あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行 ひばりヶ丘(東京)

2009-05-17 22:45:33 | カタツムリ歩行
 2009年5月17日(日)



 今日は、JR武蔵野線周辺を歩く、「カタツムリ歩行」の第184回例会
に参加しました。 集合は、西武池袋線ひばりが丘駅です。

 遅れて参加の I さんを待ち、10時25分ころ出発しました。 

 まず向かったのは、駅の北側、昔ながらの細く曲がりくねった商店街
を抜けて間もないところにあった、埼玉県最南端の地。

 何年か前に私も、やまさんなどと一緒に確認したところで、上の地図の
緑のピンの位置です。

 駅寄りに少し戻って東に向かうと、しゃれた感じのレストランがありました。

 看板には、店名の上に「新日本料理」と書かれています。

 西東京市立栄小近くの畑では、露地栽培のトマトが実をつけていま
した。


 さらに進んだ先の、広葉樹林の一角に育ったタケノコ。


 栄町一丁目に入って西武線の線路近くには、古くからの農家らしい
屋敷があり、そのかたわらに「保谷市保存樹木」と記されたケヤキの
古木が立っています。保谷(ほうや)市は合併前の市名で、現在は
旧田無(たなし)市と合併して西東京市です。


 西東京市内の電柱に貼ってある町名・番地などの表示板には、地図が
付いていました。

 周辺の番地も分かり、家探しなどには便利ですが、北を上にした同じ
ものばかりなので、場所によっては方位を考えて判断しなくてはならず、
その道の向きにしたがった地図ならば、なお分かり易いのにと、親切な
ようで残念な表示です。

 近くの踏切を渡って、線路の南の住吉町四丁目へ。五差路の交差点
は「又六地蔵」となっていて、交差点際に「又六石仏群」と記された小さ
いお堂がありました。

 中には5体の石仏が並んでいます。元禄10年(1697)造立の青面
金剛から明治30年(1897)の地蔵尊など、当時の上保谷村の又六
講中が造立したもののようです。 


 交差点の少し東から、南に向かう旧道沿いに畑があり、見たことのない
大きな葉が茂っていて、花のつぼみも付いていました。花は食用になるよう
です。

 帰宅後、事務局のDさんから「アイティチョーク(別名チョウセンアザミ)」
とのメールをもらいました。確かにアザミを大きくしたような葉でした。

 南に進むと、間もなくゴールの尉殿(じょうどの)神社。珍しい名の神社で、
私ははじめて聞く名前です。11時50分ごろ到着しました。

 創建は永正2年(1505)と伝えられ、当時の上保谷村に無くてはなら
ない生活用水を保護する水の神「ジョードノ」を祭ったことにはじまる社と
のこと。

 ちなみに、境内にある記念碑を見ると、「保谷」姓の氏子の方が現在も
たくさんお住まいのようです。


 南に延びる参道は100mくらいあり、大きなケヤキやイチョウが並んで
います。


 境内の、大きなツツジが見ごろでした。


 昼食後のミーティング。雨と強風の予報が出ていたためか、参加者はいつ
もより少ない11人。 でも、雨は降りませんでした。


 その中で、今回で累計150回参加の I さんに、事務局から記念品が
おくられました。 おめでとうございます。

 184回の例会中150回参加ですから、参加率は8割を超え、常連中
の常連の I さんです。これからも、ますますのご参加を…。

 ほかに、定年を迎えられた後、お一人で、かねてから念願のネパール
の首都カトマンドゥを何度も訪れ、ほかの人にもネパールを訪ねて欲しい
と、パソコンを習得した上で、『なぜかネパール』というオールカラーの冊
子をパソコンを駆使して制作し、自費出版された(別の)I さんの話なども
伺い、13時過ぎに散会となりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別冊 暮しの手帖 「さんぽの手帖」

2009-05-16 22:40:21 | Weblog
 広告のない季刊誌として知られる「暮しの手帖」の臨時増刊号
として、『さんぽの手帖』という冊子がいま、書店に並んでいます。



 健康の維持・増進などのために、ウオーキングをする人が増えて
いるようですが、この本は、そんな人向けではないようです。

 タイトルのように、気軽に「さんぽ」気分で歩きたい人向きに出版
した、いわゆる「歩き」に類する本としては、ひと味違うものです。

 『ゆっくりと時間と景色を楽しむ「さんぽ」は、新しい旅のかたちで
す』と、まず当初にのべ、「歩いてこそ見えてくる風景があります」
と続けています。

 本文の最初は、ウオーキング大国、英国のフットパスの代表的な
エリアとして知られる、コッツウォルド ウェイと湖水地方に取材して
います。

 ちなみに、下の写真は、私たちが2005年6月と2006年7月に
歩いたときのコッツウォルド ウェイです。







 歩くため専用のフットパスを歩くことが、日本のようなコンクリート
道路を、車を気にしながら歩くのと比べ、どんなに快適なものか、容
易に理解できることでしょう。

 次に、「世界一美しい散歩道」と呼ばれるニュージランドのレポート。
大自然に恵まれた国中、いたるところにあるウオーキングコースを、
世界中から歩く旅人が訪れ、気軽に気楽に歩くことを楽しんでいる
様子が紹介されています。

 さらに、さんぽを楽しくするための知恵、日本のオススメさんぽ道と
して、京都、奈良、熊野、小豆島、湯布院など、近くの街あるきとして、
東京・下町、鎌倉から北鎌倉へ、佐原などを紹介し、日本にも出来た
フットパスとして、里山風景が楽しめる東京・町田の里道を紹介して
います。

 下の4枚は、本誌で紹介している熊野の中に盛りこまれているエリ
アを、私が昨年10月歩いたときのもの。


 下の写真の場所は、本誌にも掲載されています。






 ほかに、さんぽの旅を計画するためのアイディアや情報収集などに
ついても盛りこまれています。

 私たちの続けている、カントリーウオークにも通じることが多く、大変
興味深く一読しました。

 健康のためのウオーキングより、気ままな歩き旅をしてみたいという
人向きのものですので、興味のある方は書店の雑誌コーナーをのぞ
いて見て下さい。

(A4変形版 135頁、暮しの手帖社発行 税込み1,100円)  

  

 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お粗末な 市販のファイルリカバリーソフト

2009-05-15 23:18:17 | Weblog
 5月9日(土)から10日(日)にかけて、カントリーウオークの仲間と
長野県上田市へ、1泊のカントリーウオークに出かけました。

 好天で、気温は30℃を越えましたが、さわやかな空気だったので
それほど暑いとは感じず、やわらかな新緑や花を眺め、幾つものりっ
ぱな社寺をめぐり、それらをデジカメにたくさん撮ってきました。

 翌11日(月)、撮ったデジカメ写真を記録したxdピクチャーカードの
内容を、パソコンのハードディスクにコピーしようとしました。

 そのxdピクチャーカードには、今回撮った写真のほか、その前に写
真屋さんにプリントに出すためにコピーした画像が、何枚か残っていま
した。

 そこで、その不要な画像を消してからコピーをと考え、パソコンに読み
込み、不要な画像だけを選択して削除したつもりが、2日間の画像が
入っていたフォルダーも、誤って削除してしまいました

 これは弱ったと、一瞬ガックリしたのですが、まてよ、今は復元して
くれる会社やソフトがあるはずと考え、ネットを検索してみたら、確かに
たくさん出てきました。

 外注に出すと1万円以上かかりそうだということも分かりました。そこ
で翌日、近くの家電量販店へ行き、もっと安いリカバリソフトがないかと
探したら、ソーネクストの『救出 ファイル復元』というのがありました。
 値段は3,970円です。

 復元できるのは、誤って消してしまったファイルやメール、主な復元
可能メディアとして、ハードディスク、USBメモリ、SDカード、コンパク
トフラッシュなどとともに、xdピクチャカードも入っていました。

 これなら復元できそうと、買ってきてトライしてみました。

 ところが、普通の検出では消したファイルが検出できず、高度な検出
処理というのをさせたところ、それらしいファイルが検出できました。

 でも、ファイル名や、書き込み日時などの情報は検出できません。
どれが当日のファイか判断できないので、やむを得ずカード全部の情
報を復元することにしました。

 そして、復元したものはパソコンの外付けHDDに書き込むよう指示
したのですが、書き込んでくれません。

 どうしかと何回かトライしても同様で、お手上げ状態となりました。

 今日、2週間ぶりに帰ってきた息子は、私よりパソコンに詳しいので、
トライしてもらいましたが、やはりほかのメディアへの復元も出来ない
ことがわかり、このソフトではだめらしいと分かりました。

 息子は、フリーソフトに使えるのがあるのではないかと、ネットを検索
しました。その結果、たくさん出てきた中で最初に表示されたソフトを
ダウロードしてみました。

 フリーソフトの名は、【Pandora Recovery】です。

 さっそくトライしたところ、処理時間もそーネクストのソフトとは比較に
ならないくらい早く、みごと復元してくれました。

 もちろんファイル名や、書き込み日時などの情報も復元でき、やれや
れ、これで仲間に記念写真やスナップ写真をあげられると、胸をなで下
ろしたところです

 それにしても、有料のソーネクストのソフトでは、多くの人が犯す危険
のある、ちょっとした過ちで消したものが復元できないとは…。
 「金を返せー」と言いたくなりました。

 長々とした愚痴ばかりお読みいただくのでは申し訳ありませんので、
復元したファイルから、何点かご覧いただくことにしましょう。

 上田城外堀(上田高校正門付近)


 上田市内、北国街道の家並み


 上田市・別所温泉街を見下ろす


 上田市・塩田平周辺の新緑


 塩田平・中善寺 薬師堂(国重文)


 塩田平を見下ろす


 なお、この2日間のカントリーウオークのレポートは、近日中にご紹介
する予定です。

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉原高原ハイキング(群馬)

2009-05-14 15:15:39 | ハイキング
 これも遅くなりましたが、4月の最終日曜日に、軽いハイキングを楽し
むグループで、群馬県沼田市の北部、玉原(たんばら)高原へ行った際
のレポートです。

==============================

 2009年4月26日(日)



 東京・青梅市内から3台の車に分乗して、7時45分ころ出発した。
圏央道から関越自動車道に入り、嵐山PAで休憩して更に北上する。
途中で黒雲に覆われて雨も降ったが、短い区間で止み好天となる。

 9時24分に沼田ICで下りて県道266号に入る。沼田市内を北上、高
度が上がるにつれて季節のうつろいが遅れ、モモやリンゴ、ナノハナなど
あちこちに咲く。

 大天狗で知られる迦葉山(かしようさん)への道を左に分け、発知川沿
いに少しずつ高度を上げ、川を離れてさらにジグザグに上がって行くと、
まだ芽吹き前の広葉樹林の谷間に残雪が現れる。

 玉原湖の横を進んで10時ちょうど、売店やレストランなどのあるセンタ
ーハウスの駐車場に着く。標高は約1220mあり、周辺にたくさんの残
雪が見られる。取手からのSさん夫妻と合流、15人全員が揃った。

 身支度を整え、リーダーの挨拶などがあり、10時35分に出発した。

 枯れ枝のままの広葉樹林に、びっしりと残雪の残る間を抜ける舗装
道路を少し進むと、「ぶなのわきみず」と記されたところから、豊富な水
が流れ落ちている。

 置いてあった竹筒のコップで飲んでみたら、まろやかな味わいだった。

 「玉原湿原入口」の道標に従い、車道を離れて右手の木道に入る。

 小さい池の横を過ぎて緩やかに上がり、周辺が開けた湿原に出た。
ところどころに残雪があり、湿原を囲む広葉樹林も芽吹き前で、やや色
彩に乏しい。


 少し先に分岐があり、右側(東に)を回ることにする。期待したミズバ
ショウは、まだ花を見せていなかった。

 湿原の北端まで進んで、左からの木道と合した。樹林帯に入ると残雪
の上を歩くようになる。

 滑らぬように注意しながら緩やかな斜面を上がって行く。

 稜線に出ると西方の木の間越しに、谷川連峰かと思われる残雪豊富
な山並みが望見できる。


 下草にササの生える広葉樹林には、太いブナが増えてきた。


 間もなく標高1302.5m三角点のある長沢に着いた。雨雲が上空に
かかり、パラパラと落ちてきたが、そう続きそうもないので、残雪の上
や横にシートを敷いて昼食にした。


 豊富に残る残雪に注意しながら、東に伸びる稜線を進むことにする。
しかし雪で踏み跡が分かりにくいところもあった。


 右手に玉原湖が見下ろせるようになり、少し先で今日の記念撮影を。


 緩やかなアップダウンを繰り返して、少しずつ下って行くと、一時
残雪は減り、やがて豊富なブナ林となる。


 「ブナ平」と呼ぶ一帯で、東北の白神山地に次ぐブナ林だという。確か
にこんなに豊富なブナ林を見たのは、私にとっては初めてのことだった。

 このブナ林にしみ込んだ残雪が、少しずつ流れ出して玉原湖の水源と
なっているのであろう。

 ブナの根元に、幾つかのコブのような突起が出たところがあった。その
形から「ブナ地蔵」と呼ばれていて、小さい箱に さい銭も上がっていた。


 ブナ平も残雪が多く標識もないので、一時方向が確かめにくくなった。
多少迂回はしたが、見通しはよいので木に巻かれた赤布が見つかり、
それを目印に進む。

 「沼田の名木百選」に選定されているミズメという木の古木があり、
一面ブナ林の中で特異な樹形が目についた。


 南に向かって下って行くとセンターハウスが見えてきた。、一時、残雪
が消えて落ち葉道となる。


 ところどころに木道が現れ、再び残雪が増えて水音が近づき、その豊
富な流れのそばで往路の舗装道路に下る。

 往路を少しで、14時近く、センターハウスに戻った。

 近くにミズバショウノ群生地があり、咲きだしていると聞き、立ち寄っ
て行くことにした。スキーゲレンデ下のリゾートセンター方面に迂回する
と、近くに「ミズバショウ群落遊歩道」の案内板があった。

 斜面を少し下ったところに小さい湿地があり、たくさんのミズバショウ
が花を開いていた。

 まだ開花して間もなく、清楚な花が冷たい流れに沿って静かに並んで
いて、ミズバショウの鑑賞にはよいところだった。

 4台の車は帰路につき、沼田ICから関越道へ。上里SAで休憩をとっ
たあと、2か所追突事故があったために渋滞、1時間ほどのろのろ状態
となる。その後は順調に進み、17時40分に青梅市内に戻った。

【コースタイム】センターハウス10:35ー玉原湿原入口10:43ー湿原北西
 端(水源ルート分岐)11:08ー長沢三角点(1302.5m)(昼食)12:00~
 12:30ーブナ地蔵13:15ーセンターハウス13:55=ミズバショウ群生地
 14:17~25

(天気 晴一時曇、にわか雨、参加 15人、地図 山と高原地図「谷川
 岳 苗場山・武尊山」、距離 4㎞)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉賀野の古墳と社寺巡り(群馬)〈続き〉

2009-05-13 13:14:11 | カントリーウオーク
 2009年4月9日(木) 〈続き〉



 カモの泳ぐ池や激安スーパーの横を過ぎ、国道17号の北に出る。

 東中里町に入り、古くからの住宅地の一角にある火雷・若神子神社
に入る。ここもソメイヨシノに彩られていた。


 社殿に、繭(まゆ)の額がかけられている。当時、このあたりは養蚕が
盛んで、養蚕農家が、その繁栄を祈って奉納したものであろう。

 「昭和八年(1933)六月吉日」と記されていた。

 東中里町には、屋根に煙出しのついた古い民家も残っている。


 田園地帯を抜けて、東側の栗崎町に入る。ここも古くからの農家が
多く、村の鎮守であろう諏訪神社も、ソメイヨシノに埋もれていた。


 社殿の右手の木は特に大きく、見栄えがする。
 

 近くの地蔵寺では、松の古木が目につく。


 その名のとおり、古いお地蔵さんも並んでいた。


 地蔵寺の横から集落を北に抜けると、広々とした田園地帯。一面の
麦畑(田)だった。


 国道354号を横断して綿貫町に入り、国史跡の観音山古墳に行く。
観音山古墳は、6世紀末の築造と考えられる前方後円墳で、全長は
98mある。

 左が前方部、右が後円部で、各々の高さは9m余りある。

 そばに事務所の小屋があり、居られた県文化財保護委員のTさんが、
案内して下さるという。

 まず、後円部にある横穴式石室の扉を開けて中に入った。奈良県明日
香村(あすかむら)の石舞台古墳に似た造りになっている。


 全長は12.5m、遺体を置く奥の玄室(げんしつ)は長さ8.2m、幅3.8m、
高さ2.3mあり、群馬県内では最大の石室とのこと。

 この石室は崩れていたため、墓泥棒に盗掘されてなく、当時納められ
ていた品々がすべて残っていたようで、全国的にも珍しいことだという。

 数々の副葬品などは、近くの「群馬の森」にある県立歴史博物館で
展示されているようだ。

 後円部に上がると周辺の展望が広がり、西に榛名連峰が望まれる。

 ゆっくり案内していただき、1時間近くが過ぎた。

 Tさんにお礼申し上げて観音山古墳を去り、近くにある普賢寺へ。

 本堂の前にはシダレザクラが、境内には大きなミツマタが花を開いて
いた。


 その南側の国道354号に面して、不動山古墳がある。かなり木が
茂って分かりにくいが、やはり前方後円墳で、全長は94mになる。

 後円部上に不動堂が祭られているので、不動山と呼ぶようだ。

 古墳から出た角形石棺が置かれていたが、ふたは不明だという。


 16時を過ぎたので、予定していた南側の県立歴史博物館や近代美術
館のある「群馬の森」は、別途訪ねることにして、帰途につくことにする。

 すぐそばの高崎量子応用研究所北バス停から、間もなく来た高崎駅
東口行きバスに乗った。

(天気 快晴、距離 9.5㎞、地図 高崎、歩行地 高崎市)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉賀野の古墳と社寺巡り(群馬)

2009-05-12 21:33:29 | カントリーウオーク
 もう1か月余り過ぎてしまいましたが、ソメイヨシノが満開の群馬県
高崎市倉賀野町周辺の古墳と社寺を巡った、4月初めのレポートです。

=============================

 2009年4月9日(木)



 春の「青春18きっぷ」の残り2枚を使い、連れ合いが行きたいという
倉賀野周辺の古墳と、途中にある社寺を結んでめぐることにした。

 JR八高線に乗り、高崎線との合流駅、倉賀野(くらがの)で下車した。
駅前0分で倉賀野小があり、いつか関東百駅で来たときに、やまさんは
「駅に最も近い学校」と言ったところ。

 その学校の北を回り、高崎線の線路を背にした栄泉寺へ。緑豊富な
境内の一角に、「幽霊石」というのがあった。

 倉賀野城主・金井淡路守の奥方を埋葬するために掘った穴から出た、
石仏だという。

 墓地のそばのソメイヨシノが満開。


 住宅地を西北に進んで中山道に出て、スーパーで昼食を調達、少し
先から田んぼのあぜを進んで浅間山古墳に行く。

 全長176mの前方後円墳で、5世紀前期の築造と推定されている。
後円部の頂上に上がると、残雪の浅間山が望まれる。

 写真中央部だが、お分かりいただけるだろうか…。

 南側から眺める浅間山古墳。


 田んぼに咲くナノハナを眺めながら南に進み、烏川の支流を渡って
光運寺へ。

 本堂のそばに古い鬼瓦が2つ残されていて、往時の大きさがしのば
れる。

 近くには、整備されずに近寄れぬ、円墳らしいピークが見られた。


 再度、烏川の支流を越えて北に上がり、国史跡になっている大鶴巻
古墳に行く。やはり前方後円墳で、後円部はよく姿が残されている。


 全長は140mで、5世紀前期の築造という。その円墳部に上がり、
ちょうど正午になったので、北方に見える残雪の谷川連峰などを眺
めながら、昼食にした。


 東に向かい、道路を挟んで倉賀野中と相対する倉賀野神社に入る。
境内のソメイヨシノが、まさに満開である。

 倉賀野神社は、崇神天皇48年の創建という古社。現在の本殿は、
慶応2年(1866)に遷宮式を行った記録があるという。

 総ケヤキ作りの社殿には、鷹やフクロウなどの精巧な彫刻が施され
ている。


 境内に奉納された、たくさんの絵馬には、牛が描かれていた。


 更に東に少しで中山道に出る。復元された高札場や脇本陣跡を過ぎ、
倉賀野駅に近い九品寺へ。山門前に露座の新しい仁王像が立っていた。

 境内の鐘楼は、背の高い独特の造り。反対側には、鎌倉時代末期の
造仏という5体の石仏が小屋に並んでいた。

 次は、倉賀野駅ホームのすぐ南にある養報寺に参拝する。

 本堂前の若木のシダレザクラが花を開いていた。


 山門の格天井には、鳥などが鮮やかに描かれている。


 ここもソメイヨシノが花盛り。


 線路沿いに出て、倉賀野駅東側の踏切を越えて北に向かう。 (続く)

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩田平をカントリーウォーク

2009-05-10 17:45:27 | Weblog
今日は、別所温泉の旅館を8時30分頃スタートし、信州の鎌倉と
呼ばれている塩田平をカントリーウォークしました。

ここには、満願寺、中禅寺、塩野神社、龍光院、前山寺など、
国宝や国重要文化財クラスの建物の社寺が多く、萌える新緑
や、高台からの塩田平の展望など、素晴らしいカントリーウォ
ークでした。

最後に、第二次大戦で戦没した画学生の遺作を展示している、
無言館を観覧して、塩田町駅から帰途につきました。

写真は中禅寺の国宝、薬師堂。

今日も上田駅前は、34度という真夏並の気温でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州上田と別所温泉を歩く

2009-05-10 16:53:52 | Weblog
昨日、4月9日は、カントリーウォークの仲間で、信州、上田市内の
上田城跡から北国街道の町並みを回り、さらに電車で別所温泉駅
まで行き、近くの常楽寺、安楽寺、北向観音などを巡った。

新緑とツツジなどの花が見ごろで、気温は31度まで上がったが、
気持よい歩きを楽しんだ。

写真は、国宝、安楽寺の八角三重搭。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日から信州・上田へ

2009-05-08 22:37:38 | ウオーキング
 明日、5月9日(土)と10日(日)は、カントリーウオークのメンバーで、
長野県上田市に行き、上田市内と別所温泉・塩田平を歩く予定です。

 その準備に昨日、今日かかり切りになり、ブログ原稿づくりが出来ま
せんでした。

 まだ4月のウオーキングレポートも残っているので、来週に順次アップ
する予定です。

 9日と10日については、可能なら現地からモブログで投稿し、詳しく
は別途アップします。

 毎日ご覧いただいている方には申し訳ありませんが、来週またのぞ
いて見て下さい


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際ウオーキングトレイル実踏(笛吹市坊ヶ峯~市川大門)

2009-05-06 17:38:52 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2009年4月17日(金)
 =坊ヶ峯から市川大門へ=


 
 1日だけの参加となった国際ウオーキングトレイル実踏最終日、3日目
は小雨模様。用事で帰る I さんに見送られ、笛吹市の西端、中央高速道
境川PAに近い坊ヶ峯のペンションを、7時50分に出発した。


 中央自動車道の北に出て、境川橋バス停でバス時刻を確認、表門神社
の横を進む。付近のリンゴ畑は、ちょうど花盛りだった。


 中村集落の先で中央道の南に抜け、長い石段を上がって龍華院へ。
弘法大師が大同元年(806)に草創したと伝えられる古寺。徳川家康が
天正10年(1582)年3月3日に宿泊したという。甲斐百八霊場の第46
番札所でもある。

 大屋根の本堂の前に、きれいに整えられた庭が広がり、落ち着いた
たたずまいを見せる。

 国道358号に出て、風土記の丘農産物直売所前を進み、山梨県立
考古博物館へ。ちょうど開館時刻の9時だったので入館し、たくさん並
ぶ土器などの展示を観覧した。


 館の前には、実物大のナウマン象親子像が立っている。


 一帯は風土記の丘になっていて、5世紀初めに造られた山梨県内で
最大の円墳である丸山塚古墳(上)や、4世紀後半のもので東日本
最大級の前方後円墳という、銚子塚古墳(下)などが、整備されている。


 新緑みずみずしい公園を抜け、滝戸川を渡り、松本集落から米倉山
に向かって上がる。林間や農道に地図にない道もあり少し迷うが、モモ
畑などの広がる広い台地に出て、モモ畑の上の380.8mの三角点を
確認した。

 西に下って七覚川を渡り、「シルクの里」の表示のある新道集落へ。
確かに養蚕をしているらしく、まだ桑畑があちこちに見られる。
 集落を抜ける道路沿いの、ショカッサイが花盛り。


 次に目指したピークは王塚。集落を抜けて高台に出て、水道タンクの
先を回ると、円墳らしいピークがある。

 上がってみたら、「史跡王塚古墳」の石標に、前方後円墳であることが
記され、標高348.1mの三角点もあった。

 少し戻って西方に下り、角川集落の法久寺で休憩。コンクリート造りの
大きな本堂。葉の出たシダレザクラに、花も残っていた。


 浅利川を越え、浅利集落の国道140号線にある「道の駅とよとみ」に
入る。農産物直売所や交流促進センターなどがあり、正午も近いので
レストランで昼食。少し待たされたが、甲州名物ほうとうはおいしかった。


 笛吹川南岸の台地に上がると、川沿いに広がる田園地帯の展望がよ
い。


 広々としたモモやブドウなどの畑の中にある小ピークに、316.5m
の三角点があった。昼食を挟んで3時間足らず、しかも直線でわずか
3㎞ほどの距離の中で、三角点を三つも確認したのははじめてのこと。

 そばに石のほこらと百葉箱もあり、色濃い大きなスミレが咲いていた。

 南に下って、大塚の北区から南区の集落へ。地図上に記された長昌
院の場所に行ったが違う寺。近くの奥さんが教えてくれたのは、別の卍
マークのところだった。

 予定した電車に間に合わせるため、この後は車道を進む最短コースを
とることにする。

 高台にある大きな建物、「展望の里」の下を過ぎ、コイン式温泉スタン
ドの横を通過する。

 周辺に広がるモモ畑は時期を過ぎ、ピンクのじゅうたんは想像するしか
ない。北面には笛吹川沿いが見晴らせるが、小雨模様で遠望は利かず、
南面は新緑がいっぱいの穏やかな彩りの斜面が続く。

 車道沿いにはボタンが植えられ、すでに花を開いたものが多い。


 城のような建物が目につく、歌舞伎文化公園があった。ここ市川三郷
町は、歌舞伎の初代市川團十郎発祥の地とか。城は、甲府盆地を一望
できるふるさと会館で、考古資料室もある。

 ほかに、民俗資料館、文化資料館、いこいの森などが設けられ、文化
資料館そばのぼたん園は、ボタンが見ごろ。下旬にボタン祭り開催のポ
スターがあったが、そのころは盛りを過ぎてしまいそう。

 文化資料館でパンフレットだけもらい館内には入らずに出た。

 三珠中のそばでJR身延線の北に出て、歩道のない車道を進む。矢萩
の家並みに面した表門神社に、背の低いどっしりとした石鳥居が立つ。

 鎌倉時代の作と推定され、県の重要文化財に指定されていた。

 吉川橋を渡って市川大門の町並みに入り、線路に近い旧道を進んで、
14時20分に今回のゴール、JR身延線の市川大門駅に着いた。

 駅舎は、反りのある屋根で中国風の造り。構内に下地区区民館と町民
用の日帰りの湯があるが、無人で自動券売機もない。

 駅前通りには商店も見あたらず空き地が目立ち閑散としている。古くか
ら知っていた名前から、門前町のようなところを想像していたが、見当違
いだった。

 遅れてきた14時49分発の身延線下り電車に乗り、甲府駅経由で帰
途についた。

(天気 曇時々小雨、距離 17㎞、地図 甲府、市川大門、歩行地
 笛吹市、甲府市、中央市、市川三郷町、歩数 33,400) 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする