『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

”枯れる”

2008-07-30 18:32:10 | Weblog

     生きるべきすべての役目を終えて

  静かに 声もたてず 抗いもせず枯れてゆく草

          枯れる・・・・・・・・

      すべての終焉を示すこの言葉が

   悲壮感を伴って我々に響かないのは何故か

        だれかと競うわけでなく

   他を押し退けて一人日の目を見ようとするわけでなく

        ただあるがまま

   自分の仕事を成し終えたことだけを誇りに

  逍遥として 冬の日溜まりの中で 息絶えようとしている

    潔い 真っ直ぐな意思が そこにみえるのです

 

    回り道の唄から、抜粋しました。

 美しく、可愛く、咲いて楽しませてくれた花々・・・
咲き終わった花殻は為るべく早くとってはいます。老醜を見せない為に・・・
 枯れることに悲壮感が無いのは、またきっと、必ず春になったら、咲いてくれることを信じているからです・・・
 野草の花々は咲き終わったら、地下に埋まって決してその存在を残しません。
 でも間違いなく、春になったら、咲いてくれます。

 今日もまた、一つの花が役目を終えて、消えていきました。

 
 

 


 暑くなりました

2008-07-29 12:57:32 | Weblog

         
    風鈴     好きな庭

 昨日までの寒さが嘘のように暑いです。

 午前中は、ボランティアでした。友達がどうしても我が家の庭を見たいと言うので、お連れしました。
 カメラでパチパチと・・・

夫が居たら、喜んで色々説明してくれた事しょうが、私では少々役不足らしく自分の用事を済ませたら、「じゃ、また」と帰ってしまいました。  「まぁ、いいか!」 
 それから、ゴソゴソと、1年ぶりに風鈴を出すと爽やかな風に誘われ、涼やかな音色が心地よく夏の感一入と言ったところです。

    
   夏菊      ツキヌキ忍冬

 夏菊と、ツキヌキ忍冬が元気に咲いています。友達は、ツキヌキ忍冬が珍しいと、喜んでいました。
 私も、葉を突きぬけ変わった咲き方の忍冬がとっても、可愛い!

 急に暑くなったので、何も出来ません。体を慣らすのが精一杯。
本州の人には、申し訳なく思いますが、これが、偽らざる心境です。

 そうは、言っても長くは続かないのが、また特徴の一つ・・
思いっきり、暑さを享受します。

 

 

 

 

          

 


 孫の夏休み

2008-07-27 16:27:38 | Weblog

   

  7歳の孫がお泊りでした。

 親と違いたいがいの事には、叱られず、テレビも少し長く見る事ができ、嬉しくてたまりません。

 お絵かきも随分と上手になって子供の成長の早さに、ただ々おどろいています。

 さて、折角のお泊りだから、したい事は沢山あります。夕食の後お茶を点てる事になりました。

 モミジのように、小さい手でお茶を点てるというので、五歳の頃小振りの茶碗と茶筌を誂えました。年に何度もしないのに結構覚えているものです。
 扇子をピタリと前に両手をつき 
  「おねがいいたします」
その、仕草が可愛く
   「サァどうぞ」
 お盆点てです。 お菓子も頂きました。彼女真剣に茶筌を振ってます。
茶碗をまわして、出してくれました。
  「いただきます」
その、美味しいこと・・・ 結局二服のみ、自分の分も点て、大満足です。

       

 この子にとっては、新しい体験が嬉しくてたまらないのです。
おまけに、”ジイチャン”何でも言う事はきいてくれるし、外で思いっきり遊んでくれるそして大好きな「お姫様抱っこ」もしてくれる。

 ず~っと泊まって居たいようでした。が、親が迎えにきて、先程帰りました。心は、此処にあったようですが・・・

 

 

 

 

 

 


『俊寛僧都・有王』

2008-07-19 15:23:13 | Weblog

 人間が綾なす、美しくも儚い物語。それが、「平家物語」であろう。

 その昔、琵琶法師が平家の兵の墓前で語ったと言う・・・

 まだまだ、読み始めて間もないことです。読んでは休みを繰り返していますが今日は、誰もが知っていて哀しい「俊寛・有王」の件です。

 法勝寺執行の俊寛・藤原成経・平康頼とともに、鹿ケ谷の陰謀に連座したこにより、鬼界ケ島に配流されました。

 成経と康頼は、その罪許され、島を出ることができましたが、俊寛だけは、島に残され、毎日海を見ては、京に思いを馳せていました。

 残されるにはそれなりの事情もあったのですが、そこは端折って・・・

  俊寛の侍童であった有王。

 師が島へ流された後、因果応報と言うのでしょうか、師の北の方(妻)と一人息子が亡くなってしまいました。当時12歳の娘が有王に手紙を託します。

 苦労の末、有王は鬼界ケ島を訪れ、俊寛と再会する。娘に託された手紙を渡し、それを読んだ俊寛は死を決意して食を断ち自害しました。

 有王は俊寛の灰骨を持ち帰り、高野山に納め蓮華谷で出家し、菩提を弔ったとされる。


 

 

 


 ただいまテスト中

2008-07-16 14:23:59 | Weblog

             
  白山石楠花     車庫の横    愛嬌者の狸君(可愛いでしょう)

       
 紫紺野ボタン    釣鐘にんじん  大花のエンレイソウ

 写真の勉強中です。
 何故でしょう・・・思うように入ってくれません。

               
 頂きました?      夏菊      ユリ見事でしょう

        
   菖蒲         紅うつぎ      マーガレット

  もう、や~めた・・
 幾度も々も繰り返してみますが・・私の腕が悪いのか?いやいや、それともパソコンが悪いのか?

  どうしても、これ以上は駄目みたい・・・

 

 

   

 

 


 庭

2008-07-14 12:50:31 | Weblog

                   

   ツバメオモト   ツバメオモトの実   ポインセチァ

 今日は本を読むのを止め、我が家の庭をじっくりと見ることにしました。

 錆びついた頭に平安時代は一寸刺激が強く、疲れました。小さくても我が家の庭です。一つ々の花が一生懸命、与えられた役目を果たそうと頑張ってる姿がいじらしい・・・
 依然として白山石楠花が優雅な姿で咲いています。私の大好きなツバメオモト、春には白い小さな花をつけていましたが只今ルリ色の実をつけています。

      
   サビタ      オンコと蔦      トラノオ

       
  高嶺バラ     キンシバイ    ヤツシロ草

       
月見草(高山もの)  フウロ草      サクラ草

   まだまだ、沢山ありますが、全部と言うわけにはいきません。

  今日はこのくらいで。

  梅花うつぎの花が微かな風に誘われ、ヒラヒラと舞い散っています。
 時々石楠花の花も、舞ってます・・・小さいけれど、この庭は、乾いた気持ちを癒してくれます。

 「本当に有り難う!」

 この、「サクラソウ」の葉が違うでしょう!これは「シラネアオ
イ」の葉の中から、遠慮がちに顔を出している奥ゆかしい「サク
ラソウ」です。

 

 

 

 

 


 


伊勢物語

2008-07-11 17:25:05 | Weblog

                
 在原業平        八橋            杜若

 昨日来、古い本を引っ張り出し読み始めました。
 「伊勢物語」です。

 菖蒲・杜若・しょうぶなど、これらの花が咲くときは何となく思い出されるのが、旅に出て苦労をする、業平のことです。そして、たまたま、八橋(お干菓子)のお干菓子を頂いたので、また、読み返してみようか?・・・

 平家物語にしても、まだ読み始めたばかりで一年は掛かりそうなのに・・
次の本に挑戦するとは、些か節制がないようにも思いましたが、季節感のある九段の東下りを読みだしました。

 「伊勢物語」はその成立年代、作者などについては、明らかでない点が多く平安時代前期に出来た歌物語で作者は知られていませんが実在した在原業平をモデルとする「昔男」が主人公で125段からなる物語となっています。

  『からごろも 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思う』

   昔ある男が、もう都にはいられないと思い友とともに、東国へと旅立った。三河の国八つ橋と言う所で「かきつばた」の花が見事に咲いていた。男は京に残してきた女への思いを、
 『かきつばた』の五文字をかしらに置いて歌を詠み周りりは皆乾飯の上に涙を落として泣いた。

 六歌仙・三十六歌仙の一人で、天才歌人と言われた。

 父方をたどれば、平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫。
 母方をたどれば、桓武天皇の孫にあたる。

 家系だけを見ればどの天皇よりも嫡流と言えたが、祖父・父が権力争いに負けた為臣籍下に下った。

 別称の在五中将は在原氏の五男で右近衛権中将であったことから、くるという。

 八つ橋は、また次の機会で・・・

 杜若(かきつばた)
     花言葉・・・幸運・雄弁

 

 

 

 

 

 


 平家物語(祇王・仏御前)

2008-07-08 15:12:26 | Weblog

 その後も清盛は無神経さを発揮している。

 仏御前を慰めるために参上せよと何度も呼び出されるが、祇王はプライドを捨てきれず、なかなか応じないでいました。しかし、矢のような催促に、累の及ぶのを恐れた母親の言葉に従い清盛の館へいきました。

 そこで屈辱的な扱いを受けた祇王は自害しようとしましたが母の必死の説得で思いとどまり、母や妹とともに髪を剃り、仏門に入りました。嵯峨の山里にあった小さな庵で母娘三人念仏三昧の静かな暮らしです。

 一方、仏御前も何れはわが身と思い、祇王の不幸は、自分がもたらしたことと、苦しみました。

 時が経ち、秋のある夜のこと。祇王らが住む庵の戸を叩く音に、そ~っと少し開け覗いてみると、白い衣で覆った仏御前の姿がありました。仏御前は涙ながらに「もともとは、舞を認めてもらいたい一心で舞ったもの。心ならずも祇王様を追い出すことになり、悔やまれます」と、切々と愚かさを憂いた話をし、覆っていた衣を脱ぎ捨てる。
 そこには、仏道に入ろうと、決心し髪を剃った仏御前の姿がありました。

 この姿をみた祇王は、「まだ、17歳の若さで現世を捨て往生を願うとは」・・・
 その後、朝晩の念仏を欠かさず過ごした4尼でした。

 何とも、哀しい、話です。

  祇園精舎の鐘の声・・・・そのもののように響きました。

 

 


白拍子・祇王・仏御前

2008-07-04 13:23:52 | Weblog

  さて、祇王の執り成しで清盛公に逢った仏御前。

 「祇王がたってと望むので、一目逢ってやる。今様でも歌ってみよ」とのことで、仏御前がうたいはじめました。

    君を初めて見る時は 千代も経ぬべし 姫小松

     御前の池なる亀岡に  鶴こそむれいて遊ぶめれ

 と歌います。さすが都で名を馳せた白拍子、うたを聞いた人はその声の美しさに、只々驚いたそうです。

 「今様は中々の腕前、ならば舞を舞ってみよ」との清盛の言葉で舞も披露しました。
 仏御前は髪姿を始め、眉目形は世に優れ、声も舞いも素晴らしかったようです。

 清盛は、すっかり仏に魅せられ、心までが移ってしまいました。お暇しようとする仏を帰そうとはしません。

 仏の困った様子に清盛は 祇王に憚るのであればと、祇王を追い出してしまいます。

 何時かは、こんな日がくるのを覚悟はしていた祇王ですが、こんなに早く、館を出されるとは・・・まして3年もの間、住み慣れた館です。涙が止めども無く流れますが、何時までもそうしている訳にも参りません。せめてもの形見にと障子に歌を書き付け、館を出ました。

  もえいずるも  枯るるも同じ  野辺の草

              何れか秋に  あわではつべき

   次の機会に続けます。

  今様(いまよう)・・・当時庶民の間で流行っていた流行歌、
 後白河法皇が大層好まれた事で有名との事です。(現代ふう) 平安時代から始まった七五調、四句からなる歌謡。

 

    

  ツボサンゴ  きれいに咲いてます。

  花言葉   『きらめき』 だそうです。

   決して逆らうことなく、風の吹くままに身を任せています。


  
      

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


“白拍子!”

2008-07-02 14:32:36 | Weblog

、 
 白拍子

 縁(えにし)とでも言うのでしょうか、平家物語に疲れているとき、たまたま、“仏画”を描く若い彼女に廻りあいました。
彼女の描いた“仏画”を写真で拝見したのですが「ふくよかなお顔で、優しい眼差し」・・・描く人其のものの様に思えました。

   仏画を拝見した後の所為でしょうか・・・

  『白拍子:祇王・仏御前』の件(くだり)が閃きました。

 天下を掌中に収めた平清盛公は、世間の誹りをも憚らず、
平家にあらずば人にあらずと言う生活を続けていました。

 その頃、京の町には白拍子の祇王・妓女と言う、市中一番の売れっ子姉妹が居りました。
 清盛公は、早速姉の祇王を館に入れ寵愛しました。毎月、相当額を与えたそうです。
 親子ともに(母とじと妹妓女)、夢のような日々を送りましたが、しかし、その幸せも、長くは続きませんでした。

 三年後のことです。

 その頃舞の上手な「仏御前」と言う名の白拍子が名を馳せていました。

 「わらわも都ではすっかり売れっ子になったけれど、口惜しい事ながら、未だ、清盛様には呼んで頂けない。」 と、一人で清盛が住む館へいきました。
 何度お願いしても、お眼どうり叶わず、うなだれて帰ろうとする所へ、

  「見ればまだ年端もいかない娘、同じ道を歩む者として、すげなく断っては可哀想です、お願いで御座います。逢ってやってくださいまし」との、祇王の口添えで、清盛に逢うことができました。

  少し、疲れましたので、後は次の機会に・・・。

  庭の菖蒲が綺麗です。

   

  花言葉・・・嬉しい心・優美な心・忍耐
         とありました。

    因みに白拍子のこと
 白拍子と言うのは、客の求めに応じて、歌を歌ったり踊りを舞って、生計を立てていた女達のこと。昔神社の社殿で巫女さんが、白い着物に赤い袴を着て、頭に烏帽子を被り、白鞘の太刀を持って、男舞を舞った姿が余りにも美しかったので、鳥羽上皇の時代に酒宴の席で舞わせたのが始まりだそうです。清盛の時代には、烏帽子と太刀は付けずに、白い着物だけを付けて舞うようになったとのことです。