その人は、甥の嫁の縁続きで 歳の頃は七十台半ば 甥の子供の結婚式で隣同士になり それからの交際です。 とにかく明るく この人に悩みは無いだろうと錯覚させるくらい・・楽しい人です。 山歩き大好き 山菜取り大好き で 営林署の入山許可を二枚も持ち ランクルで走りまわっている 彼女・・偶々食事を一緒にする事になりました。甥は蕎麦打ち三段の腕前です。
私達は、お蕎麦大好き人間ですから もろ手を挙げて大喜び、彼女の顔が曇ってきました。「もしかして、アレルギー」 と尋ねたら 違うと言う・・甥の嫁「ご飯も、炊いているから、大丈夫よ」 それから彼女の生い立ちの長い話が始まりました。
五才で 母親が亡くなり、すぐに継母がきた。毎三度、ご飯の前に蕎麦がきを食べさせられた。砂糖どころか塩もなくそのままの蕎麦掻はとても食べれない・・いやと言えば飯はあたらない 泣きながら呑みこんだと言ってました。その 生活が学校卒業するまで続いたと言う 人間本当に辛いときは涙もでない。それでも、五才違いの姉が居た頃は、姉が庇ってくれたから、まだよかった 姉が働くようになって 家をでてからは、悲惨だった。
次々と 妹が三人生まれた。電気も(電気はついていた)ランプもつけて 貰えず 冬の日は三時になったら ”もう、寝ろ”と言われ火の気の無い部屋へ入れられたと言う・・障子に穴を開け耳を欹て何とかして明るい部屋の様子を知ろうとした。悲しかった お菓子でなくていい ご飯が食べたい。そう思ったと言う。そうして、苛めた親だが、自分の子供は可愛く亡くなるときには、彼女に、”今までのことは許してくれ、三人の妹の事頼む”と、言って息を引き取ったそうです。
彼女曰く 「仏さんになった人恨むわけいかないっしょ」でしょうけど つくづく“偉い人”だと思いました。
以来 お蕎麦は食べれない・・でも、今は、見れるようになったそうです。
いろんな 生き方の人が居て 世の中 皆頑張っているんです。私も彼女の明るさに 肖りたい。