2014年7月20日(日)
JR武蔵野線沿線とその周辺を歩き続けている「続カタツムリ歩行」の第16回例会に
参加した。集合はJR武蔵野線の西浦和駅。
皆さんが集合していた北側高架下の小さい緑地に、花がたくさん植えてあった。
そのそばを10時7分にスタートして、北側の田島5丁目の住宅地を東に進み、薬王院
に入る。
本堂の前には、鋳造の新しい十三仏が並んでいた。
東側の庭園には、サルスベリなどがよい緑陰を造っている。
さらにその東側には薬師堂がある。向拝(こうはい)に吊された直径30㎝の鋳洞の鰐
口(わにぐち)は、延宝2年(1674)に当時の薬師堂に寄進されたもので、江戸時代
前半の鰐口の典型的な作例とか。さいたま市有形文化財に指定されていた。
北側の県道40号に出て、田島4丁目にある無住の覚了坊へ。本堂はコンクリート造り
で境内も狭く、墓地の方が広い面積を占めていた。
再び田島5丁目に入る。南下する住宅地にクルマユリが咲き、近くに個人のものらしい
小さな稲荷神社が祭られていた。
JR武蔵野線際には、周辺の戸別住宅群とはかけ離れた緑の空間が残っている。いつま
でこの景観が見られるのだろうか…。
武蔵野線の高架下を南に抜けて、田島3丁目にある田島御嶽(おんたけ)神社に行く。
西側から入り、この赤鳥居の先を左折すると、石鳥居の正面に拝殿と本殿が続き、右手
には別の新しい社殿もある。
正面の拝殿に続く左手のお札所も新しい。
拝殿の右手、別の社殿の横に、市天然記念物で幹回り1.5m、高さ11~12mのイ
ヌマキの古木が立っていた。
田島御嶽神社の開山は永仁3年(1293)とのこと。江戸時代の天明年間(1781
~9)には、木曽御嶽山を開山した木喰(もくじき)普寛行者がここで修行したという。
新しい拝殿の向拝天井には、平成23年(2011)に奉納されたというヒノキの一枚
板に彫られた直径150㎝、重さ80㎏の、「白龍彫刻」が奉納されていた。
拝殿側板にも精巧な木彫が施されている。
奥の本殿も再建間もないもので、壁面の木彫に目をこらしていたら、若い神主さんが来
られ、彫刻のことなど、いろいろと説明をしていただいた。
境内中ほどのヤマユリが、たくさんの花を見せていた。
近くの、「田島観音」とも呼ばれる如意輪観音堂に回る。
境内にはほとんど樹木が無いが、1本だけカシワの高木が目に付く。
幹回り1.5m、高さ9mあり、やはりさいたま市天然記念物。かつて土地の人は木の葉
を採って持ち帰り、カシワモチに使ったという。
盆踊りの後片付けだろうか、舞台の回りに数人の氏子らしい人が集まっていた。
近くの田島東公園には、シモツケソウがたくさん咲いている。
公園の横から南東へ、用水路を暗渠化した緑道が延びていたので、その道を進むことにした。
植え込みはほんのわずかだけで終わったが、緩やかに左カーブしている道路沿いには、
ところどころにフヨウなどの花が咲く。
カーブはさらに緩やかに左に回り込み、鹿手袋5丁目と沼影1丁目の境界辺りでは東北
に向きを変える。大里小の南側、沼影1丁目の沼影観音堂には11時55分に着いた。
まずは6地蔵が迎えてくれる。
社殿左手には、高さ15mのイヌマキの古木が立つ。こちらも市天然記念物である。
ゴールの三峰神社は、右手奥のわずかなスペースにあり、小さい社殿の前にサルスベリ
の古木が遮っていた。
沼影観音堂の境内には、ほかから移設したようでもある古い石仏が沢山並んでいる。年
号を見ると、安永6年(1777)、享保2年(1717)、宝暦8年(1758)、
天明5年(1785)、正徳元年(1711)、文化12年(1815)、元禄3年
(1690)、寛文2年(1662)、宝永3年(1706)など江戸時代のものばかり
だった。
沼影観音堂の緑陰で昼食後にミーティングをして、13時頃散会となる。
歩くうちに次第に雲が減り青空が増え、気温も30度近くに上がったようで蒸し暑いの
で、そのまま近くのJR武蔵野線と埼京線との乗換駅の武蔵浦和駅に向かい、13時13
分発武蔵野線上り電車に乗る。
(天気 晴、距離 3.4㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市南区、歩数
5,500)
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JR武蔵野線沿線とその周辺を歩き続けている「続カタツムリ歩行」の第16回例会に
参加した。集合はJR武蔵野線の西浦和駅。
皆さんが集合していた北側高架下の小さい緑地に、花がたくさん植えてあった。
そのそばを10時7分にスタートして、北側の田島5丁目の住宅地を東に進み、薬王院
に入る。
本堂の前には、鋳造の新しい十三仏が並んでいた。
東側の庭園には、サルスベリなどがよい緑陰を造っている。
さらにその東側には薬師堂がある。向拝(こうはい)に吊された直径30㎝の鋳洞の鰐
口(わにぐち)は、延宝2年(1674)に当時の薬師堂に寄進されたもので、江戸時代
前半の鰐口の典型的な作例とか。さいたま市有形文化財に指定されていた。
北側の県道40号に出て、田島4丁目にある無住の覚了坊へ。本堂はコンクリート造り
で境内も狭く、墓地の方が広い面積を占めていた。
再び田島5丁目に入る。南下する住宅地にクルマユリが咲き、近くに個人のものらしい
小さな稲荷神社が祭られていた。
JR武蔵野線際には、周辺の戸別住宅群とはかけ離れた緑の空間が残っている。いつま
でこの景観が見られるのだろうか…。
武蔵野線の高架下を南に抜けて、田島3丁目にある田島御嶽(おんたけ)神社に行く。
西側から入り、この赤鳥居の先を左折すると、石鳥居の正面に拝殿と本殿が続き、右手
には別の新しい社殿もある。
正面の拝殿に続く左手のお札所も新しい。
拝殿の右手、別の社殿の横に、市天然記念物で幹回り1.5m、高さ11~12mのイ
ヌマキの古木が立っていた。
田島御嶽神社の開山は永仁3年(1293)とのこと。江戸時代の天明年間(1781
~9)には、木曽御嶽山を開山した木喰(もくじき)普寛行者がここで修行したという。
新しい拝殿の向拝天井には、平成23年(2011)に奉納されたというヒノキの一枚
板に彫られた直径150㎝、重さ80㎏の、「白龍彫刻」が奉納されていた。
拝殿側板にも精巧な木彫が施されている。
奥の本殿も再建間もないもので、壁面の木彫に目をこらしていたら、若い神主さんが来
られ、彫刻のことなど、いろいろと説明をしていただいた。
境内中ほどのヤマユリが、たくさんの花を見せていた。
近くの、「田島観音」とも呼ばれる如意輪観音堂に回る。
境内にはほとんど樹木が無いが、1本だけカシワの高木が目に付く。
幹回り1.5m、高さ9mあり、やはりさいたま市天然記念物。かつて土地の人は木の葉
を採って持ち帰り、カシワモチに使ったという。
盆踊りの後片付けだろうか、舞台の回りに数人の氏子らしい人が集まっていた。
近くの田島東公園には、シモツケソウがたくさん咲いている。
公園の横から南東へ、用水路を暗渠化した緑道が延びていたので、その道を進むことにした。
植え込みはほんのわずかだけで終わったが、緩やかに左カーブしている道路沿いには、
ところどころにフヨウなどの花が咲く。
カーブはさらに緩やかに左に回り込み、鹿手袋5丁目と沼影1丁目の境界辺りでは東北
に向きを変える。大里小の南側、沼影1丁目の沼影観音堂には11時55分に着いた。
まずは6地蔵が迎えてくれる。
社殿左手には、高さ15mのイヌマキの古木が立つ。こちらも市天然記念物である。
ゴールの三峰神社は、右手奥のわずかなスペースにあり、小さい社殿の前にサルスベリ
の古木が遮っていた。
沼影観音堂の境内には、ほかから移設したようでもある古い石仏が沢山並んでいる。年
号を見ると、安永6年(1777)、享保2年(1717)、宝暦8年(1758)、
天明5年(1785)、正徳元年(1711)、文化12年(1815)、元禄3年
(1690)、寛文2年(1662)、宝永3年(1706)など江戸時代のものばかり
だった。
沼影観音堂の緑陰で昼食後にミーティングをして、13時頃散会となる。
歩くうちに次第に雲が減り青空が増え、気温も30度近くに上がったようで蒸し暑いの
で、そのまま近くのJR武蔵野線と埼京線との乗換駅の武蔵浦和駅に向かい、13時13
分発武蔵野線上り電車に乗る。
(天気 晴、距離 3.4㎞、地図(1/2.5万) 浦和、歩行地 さいたま市南区、歩数
5,500)
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