あるきメデス

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八百津町の杉原千畝記念館と犬山の町並みへ(岐阜・愛知)(前半)

2016-04-26 23:32:30 | 国内旅行
 2016年4月19日(火)(前半) == 杉原千畝記念館へ == 
  
 今日午前は、今回の旅の主要目的地である、「杉原千畝(すぎはらちうね)記念館」を
訪ねることにした。

 杉原千畝は、第二次世界大戦中の1940年、リトアニアの日本領事館でナチス・ドイ
ツの迫害から逃れてきたユダヤ系難民に、人道主義・博愛精神に基づき日本通過ビザを発
給して約6,000人の命を救った、岐阜県八百津町(やおつちよう)出身の外交官である。

 なぜ訪ねることにしたか…。きっかけは、昨年7月にリトアニアのカウナスにある杉原
記念館を訪ねた際、杉原千畝が八百津町出身と分かり、帰国後に八百津町のサイトを見て
ここにも記念館があることを知ったから。

      
 帰国後の昨年10月に発売された「杉原千畝」(白石仁章著・新潮文庫)を読み、12
月9日には、封切り直後の映画「杉原千畝 スギハラチウネ」も観賞した(下は映画のプ
ログラム)。
           

 宿泊した犬山市のビジネスホテルを出て、犬山駅8時51分発名鉄(名古屋鉄道)広見
線下り電車に乗る。


 新可児(しんかに)駅で御嵩(みたけ)行きに乗り継ぎ、次の無人駅、明智(あけち)
駅に9時43分に下りた。



 明智駅からはYAO(やお)バスで、八百津町の中心部にある終点の「八百津ファミリ
ーセンター」バス停に10時29分に着く。

 バス停の背後↑が八百津町の公共施設、八百津ファミリーセンターの建物。

 バス停付近にある八百津町の地図のうち、中心街と杉原千畝記念館の周辺部分。



 周辺の公共施設や商店などには、杉原千畝が日本通過ビザを大量発給した記録の、ユネ
スコ世界記憶遺産登録を目指すのぼりやポスターが幾つも目についた(下は役場)。


 次のバス待ちの間に、近くの八百津小の前にある杉原千畝生家跡を確認する。現在は別
のご家族が暮らしており、当時の生家は2000年頃取り壊されたという。


 八百津町のマンホールデザイン。



 バス停に戻り、町内を結ぶコミュニティバスに乗り、「人道の丘北」バス停で11時
09分に下りた。


 杉原千畝記念館はバス停前にあり、地元岐阜県の総檜(そうひのき)造りと新伝統工法
の木組みフレームによる展示室になっている。
    

 さっそく入館(入館料大人300円)するが、館内は撮影禁止なので写真での紹介はで
きない。

 展示物のあらましは、杉原千畝により発給された「命のビザ」の複写を初め、八百津で
生まれた杉原千畝の生い立ち、ハルピンやヨーロッパ各地での外交官としての千畝の仕事、
ユダヤ人への命のビザ発給の状況、ビザ発給決断の部屋、発給されたユダヤ難民の足跡、
20数年後に訪ねてきたユダヤ人のこと、杉原千畝の年表などがあり、外務省の訓令に反
し、自身や家族の身の危険もかえりみず人道的立場から自分の意志を貫いて多くのユダヤ
人の命を救った、杉原千畝氏のその尊い行為を再認識した。
 
         杉原千畝記念館の入館証(パスポート)
        

 パスポートの内部



 パスポート内部の別面

           

           杉原千畝記念館のパンフレット表紙
          

 パンフレット内部


 記念館は町の中心部より140m前後高い丘陵上にあり、2階の展望棟からは、八百津
の中心街や町を貫く木曽川などが一望できる。





 記念館周辺の小さい花のサクラや、シダレザクラが見ごろになっていた。
     

 20分ほど観覧して記念館を出た。記念館から南側一帯の丘陵上は、杉原千畝の偉大な
功績を称え、後世に伝えるための「人道の丘公園」。


       
 近くの芝生広場には杉原千畝の胸像や、千畝が学んだ早稲田大学の顕彰碑↓がある。


 公園の北側、杣沢集落の家並み。


 芝生広場の北端には、公園のシンボルとなっているモニュメントがあり、世界平和をテ
ーマにしたパイプオルガンをイメージした構造物のある噴水の周辺から音楽が流れている。

 正午を過ぎたので、噴水を眺め音楽を聞きながらベンチに座って昼食にした(写真撮影
時は噴水は停止)。


 そばの食事処若杉では、八百津の土産品も販売していたので入り、町の名物のひとつ八
百津せんべいを求める。

     店の電話は、懐かしいダイヤル式の黒電話だった。
    


 ログハウス風待合室のある「人道の丘北」バス停から12時41分発バスに乗り、12
時50分に「八百津ファミリーセンター」バス停に戻る。

 次のYAOバスまでは40分余りある。バス停前の、創業昭和元年(1926)という
「肉の御嵩屋」に入り、炭火焼豚などを求めた。


 さらに少しだけ西進して八百津小や八百津町役場前を通過し、南北に走る本町通とのT
字路付近まで行く。

 T字路の手前には、地酒玉柏の醸造元の大きな建物が並んでいる。


 T字路の西側には熊野神社が祭られ、背後にケヤキの古木が立っていた。


 南に延びる本町通りには古い建物が幾つか残るが、回る時間が無い。そばの和菓子店だ
け撮り、八百津ファミリーセンターバス停に戻った。



 13時38分発のYAOバスで明智駅へ。


 明智駅↑と新可児駅での名鉄電車の連絡も良く、犬山駅に14時34分に着いた。〈続く〉


 杉原千畝記念館のWebサイトはこちら

 岐阜県八百津町のことは、こちらの八百津町観光協会のWebサイトで。




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