう。
「駅からハイキング」の最終日は、新青森駅からの「三内丸山(さんないまるやま)遺
跡から縄文文化をその歴史を学ぶ」コース。駅2階の受付場所「あおもり観光情報センタ
ー」に、オープンしたばかりの8時30分に入った。
受付時間は10時~12時だが、すぐに受付てもらえた。不要荷物をコインロッカーに
預け、8時45分にスタートする。
南に延びる東北新幹線の高架下を少しで、県道247号との交差点へ。すぐ西の交差点
から、住宅地の間を南に延びるイチョウ並木の車道に入る。
路傍の公衆電話は階段上にあり、多雪地帯であることが分かる。
右手に池が現れ、その向こうに三内霊園の墓が沢山並んでいる。池の先から霊園に入り、
U字状に回る霊園内の園路を進む。霊園内の草地には、「タンポポモドキ」とも言われた
らしい帰化植物のブタナが沢山咲き競い、黄色の彩りが広がる。
カーブの北端に、「平和を祈念して」と刻まれた新しい石碑が立っていた。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945)7月28日、青森市街の大空襲で亡くなった
700人を超える犠牲者の冥福を祈り、世界の恒久平和を祈念して平成7年(1995)
に建立したもの。
近くには、昭和29年(1954)9月26日の台風15号による「青函連絡船洞爺丸
海難者慰霊碑」や、青函海底トンネル工事中の殉職者の「鎮魂」碑などもあり、この霊園
が青森市営らしいことが知れる。
公園の中心、ロータリーと三内霊園バス停のところから、南に延びる桜並木の園路を進
み、霊園の南に抜ける。
東北自動車道青森IC沿いに東側を進み、吊り橋になっている東北新幹線の下を抜ける
と、東側に青森県運転免許センターの広い敷地が望まれる。
その南側一帯が、国特別史跡の三内丸山遺跡である。
遺跡の南西にある「縄文時遊館(じゆうかん)」に入り、総合案内所でチェックポイン
トの押印を受ける。案内所前のロビーには、青森市の夏祭りで知られるねぶたが飾られて
いた。ちなみに、縄文時遊館の入館は無料である。
三内丸山遺跡は、縄文時代の遺跡。これまでの発掘調査で縄文時代前期から中期末(約
5,500年前~4,000年前)の大集落跡が見つかり、たくさんの竪穴住居、掘立柱建
物跡、大量の遺物が捨てられた谷、大規模な盛土、大人や子どもの墓、貯蔵穴、道路跡な
どが確認されているという。
縄文時遊館には、縄文シアター、さんまるミュージアム、ミュージアムショップ、体験
工房、レストランなどがある。
まず、さんまるミュージアムに入り、大型板状土偶や縄文ポシェットなどの重要文化財、
土器や石器、木の実などの出土品、年代の分かる盛土の土層、縄文人の生活を再現した展
示などを一巡した。
大型板状土偶(国重要文化財)
ミュージアムショップを少しだけのぞき、館の中ほどにある「時遊トンネル」と呼ぶ半
円形のアーチをくぐって外に出て、遺跡に向かう。
広々としたこの草地にも、一面のブタナが花盛り。さわやかな風が気持ちよく、林の方
からはカッコウの鳴き声が聞こえる。
右手に、復元した幾つもの竪穴住居が並んでいる。
正面に見えてきたのが、復元した大型竪穴住居と大型掘立柱建物。その向こうには、ド
ームに覆われた大型掘立柱建物跡などが望まれた。
復元した大型竪穴住居に入ると、太い柱と大きな梁に支えられた長さ32m、幅9.8m、
床面積約250㎡という規模に驚かされる。
用途としては集会所、共同作業所、冬期の共同家屋などの説があり、縄文中期後半(約
4,000年前)のものを復元したという。
三内丸山遺跡のシンボルともいえるのが、復元した大型掘立柱建物。
6本の柱の長方形の高床式建物と考えられ、柱の間隔は約4.2m、縄文中期後半(約
4,200年前)のものと考えられ、高さ15mの建物として復元したという。
後の半円筒のドームに入る。ここは大型掘立柱建物跡で、6個の柱穴の間隔はすべて
4.2m。遺構の乾燥防止のために内部の湿度を高く保っており、そのためにドームで覆っ
ている。
3棟並ぶのは掘立柱建物。地面に穴を掘り、柱を立てて造った建物で、高床の倉庫とし
て復元したという。
もう一つの半円筒ドームは子供の墓(埋設土器)。子供は土器に入れて埋葬したようで、
これまでに800基以上発見されたようだ。
観光客も増え、ボランティアガイドの案内で巡るグループもある。
南に回ると幾つかの竪穴住居が並び、内部をのぞいたり入ったりすることが出来る。
この遺跡では550棟以上も見つかっていて、15棟が復元されている。
竪穴住居群のそば、T字型の加湿された覆い屋の中は「南盛土」と呼ぶ場所。
大量の土器や土偶、ヒスイ製の玉などが土と一緒に捨てられ、約千年の間に丘のように
なったところだという。
遺跡の数々を一巡して時遊館入口近くに戻り、「縄文の小路(こみち)」と呼ぶ遊歩道
を進み、車道の下を横断して青森県立美術館に回る。
館内は撮影禁止、地下2階の中心、縦横21m、高さ19mあるアレコホールには、幅
約19m、高さ9mのシャガールのバレエ「アレコ」の舞台背景が3点が展示されていて、
その大きさに驚かされる。
そのフロアの一番奥には、建物と一体化したコミュニケーションワーク、高さ8.5mの
「あおもり犬」があり、ここだけは撮影できる。来訪した高校生が記念写真を撮っていた。
別の展示室での、寺山修司×宇野亜喜良の「ひとりぼっちのあなたに」と、棟方志功の
「棟方のヴィーナス」という青森ゆかりの人の展示も見て、館を後にする。
「縄文の小路」を戻って時遊館に入る。ミュージアムショップで「さんまる探訪」と呼
ぶガイドブックを求め、縄文シアターで遺跡を紹介する6分間の映像を見て、巡った遺跡
のおさらいをした。
時遊館入口にあい対する「あおもり北彩館」にも入り、販売している青森産品の数々を
少しだけ見た。
およそ2時間の三内丸山遺跡巡りを終え、11時35分に駅に向かう。
東北新幹線下を経て、三内霊園入口交差点までは往路を戻る。
交差点を東へ、新幹線の東側高架下を並行する車道を北上して、12時9分に新青森駅
内の観光情報センターにゴールした。
完歩賞をもらい、コインロッカーに預けた荷物を出す。急ぎ、みどりの窓口で直近の新
幹線上り列車の指定席券を求める。
早くスタートできたお陰で、予定より2時間早い12時39分発のはやぶさ20号に乗
れた。駅構内で求めた「ほたて飯」を、車内での今日の昼食とする。
最高時速320㎞という東北新新幹線は速い。新青森駅から683.4㎞の大宮駅に3時
間足らずで着き、わが家にも4時間19分で帰宅出来た。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 青森西部、歩行地 青森市、歩数
15,800)
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