2014年7月12日(土)
いつもは埼玉県内を中心にカントリーウオークをしているグループだが、7月は都心の
ウオーキングをしている。今回の第215回例会も、JR山手線恵比寿駅に9時集合で開
催された。
恵比寿駅東口、ガーデンプレイス入り口付近。
ガーデンプレイスのエリアは、現在はサッポロビールとなったもとヱビスビールの広大
な工場だった。
遅れた私は9時28分に着き、先発の皆さんがガーデンプレイスから天現寺を経て有栖
川宮(ありすがわのみや)記念公園に向かうところを、ガーデンプレイス横から恵比寿2
丁目、広尾商店街を経て有栖川宮記念公園に直行し、公園で皆さんと合流した。
途中のバス停には「ハチ公バス」の表示が。半月前に訪れ、前回投稿したハチ公の故郷、
秋田県大館市を思い出す。
有栖川宮記念公園は、江戸時代は旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷。明治29年(1896)
に有栖川宮御用地となり、大正2年(1913)には高松宮御用地となった。のち高松宮
殿下が昭和9年(1934)に公園地として東京市に贈与され、同年中には有栖川宮記念
公園として開園したという。
公園の西南端から入り、池の横から豊富な緑陰の斜面を上がる。
東側の広場に上がると、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像がある。
有栖川宮熾仁親王は有栖川宮家の9代目。明治維新、西南の役、日清戦役で優れた勲功
をたて、その間福岡藩知事や元老院議長、左大臣、参謀総長などを歴任したという。銅像
の周辺で小休止して水分補給などする。
蛇足だが、私は初めての職場に就く前の9か月間、近くの企業内研修期間で技能訓練を
受けていて、昼休みによくこの公園に来ており、大変懐かしい場所。当時はこんなにうっ
そうと木々が茂ってはいなかったように思うが、もう60年以上も前のことになる。
公園内の都立中央図書館や野球場の横を抜け、麻布中と麻布高の西から北に回る。広い
中国大使館や小さなビルのリトアニア大使館前などを通過して、西麻布3丁目と元麻布3
丁目の間を進む。
超高層ビルの並び立つ六本木ヒルズの南側を回り、テレビ朝日のビルへ。
1階ロビーで暑さを避けて休憩したが、館内に売店は無く飲食も禁止で静か。昨年7月
に訪ねたFテレビの大賑わいとは対照的だった。
地下を都営大江戸線の走る通りを、芋洗坂に向かって緩やかに上がる。ステップ六本木
ビルのファミリーマ-トで弁当や飲み物を調達した。
少し先の朝日神社では、昨日と今日、「ほおずき市」を開催中。
神社とどんな関係にあるのか分からぬが、「森林セラピー基地」をうたう宮崎県日之影
町(ひのかげちよう)からの大きなほおずきが沢山飾られていて、町の農産物などの特売
コーナーも設けられ、地元の人などで狭い境内は大賑わいだった。
外苑東通りに出て東へ、飯倉片町交差点を横断し、外務省飯倉公館やレンガ造りの麻布
郵便局前↓を過ぎる。
機動隊のバスが周囲を警戒するロシア大使館前を通過し、東側の細い通りを入る。
狭い敷地に二つの寺が並び、最初の一乗寺の本堂背後に、東京タワーの上部がそびえ立
つ。
突き当たりの台地上には瀟洒(しょうしや)な建物のアフガニスタン大使館があり、そ
ばのちょっとした広場に「日本経緯度原点」標が設けられている。
わが国の経度と緯度測定の基準点で、明治25年(1892)にここにあった東京天文
台の、特殊望遠鏡の中心を経緯度原点と定めたのが始まり。その後の変遷を経て、3年前
の3月11日の大地震による地殻変動で東に27㎝移動し、原点数値を改めたという。
少しながら緑陰があり、ちょうど正午になったので、ここで昼食をすることにする。木
の下にムラサキカタバミが沢山咲いていた。
食事を終えてミーティングを済ませ、12時37分に経緯度原点を後にする。正面に見
える東京タワーの方角に向かって坂を下り、桜田通りを横断して、くねくねと曲がる通り
を日鳶連(にっとびれん)会館↓や、幸稲荷神社と瘡護神社前などを通過する。
愛宕山(あたごやま)の南から西側を回り、愛宕山トンネル横の階段を上がって山上広
場に出て、まずは「NHK放送博物館」を観覧することにした。
受付では、1時間程度のガイド付きの案内も出来るという。40分ほどでとお願いし、
Kさんが案内してくれることになった。
2階に上がり、日本の三大発明品中の八木・宇田式アンテナと高柳式テレビについての
紹介からはじまり、コールサインのこと、TVのニュース番組での放送原稿を読む仕組み、
藤山一郎の作曲ルーム↓などを案内いただく。
さらに、放送開始直後からのラジオ放送用器材や受信機、大事件や太平洋戦争終結時な
どの放送原稿や番組の写真、初期のテレビ受像器など、われわれの世代には大変興味深い
展示を観覧した。
ちなみに、2・26事件の「兵に告ぐ」原稿や、終戦の詔勅放送予告原稿を読むKさん
の滑らかなナレーションの様子から伺うと、やはりもとNHKのアナウンサーとのことだ
った。
1時間ほど観覧して放送会館を出て、山上の愛宕神社に参拝する。
相対する小さい弁天神社前には25.7m三角点もあり、弁天池を背にして記念撮影を
した。
45度近いと思われる男坂の急階段を下って愛宕通りへ。
東京慈恵会医大の間を抜けて日比谷通りに回り、都営地下鉄御成門(おなりもん)駅前
で、電車で三田駅まで先行する人と歩く人とに分かれる。
歩行組は日比谷通りを南下して、増上寺の大本堂に入って参拝する。
三田駅上で合流して、江戸開城の西郷隆盛と勝海舟の会見の地碑を見て、15時ちょう
ど、JR田町駅に近いMSビル前に着いた。
この日の東京の最高気温は32℃を超え、暑かった。全員ビル地階の「名物家」で2次
会をして暑さを忘れ、今日は北欧旅行から帰国直後で参加されなかったがメンバーのひと
り、Yさんの2階の店にも立ち寄り歓談のひとときを過ごした。
(参加 15人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、歩行地
東京都渋谷区、港区、歩数 19,300)
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いつもは埼玉県内を中心にカントリーウオークをしているグループだが、7月は都心の
ウオーキングをしている。今回の第215回例会も、JR山手線恵比寿駅に9時集合で開
催された。
恵比寿駅東口、ガーデンプレイス入り口付近。
ガーデンプレイスのエリアは、現在はサッポロビールとなったもとヱビスビールの広大
な工場だった。
遅れた私は9時28分に着き、先発の皆さんがガーデンプレイスから天現寺を経て有栖
川宮(ありすがわのみや)記念公園に向かうところを、ガーデンプレイス横から恵比寿2
丁目、広尾商店街を経て有栖川宮記念公園に直行し、公園で皆さんと合流した。
途中のバス停には「ハチ公バス」の表示が。半月前に訪れ、前回投稿したハチ公の故郷、
秋田県大館市を思い出す。
有栖川宮記念公園は、江戸時代は旧盛岡藩主南部美濃守の下屋敷。明治29年(1896)
に有栖川宮御用地となり、大正2年(1913)には高松宮御用地となった。のち高松宮
殿下が昭和9年(1934)に公園地として東京市に贈与され、同年中には有栖川宮記念
公園として開園したという。
公園の西南端から入り、池の横から豊富な緑陰の斜面を上がる。
東側の広場に上がると、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像がある。
有栖川宮熾仁親王は有栖川宮家の9代目。明治維新、西南の役、日清戦役で優れた勲功
をたて、その間福岡藩知事や元老院議長、左大臣、参謀総長などを歴任したという。銅像
の周辺で小休止して水分補給などする。
蛇足だが、私は初めての職場に就く前の9か月間、近くの企業内研修期間で技能訓練を
受けていて、昼休みによくこの公園に来ており、大変懐かしい場所。当時はこんなにうっ
そうと木々が茂ってはいなかったように思うが、もう60年以上も前のことになる。
公園内の都立中央図書館や野球場の横を抜け、麻布中と麻布高の西から北に回る。広い
中国大使館や小さなビルのリトアニア大使館前などを通過して、西麻布3丁目と元麻布3
丁目の間を進む。
超高層ビルの並び立つ六本木ヒルズの南側を回り、テレビ朝日のビルへ。
1階ロビーで暑さを避けて休憩したが、館内に売店は無く飲食も禁止で静か。昨年7月
に訪ねたFテレビの大賑わいとは対照的だった。
地下を都営大江戸線の走る通りを、芋洗坂に向かって緩やかに上がる。ステップ六本木
ビルのファミリーマ-トで弁当や飲み物を調達した。
少し先の朝日神社では、昨日と今日、「ほおずき市」を開催中。
神社とどんな関係にあるのか分からぬが、「森林セラピー基地」をうたう宮崎県日之影
町(ひのかげちよう)からの大きなほおずきが沢山飾られていて、町の農産物などの特売
コーナーも設けられ、地元の人などで狭い境内は大賑わいだった。
外苑東通りに出て東へ、飯倉片町交差点を横断し、外務省飯倉公館やレンガ造りの麻布
郵便局前↓を過ぎる。
機動隊のバスが周囲を警戒するロシア大使館前を通過し、東側の細い通りを入る。
狭い敷地に二つの寺が並び、最初の一乗寺の本堂背後に、東京タワーの上部がそびえ立
つ。
突き当たりの台地上には瀟洒(しょうしや)な建物のアフガニスタン大使館があり、そ
ばのちょっとした広場に「日本経緯度原点」標が設けられている。
わが国の経度と緯度測定の基準点で、明治25年(1892)にここにあった東京天文
台の、特殊望遠鏡の中心を経緯度原点と定めたのが始まり。その後の変遷を経て、3年前
の3月11日の大地震による地殻変動で東に27㎝移動し、原点数値を改めたという。
少しながら緑陰があり、ちょうど正午になったので、ここで昼食をすることにする。木
の下にムラサキカタバミが沢山咲いていた。
食事を終えてミーティングを済ませ、12時37分に経緯度原点を後にする。正面に見
える東京タワーの方角に向かって坂を下り、桜田通りを横断して、くねくねと曲がる通り
を日鳶連(にっとびれん)会館↓や、幸稲荷神社と瘡護神社前などを通過する。
愛宕山(あたごやま)の南から西側を回り、愛宕山トンネル横の階段を上がって山上広
場に出て、まずは「NHK放送博物館」を観覧することにした。
受付では、1時間程度のガイド付きの案内も出来るという。40分ほどでとお願いし、
Kさんが案内してくれることになった。
2階に上がり、日本の三大発明品中の八木・宇田式アンテナと高柳式テレビについての
紹介からはじまり、コールサインのこと、TVのニュース番組での放送原稿を読む仕組み、
藤山一郎の作曲ルーム↓などを案内いただく。
さらに、放送開始直後からのラジオ放送用器材や受信機、大事件や太平洋戦争終結時な
どの放送原稿や番組の写真、初期のテレビ受像器など、われわれの世代には大変興味深い
展示を観覧した。
ちなみに、2・26事件の「兵に告ぐ」原稿や、終戦の詔勅放送予告原稿を読むKさん
の滑らかなナレーションの様子から伺うと、やはりもとNHKのアナウンサーとのことだ
った。
1時間ほど観覧して放送会館を出て、山上の愛宕神社に参拝する。
相対する小さい弁天神社前には25.7m三角点もあり、弁天池を背にして記念撮影を
した。
45度近いと思われる男坂の急階段を下って愛宕通りへ。
東京慈恵会医大の間を抜けて日比谷通りに回り、都営地下鉄御成門(おなりもん)駅前
で、電車で三田駅まで先行する人と歩く人とに分かれる。
歩行組は日比谷通りを南下して、増上寺の大本堂に入って参拝する。
三田駅上で合流して、江戸開城の西郷隆盛と勝海舟の会見の地碑を見て、15時ちょう
ど、JR田町駅に近いMSビル前に着いた。
この日の東京の最高気温は32℃を超え、暑かった。全員ビル地階の「名物家」で2次
会をして暑さを忘れ、今日は北欧旅行から帰国直後で参加されなかったがメンバーのひと
り、Yさんの2階の店にも立ち寄り歓談のひとときを過ごした。
(参加 15人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、歩行地
東京都渋谷区、港区、歩数 19,300)
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